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わたしたち、変わります

 カイル様の住む屋敷の管理は、騎士団員の一人として活躍し、少し前に引退した騎士とその奥さんが住み込みでしているらしい。


 もちろん管理の中には、カイル様の身の回りのお世話も含まれている。


 馬車があるので、結局、どこにもいけなかった。かといって、皇都をずっと歩きまわるわけにもいかない。


 だから、彼の住む屋敷に向かうことになった。


 元騎士のボリス・バーレクは、筋肉質のカッコいい男性である。


 元騎士団員と聞いていたので、てっきり老人かと思っていた。想像より若かったので驚いてしまった。

 ボリスは、数年前の戦争で片眼の視力を失い、引退を決意したらしい。


 奥さんのディアナさんは、ボリスさんとはひとまわり以上年下である。元皇宮の副メイド長を務めていて、ボリスさんとは皇宮で知り合い、恋に落ちたとか。


 そして、彼女は皇宮でカイル様の唯一の味方であったらしい。


 カイル様は、バーレク夫妻がその屋敷の管理をすることになったと知り、そちらに移り住む決意をしたという。


 つい最近、移って来たばかりらしい。


 バーレク夫妻は、まずわたしを見て驚いた。それから、笑顔で歓迎してくれた。


「まぁっ、まさかカイル様が?」

「よかったではないですか、カイル様」


 二人は、きっと勘違いしている。

 わたしのことを、姉のナオ・ランバート、つまりカイル様の正統な婚約者であると。


「いや、彼女はちがうんだ。ぼくは、ナオにフラれてしまった」


 この屋敷自体ずいぶんと古いけど、中にある家具や調度品はさらに古いみたい。


 居間を見渡しても廊下を歩いていても、どれも歴史を感じさせてくれる。


 でも、なにか落ち着く感じもする。


 カイル様は、ローテーブル上の紅茶とサンドイッチ、それからケーキにクッキーを見下ろして悲し気に夫妻に伝えた。


 バーレク夫妻は、お互いの顔を見合わせた。


「彼女は、ナオの双子の妹さんでミホ・ランバートだよ。彼女は、ぼくを憐れんでここまできてくれたんだ」


 それから、彼はさらに悲し気に言った。


「なんてこと……。カイル様、どうかお気になさらずに。カイル様のことをわからない女性なんて、こちらから願い下げです。カイル様からナオ様の話をきくたびに、ぜったいにカイル様とは合わないって思っていました」

「おいっ!ディアナ、やめないか」


 ボリスさんが、わたしに気を遣ってディアナさんのシャツの袖をひっぱった。


「ボリスさん、いいのです。わたしもディアナさんとおなじことを思っています。姉はカイル様の婚約者という以前に、人として許せないことをしています」


 カイル様のうしろに立つ二人に言ってから、カイル様と視線を合わせた。


「カイル様、わたしはあなたを憐れんでいるわけではありません。あなたとお話がしたい。あなたのことをもっと知りたい、と思っているからこちらに参りました」

「やだ、ミホ様。本当に、本当にそう思っていらっしゃるんですか?でございましたら、どうかカイル様とお付き合いしてください。カイル様はおやさしいし、他人(ひと)の痛みをよくわかっていらっしゃいます。だれかさんなんかより、ずっとおやさしいんですよ」

「お、おい、わたしだってやさしくしているぞ」

「あんたより、カイル様の方がずっと、ずーっとおやさしいのよ」

「そ、そんなあ……」


 元騎士団の騎士も、ディアナさんにはタジタジのようである。


 思わず笑ってしまった。


 すると、カイル様もクスクス笑い始めた。


「カイル様が、笑っていらっしゃる」


 ボリスさんが感動している。


 ディアナさんが教えてくれた。


 かれは、皇宮にいるすべての人に蔑まれ、無視され続けた。いつも他人の顔色を窺い、怯えていた。悲しみと不安で、いつも暗い表情をしていた、と。


 この屋敷に来て少しだけマシにはなったものの、それでも婚約者であるナオに怯える毎日をすごしていたらしい。


 二人がカイル様の笑顔を見たのは、初めてという。


 彼女からその話を聞き、胸が痛んだ。


 つい自分自身になぞらえてしまうが、その孤独や絶望はわたしにわかるわけもない。


「ディアナ、いいんだ。いまのぼくにはきみたちがいる。それに、ナオにフラれたからもう彼女に会わずにすむ。これからは、静かにすごすことにするよ」

「カイル様……」


 バーレク夫妻は、また顔を見合わせた。


「そうですね。そんな嫌な女のことなんて、あ、失礼いたしました。とにかく、ここでゆっくりされるのがいいでしょう。本当は、婚約者といっしょにすごしていただきたいのですけれども」

