ルストとシュウ、ロングソファーにて寄り添い合う
広い応接室の片隅、複数あるソファーテーブルセットの一つ、二人がけの横長のソファーに私たちは隣り合わせに腰を下ろした。私が望んだのではなくシュウ女史がそう促してくれたのだ。
私たちが腰を下ろすのと同時に先ほどの侍女が再び現れて温かい湯気の立ち上るカップを置いていく。中に入っているお茶は色合いは赤っぽくこの国によくある黒茶とは違うものであるとかよく分かる。
それにカップの中からはほんのりと良い香りがする。これはお茶の香りだけじゃない。入っているのは――
「これ、もしかしてブランデー入っていますか?」
「ええ、そうよ、この方が温まるでしょ?」
「はい、頂戴いたします」
お茶うけに菓子も用意される。溶かし砂糖のたっぷりかかったクッキーのようなものだ。
「さ、召し上がりなさい」
「はい」
まるで、娘か妹でも世話するかのような口調で私に接してくれる。今さらながらにこの人にとって、いかに私が特別な存在だったのかということがはっきりと伝わってくる。
嬉しく思いつつも、彼女との対話は始まった。先に言葉を出したのはシュウ女史だった。
「それにしても、もう2年半も立っちまったんだね」
「早いですよね、月日が経つのは」
「ああ、そうだね。チビな痩せっぽちだったアンタがこんなに魅力的な大人の女になるんだから、世の中も悪いもんじゃないね」
大人の女、彼女がそう言った時、私の体に視線が向けられているのを感じた。特に胸のあたりに。
「胸のあたりなんか立派にたわわに実ったね。昔はドレスを着させても胸がないから着こなしが上手く決まらなくてさ、色々と苦労させられたのを思い出すね」
敬愛するこの人に体のことを言われて少し恥ずかしくなってくる。首筋が熱くなるのを感じながら私は答えた。
「シュウ様のお店の待合室でお酌の仕事をさせて頂いた時の事ですね?」
「覚えてるかい?」
「はい」
3年前に実家を飛び出した私は、シュウさんに保護されて彼女のお店で働かせてもらっていたことがあるのは先に話したとおりだ。
「私とあんたが会ったのは3年前だったね」
「はい、悪質な手配師の事務所でした」
手配師とは、自らのつてで、依頼客に働き口を紹介する仕事をしている人の事を言うが、法律的な資格があってやっている仕事ではないので、やっている人物は大抵はろくでもない人間であることが多い。私が出くわした手配師もそうした悪徳手配師だったのだ。
「思い出すね。うちの娼館で働かせられる女を探して、色々なところを歩いていたんだけど、たまたま足を踏み入れた手配師のところであんたを見つけたんだ」
「はい、あの時はもう終わりだと思っていました」
「途方に暮れて今にも死んじゃいそうな青い顔してたものね」
「えぇ、『あ、これ借金背負わせられて逃げられなくなるやつだ』って、ピンと来ましたから」
するとシュウ女史はその時のことを思い出しながら語り始めた。
「あたしその時思ったんだよ。ああ、このままじゃこの子は間違いなく奈落の底に突き落とされる。陽の光の当たらないところでずっと飼い殺しにされるって。
このイベルタルの花街じゃそんなのは珍しくないけど、あの時だけは強く勘が働いたんだ。このままにしておいたら大変なことになるってね」
初めて耳にする話だが、この人の勘の鋭さのようなものを感じて驚くより他はなかった。
「この子はただの世間知らずのお嬢様じゃない。何かとてつもない大きい事情を抱え込んでる。そう気づいたらいてもたってもいられなくてね、私の店の一つに連れてったんだったね」
「はい、確か高級娼館で、お店の名前は〝青薔薇亭〟でしたね」
「よく覚えてたね」
「もちろんです。私の人生で1番たくさんのことを教えていただいた学校のような場所でしたから」
「学校か、面白いこと言うねぇ」
「でも実際、自分一人で生きていく上で、必要なことをたくさん身に着けられたのは事実なんです。その意味でも感謝しても感謝し足りないくらい」
そして私も当時の時の本音を口にしていた。
「実は私あの時、このままシュウさんのお店で働き続けて、もっと大人になったらお店の姉さん方のように高級娼婦として働くのも悪くないかなって思っていたんです」
当時のことを深く思い出しながら私は語った。
「約半年、裏方の事務員から始まって、使いっ走りから娼館の下働き、さらに待合室でくつろいでいる客の方のお酌の相手、ひとつひとつずつ仕事の幅が広がっていくそれがとても嬉しかった。そして、お店の表舞台に足を踏み入れて行けば行くほど、夜の街の女のお仕事の世界に興味を惹かれていく自分がいました」
「初耳だねえ、あんたが娼婦の仕事に興味を持ってたなんて」
「はい、自分が女であるということを引け目に思わず胸を張って堂々と生きている娼婦のお姉さん方の姿を見ていて、私も胸を張って生きてみたい、そう思ってたんです」
「そうだったのかい。そいつは惜しいことしたね」
私は、意味ありげに微笑むシュウさんの顔を眺めながらこう問いかけた。
「やっぱり、シュウさんも私を高級娼婦にしたかったんですか?」
「まぁ、必ずというわけではなかったけど、あんたが思った以上にいい女になっていくんで、あたしが生きている夜の世界の住人に本格的に誘いたくなってたのは事実さ」
「じゃあもし、私が2度目の出奔をしなかったら」
「遠からずあんたに〝店の娼婦見習い〟になるかどうか、問いただしてただろうね」
そう語る彼女の表情はどこか嬉しげだった。
「女ってのは学べば学ぶほど美しくなっていくものさ。当時のあんたがそうだった。やせっぽちのガキだったあんたは、どんなに怒られても、どんなに嫌な事に出くわしても泣き言一つ言わなかった。そればかりか会う人会う人全てから何かしら学び取ることを見つけては少しずつ成長して行った」
シュウさんの左手が私の右手にそっと添えられる。
「半年経つ頃には、とても15歳とは思えないくらいに大人の女の立ち振舞いが身についていた。そうなると不思議なもんで、子供だったあんたの体も大人へと瞬く間に育っていく。それがとてつもなく楽しくてたまらなかったんだよ」
そして彼女は告白する。
「私はこういう身の上だろう? 夜の街で手広く事業を手掛けている。色々な裏事情にも首を突っ込んでる。普通の市井の女たちのように結婚して子供を設けるなんてことは絶対にありえない。そんな時に出会ったのがあんただった。一目見て思ったんだよ
『この子を育ててみたい』
ってね。やっぱりあの時の私の目に狂いはなかったね」
この人が私にそこまでの思いを抱いていたというのはとても嬉しかった。でもやっぱり申し訳ないとも思うのだ。
「申し訳ありません。そこまで大切にしていただいたのにちゃんと応える事が出来なくて。追っ手の追求が厳しくなって2度目の出奔をしなければならなくなった。あの時のお別れはやむを得ないことだと分かってたんですけど、やっぱり、恩を返せなかったという意味では申し訳なかったと思っています」
「もういいんだよ、そんなに謝らなくて。私にとっちゃあんたが私のところにいた、その事実だけで十分なんだから。だってそうだろう? あんたが私にこうして会いに来てくれた。それはやっぱり、あの半年間があったからこそなんだから」
そう語る彼女の表情は心の底から嬉しそうだったのだ。







