第二幕 笛吹き男は語る、英雄の前奏曲
語り終えた狼は、沈んだ面持ちでティーカップを持ち上げる。
紅茶を口に含み、気持ちを切り替えようとしたところで、それは聞こえだす。
その場に合わない、嘲笑うかのような軽快な拍手。
それを鳴らす主は、若いとも老いてるとも判別できない声で、わざとらしく語り出す。
「いやはや、遅れてしまい申し訳ない。なにぶん急な仕事が入ってしまいまして。――そのお詫びとして、次の語り手は私が勤めさせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか? 皆様」
色とりどりの衣装を身に纏い、細長いケースを腰に着けた男が申し訳なさそうな顔をして、拍手と共に歩いていた。
だが彼は、その問いへの答えを待たずに、エラの前でゆっくりと跪き頭を垂れる。
「――此度はお招き頂き、心からの感謝を申し上げます。エラ王妃。つきましては私、ラッテンフェンガーの都合により遅参してしまった事への、罰は如何程に?」
「ご安心くださいませ、ラッテン様。この集いは自由に行っているもの。義務でもなければ、仕事でもありません。ですので、どうかお顔をお挙げください」
「寛大なご慈悲、痛み入ります。――さて、お久しぶりですねお嬢さん。相も変わらず君の愛らしさには、目が眩む程だよ」
「……ッチ」
エラとのやり取りを終えたラッテンは、次にリンへと言葉をかけていく。
その芝居がかった所作に、狼は舌打ちをするが、ラッテンは気にした様子もなく、少女への言葉を続けていく。
「是非とも機会があれば、君の光を灯させてみたいのだが……。ああ何ということか。その輝きが最も美しく光るのは、君の意思でのみその火を灯すこと。その幻想的な光景は、ワタシはいつになったら見られるのだろうか……」
「ごめんなさい、ラッテンさん。たぶん私のマッチのことを言ってるんだと思うけど、皆に火を点けないように言われてるの」
長々しく口上を垂れるラッテンに、狼は怒りを募らせていく。
その尻尾は乱雑に振られ、足の貧乏揺すりも顕著になっていく。
頬をつき敵意をむき出しにした視線に、やっと気がついたのか、ラッテンは最後に狼へ振り向く。
その表情はエラへ向けた敬意に満ちたものでも、リンへ向けた熱のあるものでもない。ただひたすら存在を嘲笑う、道化の笑み。
「やぁ、月蝕狼。――いや、敢えて『ヴォルフ』と呼んだ方が良いかな? 何にせよ、健在でボクも嬉しい限りだ」
「うるせぇよ、今最悪になった所だ。お前にだけはその名前で呼ばれたくねぇ。後、その訳分かんねぇのも止めろ」
「そうかい? では……。僭越ながら『狼殿』とお呼びしいたしましょう」
両手を広げて親愛を示すラッテンだが、狼の拒絶に肩を竦める。
「ああしかし、先程の狼殿の話には不肖ラッテンフェンガー。涙を禁じ得ないものが有りました。床に伏せる老婆と、残された幼き子供。――願わくば、彼らに希望と幸福があらんこと」
何かに祈りを捧げるラッテン。
狼はその苛つきを隠そうともせず、乱暴に盛られたサンドイッチを切り分けて口にしていく。
エラはその間にラッテンのお茶の準備を黙々と進めている。
リンは先程のラッテンの言葉の意味を理解していないのか、疑問符を浮かべながらも、サンドイッチの無くなった自分の皿へ、ケーキスタンドの中段にあるスコーンを移していく。
「それでは長らくお待たせしました、紳士淑女の皆々様。此度語るのは、私ラッテンフェンガーが、ある町を訪ねた時のお話です。現在我が愛国の誇る英雄たちが、その道を歩き出す前日譚となります。少々退屈だと思われますが、それが現実と言うものです。どうかご容赦の程をお願い致します」
自分の席へは座らず、そこから少し離れた場所で仰々しく礼をするラッテン。
不思議と周りの草花が拍手を送るような音を立てていく。それに乗じて、リンは元気よく拍手を送り、エラは静かに拍手を送る。始まりの喝采の中、狼だけは不機嫌そうに紅茶を飲んでいた。
