二つのざまぁ
それからが大変だった。
急遽ドレスを仕立ててもらい、社交界でのマナーを学び直した。
以前は、一応は侯爵家の娘として舞踏会や食事会に出席をしたことはあるけれども、大広間や食堂には行かずに庭や建物内をウロウロして時間をつぶしていた。
お父様とお姉様が、そうするよう言ったからである。
わたしの頼もしき親友のディアナさんは、元皇宮の副メイド長だけあり、おろおろしているわたしにいろいろアドバイスをしてくれた。
だから、着々と準備は整った。
そんな中、衣服を扱う皇族御用達の商人から、第二皇子とお姉様の噂を聞いた。
第二皇子が複数の貴族令嬢と深いお付き合いをしているのが発覚し、お姉様との間でずいぶんともめているらしい。
その二人も、当然舞踏会に出席するそうである。
そして、舞踏会の当日がやって来た。
ボリスさんは第三皇子の護衛として、ディアナさんはわたしの侍女として、いっしょに行ってくれるという。
心強いかぎりである。
いよいよ、屋敷を出発するときがやってきた。
カイル様は、屋敷のエントランスで待っていてくれている。
なんてこと。夕焼けの真っ赤に射し込む陽の中、カイル様はキラキラと真っ赤に輝いている。
正装姿が格好良すぎて、めまいを覚えてしまう。
半年以上前にランバート家の屋敷で初めて彼を見たときのことを、ふと思いだしてしまった。
心身ともに立派になったカイル様を誇らしげに思うとともに、もうそろそろわたしはこの屋敷から出てゆくべきなのだ、と寂しさを覚えた。
いまのカイル様なら、貴族令嬢たちは放ってはおかない。言い方は悪いけど、カイル様にとってはよりどりみどりのはず。
わたしがこのままここにいては、あらぬ噂が立ってしまってカイル様の評判を傷つけてしまう。
いまのカイル様は、前途有望な皇子でいらっしゃるのですし。
やわらかい笑みでわたしを見ているカイル様を見つつ、わたしは決心をした。
この舞踏会が終わったら、ここをお暇しよう。カイル様の前から消えよう、と。
「ミホ、とってもきれいだよ。ドレスが負けてしまっている」
カイル様は、お世辞を言ってくれた。
皇族の獅子の紋章が入っている四頭立ての馬車が、皇宮に向けて出発した。
足を一歩進めるごとに、恥ずかしさで身も心も小さくなってゆく。
皇宮の大廊下はもちろんのこと、大広間にいるすべての貴族たちが、カイル様に注目している。
彼の腕にすがりつくようにして一歩一歩進んではいるけれど、それらすべての眼差しが徐々に耐えきれなくなっている。
カイル様には羨望の眼差しが、わたしには嫉妬の眼差しが、それぞれ向けられていることを痛感する。
大広間の最奥部に設えられている玉座に、皇帝陛下がいらっしゃる。
まずは、皇帝陛下にご挨拶しなければならない。
だんだん気分が悪くなってきた。
「ミホ、大丈夫かい?心配しないで。ぼくがついている。だけど、ぼくも緊張している。きみの力を貸してほしい」
カイル様は、歩きながらそうささやいてやわらかい笑みを見せてくれた。
そのやわらかくあたたかい笑みで、ほんの少し気分が落ち着いた。
一瞬、人々の間にお父様の顔が見えた。
横目で見てみると、口をポカンと開けてこちらを見ている。
そして、玉座の前に至った。
皇帝陛下の尊顔を拝するのは初めてだけど、面をわずかに伏せたまま上目遣いに見ると、その尊顔はずいぶんと疲弊している。
皇帝陛下は、いまはこちらではなくわたしたちの反対側にいる第二皇子たちに尊顔を向けられている。
その視線を追うと、第二皇子と貴族令嬢が何名かいる。
その中の一人がお姉様である。
驚いてしまった。
きらびやかなドレスで着飾ってはいるものの、顔がすっかり老け込んでしまっている。しかも、太ってしまっている。
以前から必要以上に丹念にお手入れをされているけれど、疲れきっていると言うか苦労しつくしていると言うか、とにかくとんでもない顔になっている。体は、控えめに言ってもぶよぶよしている。
「この際、はっきりなさってください。ランバート侯爵令嬢とは婚約破棄をされるとおっしゃいましたよね?」
名前も爵位も知らない貴族令嬢が声高に叫ぶと、周囲の貴族令嬢が大きくうなずいた。
「わかっている。今夜、この場でするつもりだったんだ。ミホ・ランバート侯爵令嬢、今夜かぎりで婚約を破棄する」
「なんですって?浮気に浮気を重ねているのを許してきたというのに、いまさら婚約解消ですって?」
「そうだ。だいたい、きみは美しくない。鏡を見たことがあるのか?そんな容姿で第二皇子の婚約者が務まるとでも思っているのか?とんだ勘違い女だな」
「だれのせいでこんな容姿になったと思っているのよ。さんざん悩ませられ、ストレスで食べまくってこのありさまじゃない」
なんてこと……。
というか、お姉様は未だにわたしの名を騙っているわけ?