「おい、ディアナ」

「だってそうでしょう?カイル様は、だれよりもおやさしくって男らしいのです。それを、ちょっと太っていたりお母様の出自のことだけで皇宮であんなあつかいを……」

「ディアナ、いいんだよ。きみがいてくれた。きみとボリスのお蔭で、ぼくは生きていられている。ぼくのほうこそ、きみたちに謝罪しなければならない。ぼくに関わったばかりにディアナ、きみは皇宮にいられなくなったのだから」


 ディアナさんはカイル様のお世話を親身にしたばかりに、ほかのメイドたちに意地悪をされ、皇宮にいられなくなったというわけね。


「なにをおっしゃるのです。ボリスが戦場でヘマをして騎士団を辞めなきゃならなかったので、ちょうどいい機会だと思ったからです。ちょうどこの屋敷の管理人の話も舞い込んで参りましたので」

「そうですよ、カイル様。あなたはあなたらしくなさるのが一番です。これからはなんの気兼ねをすることなく、ここでのんびりすごしてください」


 ディアナさんとボリスさんは、本当にいい人たちね。


 カイル様の唯一の救いだわ。

 ディアナさんがいなければ、カイル様はもっとつらい目にあったに違いない。


「カイル様、サンドイッチやクッキーをお召し上がりください。ミホ様もどうぞ」

「ありがとうございます。今朝は、朝食を食べてなくってお腹が減ってしまっています」


 ちょっと遅い昼食ですね、と付け加えると、ディアナさんは笑った。


「これは昼食ではありません。間食なのです」


 なんですって?


 彼女の言葉に、ローテーブルの上にある食べ物の数々を唖然と見回してしまった。


 なるほど……。


 それから、妙に納得してしまった。


「カイル様?どうかされましたか?」


 無数といってもいいほどの食べ物を前に、カイル様はそれらを眺めるだけでまったく動こうとしない。


「ディアナ、すまない。食べられそうにないんだ」

「ええ?お体の調子でも悪いのですか?」

「ディアナ、それはないだろう?カイル様は熱があろうが腹が痛くなろうが、毎日三食プラス間食を二回召し上がられるのだから」


 ボリスさんの言葉もまた、衝撃的である。


 ということは、カイル様はこれほどの量を一日に五回食べているわけ?