腰にあるケースから細い縦笛を取り出して、ラッテンは自ら幕開けの旋律を奏でていく。
序曲が終わり、彼は全身を持ってその物語を表現していく――。
◆◆◆◆
あれは晴れでもなく雨でもなく、ただただ灰を敷き詰めたような曇りの日でした。
私、ラッテンフェンガーが衰えた王の為、町へ町へと旅をし、人々にその事実と共に復興を遂げる英雄を探し求めいる時でした。
川沿いのその町には、美しいステンドグラスを飾った教会があり、中々の賑わいを見せている町でした。
立ち寄った私は、それまでの旅の疲れが溜まっており、満身創痍と言わんばかりに鉛となった体を引きずっておりました。
衰えた王の為、一刻も早く英雄を見つけなくてはならない。そう思っていた私ですが、体は正直と言います。心ばかりが逸り、町に着いた途端その身を地面へと投げ出してしまいました。
――痛くなかったのか? そうですね。痛みを感じる間もなく倒れましたからね。起きた後には鈍い痛みはありましたが、問題はありませんでした。
「大丈夫ですか!? 誰か、水を持ってきてくれ! 人が倒れた!」
意識が闇に飲まれる前に聞こえた声は、それはそれは優しい町民の声でした。
雑多な賑わいの中で響くその声は、私にひと時の休息を与えてくれました。
意識の手綱を手放し、次に目を覚ました時には私は格安の宿のベッドの上。
介抱してくれたのは、宿の店主様と倒れた私へと声を掛けてくれた方でした。
「相当疲れが溜まってたみたいだな。今のうちに存分にその体を休めてけよ。――ちなみに、代金はしっかり払って貰うからな」
「申し訳ない、お言葉に甘えさせて頂きます。お金に関してはご心配なさらず。この通り、それだけはありのです」
そうやって私が荷物の中から革袋を取り出して、その事を証明する。
その際に私を助けてくれた男性が、眩しい笑顔を浮かべて言ったのです。
「俺がいなかったら、その金も無くなってかもしれないけどな。何にせよ、無事で良かったよ。目の前で倒れた人がそのまま死んだとあっちゃ、目覚めが悪すぎる」
彼の言う通りでした。道端で倒れなどしたら、野盗に襲ってくださいと言わんばかりの所業。
彼に救われた幸運を、私の胸には今でも刻まれています。
ああお嬢さん。君のそんな無垢な顔を、こちらで向けないでくれ。倒れた人を助けるのは当たり前? 残念ながら、君や彼のような者は少ないのだよ。
誰か言ってやって欲しい。君のようなフラフラしている者は、実に危険なのだと。
「ああ、しかし。どうお礼をしたら良いものか」
「そんなのいらねえよ。あんたが生きてるだけで充分さ」
「しかし……それでは私の気がすみません」
でしたら、お店のお手伝いをなさるのはどうでしょうか? ああ、それはいい案ですね。
ですが、当時の私には、そのような考えに至らず、思案を巡らせた答えは私欲を含めたものになってしまったのです。
今思うと相当愚かな考えですよ。
「私は、王を救う英雄を探す旅の途中だったのです。ですが、出会えました。――貴方こそがそうです。英雄とは、武こそが全てではありません。その優しさこそ、人々に必要なものです。ですから……」
「悪いな。仮にそうだとしても、俺はこの町を離れるつもりはない。俺は、一人の旅人を助けただけのただの人だ。国を救うなんてできない。――けどそうだな。あんた、見たところ笛を吹けるんだろ?」
彼の問いに、私は深く頷きました。
私は命の次に大切なこの、縦笛を肌身離さず持ち歩いていたのです。
そう言ってワタシは、手に持つ縦笛を高々と掲げる。
皆が静かに続きを待つ中、ワタシは囁くように一時の幕を引く。
「なら、あんた演奏を聞かせてくれよ。見ての通り、教会以外に自慢するところの無い町だ。娯楽が少なくてな。一曲とは言わない、あんたが納得いくまで、その音色を聞かせてくれないか?」
私は感動しました。歓喜と共に涙を流し、彼の提案を呑みました。