あいかわらず自分勝手なお姉様よね。
でも、いずれにせよ、お姉様は自業自得ね。
そのとき、そのお姉様と目が合った。
「ミホ、その男前は?もしかして、第三皇子?あの白豚?ずいぶんと化けたものね。ミホ、あなた自身も魔法でも使ったのかしら?ちょうどいいわ。あなた、婚約破棄されたわよ。だから、わたしに返しなさい。もともと、その男前はわたしのものだったんですから」
お姉様は、そう言ってからキャハハッと笑声を上げた。
頭のネジが外れてしまったとしか言いようがない。
お姉様のあまりの身勝手さに、たじろいでしまいそうになった。
そのとき、カイル様がそっと手を握ってくれた。
そのあたたかみに力づけられた。
カイル様は強くなられた。
わたしも変わらなければならない。
カイル様を侮辱し、蔑んだお姉様に一言言ってやるべきだ。
「お姉様、あいかわらず身勝手ですね。半年前、あなたが自ら交換しろとおっしゃいました。そしていま、自分が婚約破棄をされたからといってまた交換しろ、ですって?お断りします。カイル様は、あなたとは不釣り合いです。カイル様には、あなたのような女は毒にしかなりません」
せいいっぱいがんばった。できるだけ強気に感じられるよう、それこそ勇気を総動員して虚勢を張ったつもり。
ちょっとだけ快感である。言ってやった、という爽快感が湧いた。
「なんですって、この忌み子っ!忌み子のくせに生意気なのよ」
お姉様は、途端に気色ばんだ。
「やめろ。彼女を侮辱するのはぼくが許さない」
そのとき、カイル様がわたしをかばうようにして前に立った。
「陛下。このような場で申し訳ございません。しばし、ぼくに時をいただけないでしょうか?すぐにすみます」
カイル様が顔だけ皇帝陛下に向けてそう願い出ると、皇帝陛下は鷹揚にうなずかれた。
「ナオ・ランバート侯爵令嬢。きみとの婚約をたったいま破棄する」
そして、カイル様はお姉様との婚約を破棄された。
お姉様は、こちらが哀れになるほど取り乱されている。
「ミホ・ランバート侯爵令嬢、ぼくと婚約をしてほしい。ぼくは、きみに婚約を申し出る」
カイル様は、わたしの前に片膝を折って大理石の床に片膝立ちになり、わたしに両手を差し伸べてそう言った。
一瞬、カイル様がなにを言っているのか理解できなかった。
「ミホ。初めて会ったときから、ぼくはきみのすべてに惹かれてしまった。きみはぼくの恩人でありかけがえのない女性、愛おしい女性だ。どうかこれからもぼくの側にいて、ぼくを支えてほしい」
徐々にその意味を理解しはじめた。
すべてを理解できたとき、そこでやっとわたしは自覚した。
わたしもまた、ランバート家の屋敷でカイル様に初めて会ったときから、かれに惹かれていたということを。
そして、彼を愛しているということを。
この舞踏会が終わったら、何も告げずに去るつもりでいた。
だけど、そんなことはしたくない。ずっと側にいたい。カイル様の身の回りの世話をするメイドとしてでもいい。
離れたくない。
そう心の中で想っていた。
だから、迷わなかった。
「はい。カイル様、よろこんでお受けします」
かれの両手を自分のそれで包み込み、そう答えていた。
「事情はよくわからぬが、めでたいことだ」
静まり返っている大広間に、皇帝陛下の上機嫌な声が響いた。
「めでたいついでに、公表しておこう。この度、第一皇子は病により皇位継承を辞退した。それにより、第三皇子であるカイル・レクターを皇位継承第一位とする」
「な、なんですと?父上、皇位継承はわたしではないのか?」
第二皇子が玉座に駆け寄り、異議を唱えた。
