足柄のお山の金太郎
『金太郎』
雪の降る美作の国でのこと、
「坂田さま、坂田さま。
外は、お寒うございますよ。
庵の中に入って、温めまって下さいな。
火鉢に炭を足しときましたよ」
振り返れば、そこには、この庵を管理している住職の娘の姿があった。
「すまんな、庭に白兎がおったから、この辺りの話でも聞こうとしたんじゃが…」
「坂田さま。
兎は、何も話しませんよ。
射られた時に、キーッと鳴くだけですよ」
「まあ、そうじゃな…。
今も、もう何を言っとるかも、わからんかった。
足柄のお山では、何でも話せてたもんじゃが…」
大雪のため、美作の国で往生していた坂田公時は、この頃、頻繁に昔の事を、思い出していた。
…
「思えば遠くへ来たもんじゃな。
お山を出てから45年、この先どこまでゆくのやら。
まあ、先ずは九州は筑紫くんだりまで、賊の征伐じゃ。
朝廷の偉い様がたも、この爺をよう働かすもんじゃ」
「坂田さま、坂田さま。
庵の中は、お寒うございませんか?」
「なに、都の底冷えよりマシなもんよ、
あれは、ほんとに心底堪えるぞ。
それに、儂が育った足柄のお山でも雪は降ったもんじゃ、
お山の家来たちと、よく裸足で雪合戦をしたもんじゃよ。
…懐かしいの。
足柄のお山から、煙を噴いてる富士のお山が良ー見えてよー、
本当に綺麗じゃったー。
裾野に広がる森でも遊んだもんじゃが、
富士のお山の天辺から回りを見渡すと、天下全てを見渡したようでなー、
何度も何度も登ったもんじゃ」
「坂田さまは、やんちゃ坊主さまだったのですね。
坂田さま、足柄のお山は、どんなお山ですの?」
「あー、場所は、都を隔てて東の方で、ここと同じぐらいの距離かの。
そこは旅のものには険しい難所での、
高い山が前にそびえ立ち 深い谷が後方を支え、雲が山をかすめて流れ 霧が谷に立ち込める。
山の切り立った険しい絶壁ばかりで、崖に張り付くように作られた木の道と、
昼でもなお暗い杉並木の、苔むして滑りやすく曲がりくねった小道を進む。
と、謡われとるそうじゃ。
まあ、儂にとっては楽しい遊び場じゃったがの。
熊に跨って、雲海にけぶる万丈の山を駆け、千仞の谷を駆け降り、
切り立った峠で、兵どもとの相撲を万回繰り返し、
旅のものが往生しておれば、マサカリ担いで橋を架けたり、道を作ったりじゃったのー」
「坂田さまは、ほんとに、やんちゃ坊主さまだったのですね」
「まあ、ここほど雪は降らんが同じように美しいところじゃよ」
「坂田さま、坂田さま。
ここ美作の国でも、こんな大雪めったに降りませんよ」
「それは良かったことか、悪かったことか。
ああ、また、足柄のお山から、富士のお山を見たいものじゃのー」
「坂田さまが、そんなに元気なら、また見れますよ。
故郷は、いいものですものね」
「良い事を言う娘さんじゃのー。
どうじゃ?
儂の孫の嫁に来んか?
息子の金平の子が、いい年なんじゃがな」
「金平さまは、都の人ですか?」
「そうじゃな」
「私は、ここ美作で生きて、美作で死ぬ人間ですので」
「ああ、悪い事を言ったようじゃな娘さん。
爺の戯言にしてくれると助かるのじゃが…」
「はい、坂田さま」
「この娘さんは、孫には勿体無さすぎたようじゃの。
…
そうじゃな、あのお山で、生きて死ぬことも、儂は出来たんじゃな。
…
もう、母と会わぬと、誓って出たお山じゃ。
立派なお侍になると、別れを告げた家来たちじゃ。
あの12歳の選択を、間違いとは思わぬが…。
…
思い出すたびに、お山は遠く、美しくなって行くのー」
…
「坂田さま、坂田さま。
もう、お休みですか?
…
あら、
坂田さま、やんちゃで無邪気な寝顔なされて…。
夢の中で、足柄のお山に里帰りですか?
…
お休みなさいませ。
坂田さま」
坂田公時、幼名:金太郎。
寛弘7年12月、美作の国・勝間田荘(現在の岡山県勝央町)で病に没す。
享年57歳。
千年ほど、昔の話です。