これはその時に奏でさせて頂きました、我が魂に刻まれた曲で御座います。見事その旋律を皆様に御届けを成せた際は、拍手後喝采の程を、どうか宜しく御願い致します。
左足を引き、合わせて左手に持った縦笛も背に移し、胸元に右手を添えて一礼をする。
こうして、幕間の間奏曲は庭園を包み込む。
あの時の人々のように、花々が踊り、木々は喝采の如くざわめき、鳥や虫はワタシに合わせ協奏曲を奏でる。
◆◆◆◆
間奏曲が流れる間、観客である三人はそれぞれの待ち方で、演奏の流れる時間を過ごしていく。
まずリンは満面の笑みを浮かべて、上下に分けたスコーンの上にベリーのジャムを盛大に載せていく。それをこれでもかと大きな口を開けて、サクサクと音を立てながら頬張る。
それを右手でティーカップを傾けながら見守る狼は、不満交じりの微妙な表情を浮かべるが、途中リンからジャムや紅茶、お菓子類の好みを聞かれ、そこまで甘味を好まないのか曖昧な答えを返すも、少し寂しそうな顔をするリンに、慌てふためいていた。
静かにそれを母親のように眺めているエラは、行儀の悪いリンを特に咎めず、時にリンのお菓子の話に乗り、リンの知らないお菓子を紹介したり、時に慌てて訂正を入れる狼へ、遠回しの助言をしたりなどをしている。
間奏曲の終わりが見え始めると、リンはラッテンへと向き直り、エラはそれを邪魔しない様にそっとお茶のお代わりを注いでいく。狼はため息を吐きながらも、椅子に寄り掛かり目を閉じる。
演奏が終わり、二つの拍手と共に次の幕が上がっていく――。
◆◆◆◆
私は一口、注がれた紅茶を口に含み、深呼吸をして語りを続ける。
時間が経ち、注ぎたてとは言えないが味わい深い茶葉の香りが、口の中に広がるのを感じ、自分でも分かる程、頬が緩む。
それでは我が英雄たちの前日譚。その続きとなります。
演奏が終わり喝采を一身に受けた私は、休息も兼ねて町へ数日滞在しておりました。
先日の演奏の事もあり、町の人々は私へとても良くしてくれました。どこへ顔を出しても笑顔で迎えられ、次はいつ笛を吹くのかと、称賛と催促を受けていました。
そんなある日、私は町一番の教会へ、ステンドグラスを拝見しようと立ち寄りました。
――そこで彼らと出会ったのです。
「ねえ、笛吹さん。貴方に付いていけば、王様の役に立てるの?」
始まりは、教会で祈りを捧げていた、一人の少年でした。
正義感の強い真っ直ぐな瞳。まだ大人と比べると幼さがあるとはいえ、同年代と比べると整った体つきをした彼は、私へそのような問いをしてきたのです。
まさか? ええ、そのまさかです。察しの良い方は素敵ですよお嬢さん。
そう。……彼が私の誇る英雄。その先駆者となった方なのです。
「……その保証は出来ませんが、ワタシが連れていく事を決めた方ならば、そう言えるでしょう」
「じゃあ、僕を……。俺を連れて行ってください!」
彼は本気でした。
何をやるのかも分からない、英雄の選定にその幼さで挑んだのです。
勇敢? バカ? お二方の言いたい事は分かります。当時の私も、そういった思いを抱きました。
本気だから、迷いは無いから、必ず成し遂げて見せる。……彼が実際に言った訳ではありません。ですが、その強い意志はそれら全てを内包していると言っても、過言ではなかったのです。
「アナタは何が出来るのですか? 武技に心得が? それとも豊富な英知が? その心意気は買いますが、アナタに何を求めればいいのです」
「……たぶん、貴方が求める物全て、俺は何一つ満たすような物は無いです。正直、今すぐにとは思っていません。ですから――」
ほんの僅かな溜めと、物音一つしない静寂。
期待の輝きが、答えを待つ静観が、茶番をただ待つ沈黙が。
その言葉が引き出されるのを待ち続ける。
「――ですから、貴方に鍛えて欲しいのです。導いて欲しいのです。俺は、貴方を先導者として師事したい」
真っ直ぐな、正義に燃える純真な瞳が私を捕えて離さなかった。
それでそれで? 英雄の師匠になったの?
