プロア、ルストを迎える
そう答えて私は馬車から降りていった。
走り去る馬車を見送ると、隠れ家の玄関扉に手をかける。
扉を開けて声をかける。
「ただいま帰りました」
すると隠れ家の中から人影が現れた。
「おかえり」
にこやかな笑顔で現れたのはボタンシャツ姿のプロアだった。
彼のシャツからはそこはかとなくいい香り。
「デザートのプディング作っていたんだけど食べるか?」
「あ、はい! いただきます!」
「それじゃあ準備してるから着替えてこいよ」
気取らない笑顔。優しい仕草。そして彼は私の方でそっと手を触れてくれた。その瞬間体の中をさざ波のように静かな衝撃が体を貫いた。
お爺様があんなことを言ったせいで普段は自分の心にしっかりと鍵をかけていたはずなのに今は開けっぱなしになっていた。激しく動揺して取り乱した後だったから尚更に無防備になっていたのは間違いない。
今まさに
――ドキリ――
心臓が強く鼓動を打った。
「あ、は、はい」
「それとお風呂入れ直しといたからな。すっかり冷めてたしな。デザートとお風呂どっちにする?」
普通こう言うのは奥さんが旦那さんに聞くものだろうとも思ったが、これはこれで嬉しい。
一瞬迷ったが思わずこう答えた。
「じゃ、じゃあ〝お風呂〟で」
「そうか、それじゃまっすぐお風呂場に行けよ、着替えのネグリジェとか持っていくから」
「うん、ありがとう」
そう言いながら私は腰に下げている愛用のガイアの御柱を彼に預けた。そして私は言われるままに素直に地下階のお風呂場に向かう。
思えば、密輸出組織の壊滅作戦からこちら側ずっと気持ちの張り詰め通しだった。さらにはイベルタルでの目まぐるしいまでのトラブルの連続。それでもずっと自分自身に気持ちをしっかり持てと言い聞かせ続けてきた。
そしてそれは今までついさっきまでしっかりと自分自身を律することができたのだ。でも――
「お爺様の馬鹿」
ユーダイムお爺様の余計な一言が私の緊張の糸をプツリと切ってしまったような気がする。
地下階のお風呂場に行けば、そこはかとなくとても良い香りが漂っていた。
「これは香油? それにバラの匂い」
バスタブに歩み寄っていけば、お風呂にはバラの花びらがいっぱいに浮かべられていた。お湯には香油が注いである。気持ちが解きほぐしていくような気がする。
「さすがね。洒落たことするわ」
感心しながら私はお風呂に入る準備をする。衣類を脱いで風呂場の片隅のコート掛けや脱衣かごに入れていく。
カチューシャを取り、髪を軽く結い上げて、下着も脱ぐ。
生まれたままの姿になりお湯の温度を確かめてからバスタブの中に足を入れてゆっくりとお家の中で体を沈めていった。
「ふぅ――」
軽く息を吐きながらお風呂の中に身を横たえる。それまで半身浴のように上半身をお湯の外への出していたのだが、階段から足音がしてくる。プロアだ。
私は思わず体を湯船の中へと沈めた。お湯の表面にはバラの花びらが浮かべてある。それはちょうどいい感じで私の体を隠す効果をしてくれた。
階段から姿を現したのはやっぱりプロアだった。私の着替え一式、下着の上下にネグリジェ、さらにはナイトガウンも用意してくれている。
「どうだお湯加減は?」
「うん、ちょうどいい感じ。それに素敵ね、このお風呂」
「薔薇と香油だろ? 実はそれにバスソルトも入れてあるんだ。神経使って緊張してるだろうからリラックスできればと思ってな」
「だろうと思った。それに女性のお風呂に随分詳しいのね」
「前にも言ったろ? 昔、とある街の女性主人のところで侍従役をしてたって。女性の扱いや、女性の体の理美容については徹底的に仕込まれたんだ。お風呂の準備は一番重要な仕事だったからな」
彼はそう語りながら片方の手のひらでお湯をすくうとそれを私の体の肩にかけてくれた。でもその時、バラの花びらがお湯に少し押されて私の体から離れていく。するとそのお湯の下が見えそうになる。
私は自らの胸を左手でそっと隠した。その仕草に彼も気づいてくれた。
「おっと、すまない」
視線をそらして言葉を続ける。
「悪かった。上に入っているぞ」
「うん、また後で」
私がそう答えれば彼は右手を振って挨拶してくれた。
彼が去った後のお風呂場で私は1人、お湯の中に身を横たえ続けた。気持ちがほぐれて落ち着いていくかと思ったけど、彼のあの穏やかな振る舞いと細やかな心遣い。その全てが嬉しくてそして愛しかった。
「あの腕」
お湯をかけてくれた時のあの手のしぐさが強く心に焼き付いている。
「大人の付き合い――かぁ」
あえて言葉にされてしまうと余計に自分の心に誤魔化しが効かなくなる。
「プロアと大人の付き合い」
それってつまり。あの腕に強く抱かれるって事で――
「やだ、何考えてるのよ私」
だめ! それだけは絶対ダメ! 少なくとも今の彼とは仕事の上での仲間なのだから。恋愛は考えない、そう自分に言い聞かせないとイリーザの仲間たちを率いて戦場に立つのは難しいだろう。
だからこそ、恋愛や結婚についてはずっと考えないようにしてきたのだ。でもしかし、私の心にかけていたはずの鍵はいつのまにか開け放たれていた。
「この心の扉、どうやったら閉められるのかしら」
お湯の中で私は何度もその言葉を反芻していた。それでもどうしても答えは見えてこない。私はのぼせそうになるまでお風呂の中で思案に暮れていたのだった。