 健康によくないわ。


「なんだか胸が痛くて……」

「カイル様、いつからですか?もしかして、心臓が……」


 思わず長椅子から立ち上がっていた。


 この体格なら、心臓に負担がかかっていてもおかしくはない。


「ミホ。きみと会って話をしながらここに来る途中からドキドキし始めて、それから痛いというか詰まっているというか、とにかく食べ物は口に入りそうにない」


 頬は赤みが差しているので、顔色が悪いということではなさそうね。


「いやですよ、カイル様。驚かさないでください」

「そうですよ。もうすこしで医師を呼びにいくところでした」


 バーレク夫妻は、同時に笑い始めた。


 カイル様もわたしも、夫妻がなぜ笑っているのかわからない。


「それは、医師では治せない病です」

「そうです。そして、男性でも女性でもかかってしまう共通の病なのです。それは、本当に好きな人が出来たときにかかる「恋の病」というのです」


 このときのディアナさんの言葉は、どんな有名な医師よりよほど的確で自信に満ちていた。


 わたしは、このときの彼女の言葉を一生忘れられないだろう。



 カイル様とバーレク夫妻に、包み隠さずすべてを話した。


 わたしの生い立ち、お父様やお姉様から憎まれ蔑まれていること、第二皇子のこと。そして、屋敷を出て一人で暮らそうかと思っていること。働くつもりであること。


 サンドイッチとケーキとクッキーをいただいてから、それらのことを一気に話をした。


 話をしたというよりかは、愚痴ったと言った方がいいかもしれない。


 カイル様たちは、わたしの愚痴を辛抱強く聞いてくれた。


「どうだろう。それならば、この屋敷に来ないかい?」

「カイル様。いいお考えですが、さすがに婚約者と同じ屋根の下ですごすというのは……。皇宮であらぬ噂が立つかもしれません」

「ぼくはどうせ嫌われ者だ。だから、いまさらなにを言われてもいい。だけど、ミホはそうはいかないからね」

「そうですわ。ミホ様、わたしたちの棟にいらっしゃいませんか?この本棟とは別に別棟があるのです。わたしたちは、そこで生活をしています。別棟は、もともと使用人のために本棟より後に建てられました。正直を申しますと、本棟より新しくて居心地がいいのです。部屋もたくさんあまっていますし」

「それはいい考えだ。さすがはわが愛する妻」


 ディアナさんのアイデアを、ボリスさんがべた褒めしている。

 

 本当に仲のいいご夫婦ね。


「たしかに、それならばだれにも文句は言われない。ミホ、どうだい?」

「わたしのような者がお邪魔して、本当にいいのでしょうか?」


 とてもいいお話ではある。


 だけど、カイル様たちにご迷惑ではないかしら。


「わたしのような者?ミホ、きみは、その、とっても素敵だよ。ぼくらは大歓迎だから。それに、きみがいてくれると、ぼくもヤル気がでてくる」

「ヤル気?カイル様、なにをされるんですか?」

「ちょっと痩せようかな、と」

「まぁ……。カイル様、いままでどれだけ皇族の方々にからかわれても一度だって痩せたい、なんておっしゃらなかったのに……。ちょっとボリス、あなたも見習いなさいよ。ムダにおかわりばかりして、食費がどれだけかかっているのかわかっているの?」

「な、なんだよ。失礼なことを言うな。それにしても、カイル様。それはいいことです。ねぇ、ミホ様?」

「ええ。食べること自体はいいことですけど、食べすぎは健康を害してしまいます。食べる量を極端に減らすというのは、カイル様にもご負担でしょう。無理のないようにされたらいかがでしょうか?食事の量を減らすだけでなく、バランスのいい食事をすることも大切です。それだけではなく、体を動かすのもいいかもしれませんね。カイル様は、わたしの屋敷まで歩いて往復されていらっしゃいましたので、体を動かすことが大嫌いというわけではありませんよね?食事のコントロールと運動とで、健康的に痩せるというのが理想的です」