同じく眩しい表情をこちらへ向けられ、ワタシは苦笑と共に否定する。
残念ながら、すぐにはその求めには応じませんでした。何しろ相手は子供。いくら本人がその気でも、他の者にも事情があるのです。
それを何度も彼に説明をしたのですが、聞き入れて貰えず。ついにその思いに屈し、応じたのです。
それからは、一切の予定になかった町への長期滞在となりました。
彼は決して天才ではありませんでした。ですが無才でも、ましてや凡才でもありませんでした。人より長けてはいましたし、必ず成し遂げる意思もあり、飲み込みは早かったのです。
次第に、私と彼の行いを見た者が集まり始め、その度に私は限りある知恵を振り絞りました。
そして、長い時を経て。私は130人の英雄を育て上げました。
これは私情ではあるのですが、私は彼らに一種の親心というものを感じています。
初めに出会った彼を中心に、私は王の下へと急ぎ向かいます。
王よ。これが私の見初めた英雄たちです。どうか、御眼鏡に適わん事を――。
これにて、我が英雄たちの前日譚は閉幕となります。紳士淑女の皆々様。御楽しみ頂けたでしょうか?
拍手喝采の中縦笛を構え、終曲を奏でていく……。
◆◆◆◆
心地よい夜風が吹く中、騒めく森の中を狼とラッテンは歩いていく。
後ろには白亜の城が遠のいていき、聞こえるのはラッテンの鼻歌と虫の小気味良い旋律のみ。
「いやはや、ボクの長話に付き合って貰って申し訳ないね、狼殿。まさか夜が更けるとは、思いもしなったのでね」
「ああ全くだ。茶番劇に付き合わされる身にもなってみろ」
「おや。あの話はお気に召さなかったかな?」
「ああ。――白々しいんだよクソが。あの話、全部嘘じゃないか」
悪態を吐く狼に、ラッテンはにこやかに笑う。
まるでその言葉を待ち望んでいたかのように――。
「何が英雄だ。化け物を生み出した悪魔め。お前をあの二人に合わせるのは、嫌なんだよ」
先に進むラッテンの背を、殺意交じりに狼は睨み付ける。
軽快な鼻歌は、なおも狼を苛立たせる。
「英雄を誘う笛吹き男、”死の舞踏”ラッテンフェンガー」
そう呼ばれ、振り向いたラッテンは月夜に照らされ張り付いた笑みを浮かべる。
「ああ、そう言えば。あの話には続きがありまして。――こちらはあのお二方がおりましたので、お伏せ致しました」
「そうかよ」
「実は、正確には英雄は132人だったのですよ。しかし残りの二人は目が見えぬ子と、耳の効かぬ子。悲しいことに、英雄の凱旋には参加できなかったのです。――その二人は町に残して来てしまったのですが、英雄たちが心配をしておりましてね。今でも探しているのですよ」
悪寒を感じた狼は立ち止まり、警戒する。
しかしラッテンは何事も無いかのように前へ進んでいく。
フラフラと、死を誘う舞曲を奏でる笛吹きは、右へ左へ回りながら庭園を去っていく。