「貴様は廃嫡だ。理由は、申すまでもないな。たったいまも、騒ぎを起こしたばかりだろう?多くの貴族たちから直訴があった。貴様に泣かされ、自ら命を絶った令嬢もいるというではないか。女性だけのことだけではない。第二皇子という地位に甘んじ、国政の一つにも携わろうとせぬばかりか関心すら抱かなかった。一方で、第三皇子はずいぶんと功績をあげている。廃嫡にする理由としては、これだけで充分。貴様には、辺境の地の一部分をくれてやる。砂だけの何もない地だ。そこで自由気ままに生きるがよい。貴様はもう下がれ。顔も見たくない」
皇帝陛下の言葉を受け、第二皇子はおろおろと貴族令嬢たちを見回した。
だけど、貴族令嬢たちは後ずさりし、なにも言わずに踊りを中断して皇帝陛下の話に聞き入っている貴族たちの間に消えた。
「ミホ……」
「冗談じゃないわ。わたしはミホじゃないし。第二皇子じゃないあなたなんて、ただの女好きの下種野郎よ」
「なんだと、このあばずれめ」
お姉様と第二皇子が怒鳴り合っている。
どちらもどちらよね。
でも、元第二皇子様。お姉様のことをミホって呼ぶのはやめていただきたいですわ。
「というわけでカイル、そうそうに皇宮に戻るよう。美しい婚約者とともにな」
皇帝陛下の疲れきった顔に、一瞬だけ父親としての表情が垣間見えた。
「承知いたしました」
カイル様と同時に頭を下げた。
「もうっ、じれったいったらありませんよ。とっくの昔に婚約者であるべきだったのです」
馬車に戻るなり、待ってくれていたディアナが言った。
「でも、おめでとうございます」
それから、彼女はわたしを抱きしめてくれた。
彼女も皇宮に来てくれるという。そして、ボリスさんは、カイル様の側近として復帰するという。
「ミホ。わたしたち二人の最初の仕事があるんだ」
馬車に乗りこもうとしたところで、カイル様が言った。
「ディアナとボリスに子どもが授かったんだ」
「なんですって?」
「だから、きみとぼくとで名前を考えたいんだ」
ずいぶんと気の早い話であるけど、カイル様らしい。
でも、いい考えだわ。
「女の子と男の子、どちらも考えたい。いいかな?」
「もちろんですとも」
快諾してからディアナに抱きついてしまった。
「ディアナさん、おめでとうございます。とってもうれしいわ」
「ありがとうございます。ミホ様も、おめでとうございます」
二人で抱き合った。
いろんなうれしいことでうれし涙があふれてくる。
カイル様たちと出会ってから、ずいぶんと笑い、泣くようになった。
そのカイル様は、ボリスさんと握手をかわしている。
「さあ、ミホ様。抱きしめる相手がちがいます」
ディアナさんは、そう言ってわたしから離れてしまった。
「ミホ」
その代わりに、カイル様がわたしを抱きしめてくれた。
「婚約をしてくれてありがとう。きみのお姉さんに感謝しなければね」
「はい。身勝手で傲慢な姉でよかったです」
カイル様の胸元から彼の顔を見上げ、二人で笑った。
「いまですよ、いま」
「そうです。いまこそ、です」
ボリスさんがディアナさんの肩を抱き、二人で同時に言っている。
何が『いま』なんだろうと思っていると、カイル様がやさしい笑みとともに顔を近づけてきた。
「ミホ、愛している」
「カイル様、わたしも愛しています」
そうささやき返した瞬間、カイル様の唇がわたしのそれをふさいだ。
白豚皇子と忌み子と蔑まされたわたしたちだけど、だれよりもしあわせになれた。
人生と縁って、時としてとんでもない驚きを与えてくれるのね。
(了)




