ルストとメイラの情報整理【Ⅱ】 ―ケンツ博士のその動機について―
メイラがある事を指摘してきた。
「お嬢様、先ほど出てきた【黒鎖が博士に接触しようとしている理由】は?」
そうだそれがあった。黒鎖とケンツ博士のあいだに何が起きているのか? 検討しなければならない。
「それはまだ不明ね。博士は製鉄工学の科学者であり精術学の学者ではないわ。でも、黒鎖が博士に接触を試みようとするその理由は、複数の動機が考えられると思うの」
これは極めて重要だ。黒鎖がなぜ、現状追い詰められているケンツ博士に接触しようとしているのか? 黒鎖がそこまでする明確な動機がなければならないのだ。
「現時点で考えられる、接触の動機としては?」
「それは2つ考えられるわ」
「2つですか?」
「えぇ」
私はその2つの可能性を言葉にする。
「まず1つが【博士の製鉄工学の知識や技術を狙っている場合】
もう1つが【博士の学術研究者としての立場を利用しようとしている場合】ね」
つまり、知識を狙うか? 立場を狙うか? の違いだ。
「博士の製鉄工学技術は軍事に応用すれば非常に有益なものになるわ。例えば鋼鉄製の板を大量生産して、船に取り付ければ装甲船が建造可能になる。武器開発に転用すれば武器の生産量が一気に拡大できる。まずこの時点で彼が狙われる可能性は十分に考えられるわ」
「十分、考えられる可能ですね」
「そうよ、でも現時点では博士自身が極端な平和主義者と言う事を考慮すれば、そう簡単に技術を明け渡すとは考えられないわ」
「そうだと良いのですが」
この場合、メイラが口にする不安はもっともだった。だが、それよりもっと厄介なのが後者のほうだ。
「私が危惧するのはもう1つの可能性の方よ」
「もう1つと言うと〝博士の立場〟ですか?」
「えぇ、博士はまだドーンフラウ大学に学者として在籍している。これはつまり博士がまだ学術上の重要情報に触れることが可能だと言うことを示しているわ」
「つまり【博士が重要情報の盗み出し役に仕立てられる可能性】ですか?」
「そう、むしろこちらのほうが自分の持っている技術や知識を明け渡さずに済むから良心の呵責は少ないわね。もっともそうなったら〝売国奴〟の誹りは免れないでしょうね」
この問題の深刻さはメイラも理解しているようだ。
「科学者とあろう方が、そんな簡単に人としての良識を明け渡すでしょうか?」
「わからないわ。追い詰められた人間というのはどう転ぶかは本人次第よ。ここから先は完全に憶測だけど、博士の側の思惑によって変わるでしょうね」
「たとえば?」
「ケンツ博士自身に、黒鎖に対して自分自身から協力する意思があるか? 否か? この2つね」
「明確に違いますね。それによってケンツ博士が確信犯か強要されるかに分かれますね」
「ええそうね。もしケンツ博士に黒鎖に協力する意思がある場合、資金提供してもらえるなら元手の善悪は問わない、と思い詰めてる可能性があるわ。黒鎖はそれを見越して正面から博士を引き込もうとしている。博士も求められれば何でもやりかねない」
「逆に、博士に自分から協力する意思がない場合は?」
「その場合はやっぱり〝脅迫〟でしょうね」
「脅迫――、弱みを握って無理やりやらせると言う事ですか」
「そうなるわね。黒鎖は裏社会の存在。表社会には彼ら自身では手が出せない領域がたくさんあるわ」
裏社会の組織が一般人を協力者に仕立て上げるのは常套手段だ。メイラが指摘する。
「つまり、黒鎖はケンツ博士でないと手が出せない場所に関与させようとしていると言うことでしょうか?」
メイラの指摘に私は頷いた。
「ええそうね、むしろその方が自然と考えるべきね。例えば大学施設の中とか、何しろ彼はまだドーンフラウ大学の教授職は剥奪されてはいないから、大学施設の中に入ることはいまだに可能なのよ」
私はそこで、さらなる問題点に気付いた。
「そうなれば何が強迫の理由になるかが重要になるわね」
「それはもちろん〝家族〟では?」
「ケンツ博士の家族に危害が加えられる可能性!」
「私もその可能性が一番妥当だと思います」
なるほど今ならば最も妥当な結論だ。
「そうね。博士ほどの非戦平和主義者が暴力行為を前提とする闇社会の組織に自ら関与するとは到底考えられないわ。それ相応の理由がない限りはね。むしろ黒鎖のやり口から考えて、博士本人に接触する際に『我々に逆らえばこうなる』と言うメッセージとして、家族や近しい立場の人間に危害がくわえられている可能性はとても高い」
「そうなれば当然、実態を知るためにもケンツ博士が滞在しているとされるイベルタルに行って見る必要がありますね」
「そういうことね。これで三つ目の分類情報に入れるわ」
そしてあらためてメイラは質問してくる。
「次に行きますね。ケンツ博士のイベルタルでの行動の目的は?」
これも分かっている。
「新たなる資金提供者として【在外商人】と呼ばれる人々と接触するため。彼らから新たな研究資金を得るためにイベルタルに滞在して交渉を行っているはず」
だがそこでメイラは私に指摘した。
「既に整理した情報の中で、黒鎖がケンツ博士に接触を試みていたとする情報があります。それならば【イベルタルにて黒鎖がケンツ博士に接触を試みようとしている可能性】はあり得るのではないですか?」
だがそこで、私はある危険に気がついた。
「その可能性は極めて高いわね。それにそもそも、現在ケンツ博士が接触を試みている在外商人、その在外商人自身に黒鎖が関与している可能性もあるわね」
「そうなるとお嬢様ご自身が危険ではありませんか?」
「そうね、信頼できる筋としっかり連携をした上で行動する必要があると思うわ」
「お嬢様、そのアテはあるのですか?」
心配げに問うてくるメイラに私は言った。
「心配なのはわかるけど、協力を求める相手は用意してあるわ。だから多分大丈夫」
「そうですか、承知しました」
私はイベルタルでの行動方針を整理した。
「イベルタルでの私の行動方針を固めるわ」
「はい」
「【ケンツ博士の足跡を知る】
【ケンツ博士が接触を試みようとしている在外商人について把握する】
【その際に黒鎖の一派と接触する可能性を考慮する】
【ケンツ博士とそのご家族の身柄を押さえて保護につなげる】
まずはこんなところね」
そこでさらにメイラは尋ねてきた。
「逃亡しているデルファイと古小隆と言う二人の人物については?」
「こちらの二人は軍警察や防諜部が全勢力を上げて追跡しているわ。だから当面は、私はケンツ博士の保護と博士の周辺事情について専念することにするわ」
私ひとりではできることに限りがある。利用できるものは当然利用すべきだ。







