闇のキャビネットⅣ ―軍部との密約と、ルストの酌婦支度―
「まだそこまで具体的には切り込んでなかったようだね」
「申し訳ありません。在外商人そのものがどのような人々なのか掘り下げる方が先だと思っていたもので」
「まあ仕方ないね。得体の知れない連中というのは間違いないからね。そこは私にあるプランがあるんだけど」
「プラン? それはどのような――」
私がそこまで話しかけた時だった、会議室の扉が開いた。
「お待たせしました! ひとつ有力な店が見つかりました」
扉を開けて入ってきたのはカーヴァさんだった。丸い体型を揺らしながらいそいそと入ってくる。シュウ女史は尋ねる。
「さすがだね。どこの店だい?」
「高級酒房・白虹亭です。今日の夜7時から宴席を持つように予約が入ってるそうです」
「白虹亭――、超高級店じゃないか」
「はい。予約の段階で即金で支払ったそうですよ」
曽さんがぼやく。
「さすがですな。いやはや、国という枠組みの外に足を置き、世の中の決まりの隙間を狙って利益を得る――在外商人の金儲けの一つの側面として語られている言葉ですが、あまり褒められたものではない」
ガフーさんが言う。
「その通り。在外商人とは、国の決まり事から逃げ出してその外側で好き勝手している連中だ。例えば私もフェンデリオルとフィッサールの間で貿易の仕事をしているが、フェンデリオルに軸足を置き、国の決まりごとを全うしながら商売にいそしんでいる」
バナーラさんも語る。
「さよう、例えるならフェンデリオルには国民全てに何らかの形で軍役への参加を求められる〝国民皆兵士制度〟があるが、イベルタルで活動する商人であれば、そこに何らかの形で関与している」
「だが、在外商人は違う。活動の拠点を別の国に置き、国籍もその時々の商売のあり方により色々な所に移動を繰り返す。兵役逃れはもはや常習犯だと言っていい」
「利益のためならば何でもするといった連中だからな」
「その通り。だから普通の商人と違い裏側で誰と繋がってるか検討すらつかない」
「最悪、黒鎖と繋がっている連中がいたとしてもおかしくないからな」
ガフーさんとバナーラさんは、そんなふうに言葉のやり取りをしていた。そしてある1つの結論が出る。
ガフーさんは語る。それに応えるのはバナーラさんだ。
「ちょうどいい機会だ。彼らの本音を引き出して問いただすべきだろう」
「そうだな、イベルタルの商人ギルド連合会を総べる立場にある人間としては、彼のような異端の存在を認めるわけにはいかないからな」
彼らの言葉を受けてアシュレイさんが状況をまとめた。
「それでは、在外商人との接触のために白虹亭の宴席にエルスト嬢を送り込むということでよろしいでしょうか?」
「あぁ、今から準備すれば十分間に合うだろう。私が直接手をかけて最高の酌婦に仕上げてみせるよ」
私は思わず変な声を上げそうになる。それをぐっと飲み込むと、内心冷や汗をかきながらシュウさんに問いかけた。
「わ、私が酌婦になりすまして、直接出向くんですか?」
「そういうこと。この方が手っ取り早いだろ? それにあんたには2年半前のあの時の名声がある。あんたはそもそも、私の所にいた半年間の間に青薔薇亭の控えの間の美人酌婦として密かに有名だったんだ。それが久しぶりに帰ってきた、そういう触れ込みだったら向こう側も怪しまないだろうさ」
颯さんは悪戯っぽく笑みを浮かべながら、シュウさんの語る言葉に同意した。
「なるほど、非常にわかりやすい理屈です。潜入調査には賛成です」
「だろ? 問題は酌婦としての技量もそうだが、潜入を調査する上での対話能力、まぁ、それについちゃプリシラなら間違いないだろうけどね」
そして彼女の言葉は私へと向いた。
「それであんたはどうするね?」
私は少しだけ思案する。そしてすぐに結論を出した。
「はい! ご協力いただけるのであれば是非やらせていただきます」
