冷酷な男と、猫《マオ》の敗北
さらに淵が打ち明ける。
「私の手の者からの情報ですと、あの〝旋風のルスト〟が首都オルレアに向けて出立したとの話が入ってまいりました。おそらくは中央首都方面での任務案件を処理するのでしょう。そう簡単には戻ってこれないでしょうから、むしろ今が好機かと」
それぞれが意見を述べ終えたところで古はそのナイフを履いているズボンの右脇のフックに放り込むように挿した。
「よし、全員準備を始めろ。こうなったらイベルタルの連中と全面戦争だ。主だった戦闘勢力をことごとく平らげてこの街を完全に俺たちの支配下に置く。歯向かった連中は1人も生かしておくな」
その言葉に全員が頷いていた。
古はサロンのかたすみで無言でたたずんでいたデルファイに問いかけた。
「デルファイ、それであの学者様の様子はどうだ?」
デルファイは数歩進み出て声を発する。
「はい、女房と娘を人質に取られてこっちの言いなりです。ただ今まであいつ自身の行動に任せていましたが、もはや一刻の猶予もないません。〝最後の手段〟を取らせます。それさえできれば――」
「いいだろう。やり方はお前に任せる。ただし絶対にしくじるなよ」
「もちろんです。必ずや成功させます」
そう答えてデルファイはふかぶかと頭を下げた。
猫以外の者たちは、古に従うように彼の両サイドに立って歩きだそうとする。
「行くぞ」
「御意」
古の声に正が従う。他のものたちもある者はうやうやしく頭を垂れ、ある者はチラリと視線を投げかけた。
しかしその誰もが、今敗北者となった猫には一瞥もくれなかった。
置き去りにされる。
捨てられる。
その直感が猫の中によぎったのだろう。彼女は思わず立ち上がり古の体にすがりついた。
「お願いです! お慈悲を! 古大人!」
それは偽らざる本音、そして心の底からの懇願だった。
だが――
「死三八」
それはひどく恐ろしく冷たい声。重く響く声で古は猫に言葉を投げつけた。
「えっ?」
それは侮辱の言葉〝クソ女〟の意味を持つ。かつてはベッドの上でお互いに愛を囁いたこともあったはずだ。だが今はその欠片すら残っていなかった。
愕然としてすがりついたその手を思わず手放す。ほんの少し距離が開いた時、古がその右腰に下げていたあの愛用のナイフを引き抜いて斜めに袈裟斬りに一気に振り抜く。
――ブオッ!――
それは大きな風切音を立てて、一刃の風の刃を解き放つ。
そしてそれは、猫の体を真っ向から斜めに通り過ぎる。
不思議と血は吹き上がらず、彼女の体に異常はない。ただ――
「いやぁっ!」
猫は思わず自らの体を押さえて立ちすくんだ。古の放った風の刃は猫の身につけていた漢服のドレスを微塵に引き裂いたのだ。
純白の裸体を露わにさせられて猫は辱められる。しかしそれ以上に古の拒絶と怒りは続くことになる。
「うるせえんだよ」
重い罵声と共に古は右足を蹴り出した。蹴り込んだ先は猫の下腹部だ。破裂するような音がして猫の股間から生暖かいものが流れ出す。
――破水――
女性の胎内の子宮の中に胎児がいる時、子宮は羊水で満たされる。だが、その羊水を湛える膜が衝撃で破れる時がある。これを破水と言う。
「あ、あ、あ――」
そこから先は声にならなかった。鳴き声と悲鳴と半狂乱の叫びがサロンの部屋の中にこだまする。
猫のおなかの中にいた赤子の父親が一体誰なのか? その場にいる者なら誰もが知っていた。
「宝宝――私の、私の――ああぁ! 嫌ぁああ!」
宝宝とは、赤ん坊のことだ。
絶望の絶叫をあげる猫に誰も手を差し伸べない。サロンのその部屋に置き去りにされる。
それはある意味、殺されるよりも残酷な制裁だった。
「行くぞ」
古が発した言葉はそれだけだ。冷酷にそのまま立ち去る。
ここは〝堕天楼閣〟
勝者は頂きに君臨し、敗者は惨めに這いつくばる。情け容赦のない〝力の殿堂〟
そう、猫は負けたのだ。







