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2センチ目「スニーキングミッション」

 階段を降りると、リビングにはすでに起きている姉の姿があった。ダイニングテーブルに着座して、コーヒーをすすっている。自分の弁当を作って職場に持っていくから、姉の朝はいつも早いのだ。


「おはよう、紫央姉」


「おはよう、(くう)。今日は早いじゃん」


「ま、まぁね」


 目が覚めたら美少女がベッドに上がり込んでいました、なんて口が裂けても言えるわけがない。俺は作り笑いを浮かべながら、姉の対面に腰かけた。


「朝ごはん、まだ起きてこないと思ってたから作ってないよ」


「うん、いいんだ。自分でやるから」


「へぇ、珍しいこともあるもんだ。いつもはギリギリまで寝てるのに」


「今日はなぜか目が覚めちゃったんだよ。たまにはそういうこともあるだろ」


 感心する姉を尻目に、俺はキッチンへと向かった。牛乳をコップにくみ、食パンをトースターにセットし、食器棚から丸い皿を取り出す。

 トーストが焼き上がるまでには少し時間がかかる。俺はダイニングテーブルへ戻って再び腰かけた。


 作業を終えて一息着いた俺を、姉は(いぶか)しげにじろじろと眺めてきた。なにやら思うところがあるらしい。


「あんた、何かあったね?」


「えっ?」


「早起きしてみたり、朝から変にばたついてみたり――あ、分かった!」


 ドキリとする俺に向かって、姉は思いもよらない一言を言い放った。


「もしかして、彼女できた?」


 突拍子もない言いがかりに、俺は口に含んでいた牛乳を吹き出した。しかも女絡みの事件という意味では当たらずとも遠からずというのが、姉の観察眼の恐ろしいところだ。


「バカ、そんなわけないだろ!」


「若いうちからお盛んなのは悪いことじゃないとあたしは思うけどね。あんたならその辺、最低限は弁えてると思ってるし?」


「だから違うって!」


「ふぅん? ま、話せるようになったら話してちょうだいよ。協力は惜しまないからさ」


「……考えとくよ」


 俺はわざとぶっきらぼうに返したが、それでも姉はにやつきながら自室へと向かった。おそらく、スーツに着替えるつもりだろう。


 俺たちの両親は、二年前に事故で亡くなった。それ以来、姉がこの家の稼ぎ頭だ。


 当時高校生だった俺も就職しようとしたが、姉はきっぱり「大学に行け」と言った。

 結局、親の貯蓄を切り崩したり奨学金を借りたりして、なんとか学費を工面することによって、俺はいま大学に通うことができている。

 だから、俺は姉には頭が上がらないのだった。


 とはいっても、それとこれとは話が別だ。あの少女が姉に見つかれば必ずや大事になり、この家にいる理由をしつこく問いただされるだろう。あの少女の人格の幼さを考えると、それだけは避けたい事態だった。


 姉が着替えに行っている間に少女を家の外へ逃がすべきか?いや、それとも姉が出かけるまで待って、それからゆっくりと家を出るべきだろうか?


 そんな風に考えていると、肩をちょんちょんと突かれて、俺は振り返った。


「クウ、おなかすいた……」


「わーっ!!!」


 思わず大声を出してしまい、俺は慌てて口を塞いだ。だが、時すでに遅し。階段を降りてくる音がして、俺の全身から冷や汗が噴き出した。


 少女は事態の深刻さに気づかず、きょとんとした顔で俺を見つめている。

 姉が一階に戻ってくる前に、この少女をどこかへ隠さなければならない。俺は懊悩(おうのう)の末、少女の手を掴んでキッチンのカウンターの裏に連れて行った。


「ここで隠れててくれ!」


「なんで?」


「かくれんぼだよ! 俺がいいっていうまでここで静かに隠れるの! オッケー!?」


「オッケー」


 少女は小声でそう言うと、カウンターの裏にしゃがみ込んで見えなくなった。

 それと入れ違うように、階段からスーツ姿の姉がひょっこりと顔を出す。


「どうしたの、急に大声出して? ゴキブリでも出た?」


「な、なんでもない! ほら、テレビに好きな女優さんが出てたからさ! びっくりしたわけ!」


 とっさに指差した先には、ドラマの番宣でゲストとして招かれた人気女優が映っていた。


「その女優、あんまり好きじゃないってこの前言ってなかったっけ?」


「最近好きになったんだよ! もう大好きでしょうがない!」


「ふぅん? あんたの趣味、コロコロ変わるのね」


「えへへ……」


 不思議そうに俺の方を見つめながら、姉はなぜかキッチンの方へ向かっていく。俺は慌ててそれを遮った。


「キッチンになんか用!?」


「えっ、うん。お弁当取ろうと思って」


「あっ、そっかぁ! 俺が取るよ! トーストもちょうど出来上がったみたいだし! 紫央姉は座ってて!」


 俺は椅子を引くと、姉を半ば強引に座らせた。


「ありがとう。それにしても、今日はやけに元気だねあんた」


「そりゃもう、早起きするくらいだからね! 元気ビンビンよ!」


「変なの」


 姉はクスリと笑うと、テレビを眺め始めた。俺は胸を撫で下ろしながら、キッチンへと向かう。


 気になって少女の方をちらりと見ると、楽しそうにこちらを見返してきた。言い聞かせた通り、遊びの最中だと思っているらしい。そのままじっとしていてくれ、と願うばかりだった。


 トーストを乗せた皿と、調理台の上に乗せてあった赤い包みを手に取ると、俺は姉の下へ向かった。


「はい、お弁当」


「うむ、お勤めご苦労であった」


「なんだよそれ。俺は丁稚奉公(でっちぼうこう)の小僧じゃないぞ」


「まだ学生でしょ? 小僧もいいとこよ」


 紫央姉は俺の頭を小突くと、かばんに弁当を入れてから玄関へと向かった。


「それじゃ、行ってくる。あとよろしくね」


「あいよ」


 玄関のドアがばたりと閉まるのを見届けた俺は、その場にへなへなとへたりこんだ。その音を聞いた少女が、フローリングをパタパタと足音を立てながら駆け寄ってくる。


「かくれんぼ、成功した!?」


「ああ、おかげで大成功だよ」


 疲弊しきった俺が見上げると、少女は満面の笑みを見せるのだった。

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