私の言葉にアシュレイさんが頷いていた。
「結論が出ましたね」
「そうだね。それじゃ早速、準備に取り掛かるとしようかい」
そしてそこから先、各々に行動が始まった。
まずはガフーさんとバナーラさん。
「それで私たちは接触するはずの在外商人について、より掘り下げて調べてみよう」
「そうだな、こちらでも調べられることは調べた方がいい」
カーヴァさんは額の汗をぬぐいながら言う。
「それでは、私は花街での黒鎖の介入状況に注意を払ってみようと思います。何がわかればいつものようにご報告いたしますので」
「頼んだよ」とシュウさん。
「それで残りの御三方は?」
東方人の3人をまとめるかのように、曽さんが言う。
「そうだな。我々はそれぞれの足元での黒鎖の出現状況について調べてみよう」
「心得た」と艮先生、
「それでは私も手下の者共を手配して動かしましょう」と颯さん、
一通りの意見が出揃ったところでアシュレイさんが静かな笑みを浮かべてこう言った。
「話がまとまりましたね。それでは私はプリシラ様の酌婦としての装いのご準備について進めさせていただきます」
シュウさんがニヤリと笑ってそれに応えた。
「頼むよ、私もプリシラの身支度に手を貸そうじゃないか。〝夜の女〟になるならそれ相応の準備は必要だからね」
「かしこまりました」
二人のやり取りに私は驚きの声を上げてしまう。
「よ、よろしいのですか?」
シュウさんは私のほうを見てクスクス笑いながら悪戯っぽく言い返してくる。
「あら? 不服かい?」
「いえ、不服だなんて! 滅相もありません! えっとあの――、よろしくお願いいたします」
私は立ち上がって思わず頭を下げた。そんなやり取りに艮先生はにこやかに笑いながらこう言った。
「さすがに、天下に名前を知らしめた英傑令嬢と言えど、大恩ある恩人の前ではかのように娘子そのままになってしまうようであるのだな」
その言葉にみんな静かに笑い声を上げた。私も恥ずかしい事この上ない。するとそこでアシュレイさんが助け舟を出してくれた。
「さてそれでは、そろそろ頃合いでしょう」
「ああ、そうだね」
話がまとまりを迎えていた。ならばあの件についても伝えておくべきだろう。雰囲気が変わったその瞬間を捉えて私は声を発した。
「ちなみに、今回ご協力いただく上での見返りというわけではありませんが、私は今回、正規軍の防諜部の重要人物経由からある約束を取り付けております」
私のその言葉にシュウさんが私に問いかけてきた。
「その約束とは?」
「はい、古小隆とその影響力を受けた一派の拘束と排除に向けて、イベルタルの方々と連携する意思がある。またそのために上層部に内密に打ち合わせをしているとのことです」
私の言葉にすぐに反応してくれたのは颯さんだった。
「それは我々も大変に望むところです。裏の力と表の力、綿密に協力し合わなければ〝凶刃〟と呼ばれるあのイカれた男は容易には排除できません。是非お願いしたい」
シュウさんも頷いた。
「ああ、そうだね。その辺についてはプリシラ、あんたに仲介を任せるよ」
「ありがとうございます、それではこの話については前向きに進めるという事で伝えさせていただきます」
「よろしく頼むよ」
よしこれで、いざという時のための準備の一つは終わったことになる。あとでブリゲン局長に伝えておこう。
話し合いは終わった。ひとつの形をみた。
シュウさんが宣言する。
「それじゃ、始めるよ」
その言葉をきっかけとして皆が一斉に立ち上がり、各々に行動を始める。
私とみんなは挨拶の言葉を交わして、会議室から出ていく彼らを見送った。後に残ったのは私とアシュレイさんとシュウ女史。
「それじゃ行こうかい」
「はい」
シュウ女史の優しい視線が見下ろす中で、彼女が差し出す右手を私はそっと掴む。そして2人連れ立って会議室から出ていたのだった。
さぁ、夜の準備の始まりだ。