「よく知っているんだね」

「すごいですね」


 カイル様とディアナさんが褒めてくれた。


「図書館の本の受け売りです。そうだわ。ディアナさん、わたしに家事を教えていただけませんか?屋敷を出て、どこかでメイドとして働けるだけのスキルを得たいのです」

「ええ?それはかまいませんが……」


 というわけで、わたしはその日からカイル様のところに厄介になることにした。


 ランバート家に戻ってなけなしの荷物をまとめ、特にだれにも告げずに屋敷を出た。


 わたしがいなくなってもどうせ気がつかないでしょうから。気がついたとしても、せいせいしたという程度にしか思わないでしょうから。


 ボリスさんに付き合ってもらい、その帰りに大図書館によった。そこで、栄養学やレシピの本を貸してもらった。


 カイル様がムリなく痩せられるよう、レシピを研究するためである。


 カイル様ががんばるのなら、わたしもがんばらなければ。


 屋敷を出、しっかりと地に足を着けて自分の力で生きていく。


 ずっと抱いてきた夢である。


 最初の第一歩は踏みだせた。


 前進あるのみ、よね。



半年後



 カイル様の肥満の原因がストレスにあることが、ダイエット作戦を開始してからすぐにわかった。


 皇宮で蔑まれ、言葉や肉体的な暴力を受けるたびに口に食べ物を詰め込んだ。それが繰り返されると、口に何か入っていないと不安になってしまう。


 だけど、半年前からカイル様の心の負担がずいぶんと減った。精神的にもラクになった。


 食事の量、栄養のバランスのいい献立、食事は四人で楽しく摂る。しっかり噛んで飲み込むことも大切なこと。


 笑顔と笑い声の絶えない食事も効果があるのでしょう。


 食事とは別に、カイル様はあの日からボリスさんに剣術の指南を乞うことになった。


 体を動かすことも大切だからである。


 だったら、ちょうどいい先生がいる。


 ディアナさん曰く、ボリスさんは「一応、騎士団の三騎士と呼ばれる中の一人だったらしい」だそうである。


 一方、わたしはあの日からディアナさんにいろいろ教えてもらっている。まだまだだけど、自分の面倒が自分で見ることができるようにはなった、と信じている。


 剣と剣のぶつかり合う音が庭に響き渡っている。


 バラが咲き乱れ、庭に豊潤なにおいが満ちている。


 ディアナさんがローズティーとローズジャムを作りませんかと誘ってくれたので、その花びらを摘んでいるところである。


 紅茶は乾燥させる方法と、そのままお湯を注いで蒸らす方法がある。


 ピンク色のバラの花を茎から外し、手提げカゴにいれる。つぎは、真っ赤なバラをカゴにいれる。


 カゴから視線を上げ、咲き誇るバラの向こう側で剣の稽古をしているカイル様とボリスさんへと視線それを向けた。


「ボリス、だめじゃないか。手加減は無用だ」

「手加減なんてしていません。あなたが強くなっているのです」


 二人は、そんなことを言いながら真剣に打ち合っている。


 二人は、それからもしばらくの間稽古を続けていた。


「カイル様、そろそろおしまいにしましょう」

「そうだね。汗をかくって気持ちがいいな」

「今日は、お昼から隣国の外交官との折衝ですね」

「ああ。できるだけ穏便にすませたいよ」


 四人で庭の東屋でローズティーを楽しんでいる。


 カイル様は、お皿に盛られているクッキーには目もくれず、ブドウを一つ二つつまんだだけである。


 クッキーは、わたしたち三人でいただく。


「カイル様、もう慣れましたか?」


 テーブルの向こうのカイル様に尋ねた。


 彼の変貌ぶりは、驚嘆以外のなにものでもない。


 顔と身体のいらない肉が、ごっそりなくなってしまった。カイル様の顔の造形は、もともときれいなのである。肉のなくなったその顔は、まるで彫刻や絵画のように美しい。肩まであるきれいな金髪は、うしろで一つにまとめている。


 体は、贅肉が落ちて筋肉質になった。毎日の剣の鍛錬に加え、屋敷の周りを走っている。それらの努力の賜物にちがいない。


 変貌ぶりは、なにも容姿にかぎらない。


 性格もすっかり変わってしまった。


 引っ込み思案で控えめで臆病だったのに、自信に満ち積極的になった。


 このダイエットは、カイル様の心もいい方向に変えたのである。


 もちろん、やさしく思いやりがあって気配り満点なところは、以前のままである。


 カイル様は、自信がつきはじめたころにお父様、つまり皇帝陛下に願い出て国務に携わりはじめた。


 とはいえ、目立つことの嫌いなカイル様は、自ら外交を担当することを申し出、諸外国との折衝にあたっている。


 カイル様は控えめに言っても頭の回転が早く、臨機応変に対処できる器用な方。これまで外交官たちが解決できなかったもろもろの事案を一つ一つ丹念に丁寧に解決され、功績を積み重ねていらっしゃる。


 そんないきいきとしているカイル様を見ていると、誇らしくなってくる。


 わたしですらそうなのだから、カイル様のことを弟のように思っているバーレク夫妻の有頂天ぶりといったらもう、大変な状態である。


「ミホ。急なんだけど、五日後に皇宮で皇帝陛下主催の舞踏会が開かれるんだ。公表することがあるので、必ず参加するようにと仰せつかったんだ。その……。ミホ、もしも迷惑でなかったら、ぼくといっしょに参加してもらえないだろうか?」


 わたしに対してモジモジするところは、会ったときとあまり変わらない。

 わたしもまた、彼に対して照れてモジモジしてしまうことがある。


「ですが、カイル様とわたしとでは釣り合いません。わたしなど、到底同行できそうに……」

「そんなことはない。きみは、もっと自分に自信を持たなきゃ。きみは美しいよ。最近は手当てをもらえるようになっているし、きみのドレスや靴を用意できる。ミホ、お願いだ。ぼくを助けると思って、いっしょに行ってくれないかい?」


 カイル様の剣幕に驚いていると、隣に座っているディアナさんがテーブルの下でわたしの手を握ってきた。


「カイル様、よろこんで同道させていただきます」


 本当にいいのかしら?と思いつつ、そう返事をした。


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