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第93話

 スリーとイチャイチャしている現場を、リゼットに見られたショックで、奏は茫然自失となっていた。


「もう立ち直れない。どんな顔してリゼット会えば……」


 ソファに突っ伏して、身動きしないまま、ひたすらつぶやく。その声にまったく力はない。


「……このままどっか行っちゃおうかな」

「それは困りますね」

「リ、リリリリ、リゼット!」


 近くから聞こえたリゼットの声に驚愕する。気配を感じなかった。


「いつの間に……」

「カナデ様がぼんやりしていて気づかなかっただけですよ」


 ショックのあまり現実逃避をしていたらしい。


「カナデ様に逃げられたら料理長が自害しかねません」

「え、料理長?」


 料理長と会ったことは一度もない。奏の偏食に嫌気がさして死にたくでもなったのだろうか。


「料理長がカナデ様にお会いしたいそうです。聞きたいことがあるようですよ」


 正直いって気が向かなかった。いつも苦心して料理を考えてくれているのに残してしまってばかりいる。申し訳なさ過ぎてどういう顔をして会えばいいのかわからなかった。


◇◇◇


 厨房は戦場であるかのような様相だった。怒号が飛び交っている。


「まずいところに来たとか?」


 恐る恐るリゼットに聞いてみれば、案の定予想通りの答えが返ってくる。


「あ、昼食前でした。一度、退散したほうがよいでしょうね」


 リゼットは「しまった」という顔をしている。料理長の都合を確認してから訪ねるべきだった。

 厨房は料理人たちがひしめき合っていて、誰が料理長なのかはわからない。奏はホッと安堵した。とりあえずは料理長と顔を合わせなくて済みそうだ。

 しかしその安堵も束の間のことだった。厨房から離れようとしていた奏に気づいた一人の男性が慌てたように声をかけてきたからだ。


「料理長ですよ。カナデ様を逃がしたくないようですねぇ」


 リゼットの言う通りだった。料理長と思わしき男性は慌てるあまり足をもつれされて転んでいたが、目線は奏から全く外さない。何とか起き上がると物凄い形相で奏の前に立ちふさがった。


「カナデ様! 待っていました!」


 料理長から凝視され、完全に退路を塞がれた。奏が思わずびくつくと、リゼットが料理長を宥める。


「料理長。カナデ様が驚いていますよ」

「ああ、済まない。待ちわびていたものだから……」

「カナデ様は逃げませんから安心してください。料理人の皆さまがお待ちかねですよ」


 料理長が不在では進まないらしい。料理人たちがざわめきだした。


「カナデ様! ここにいてください! 数分で済ませてきますから!」


 料理長が慌ただしく動き出す。取りあえずは昼食の準備を放棄する様子がなくて安堵した。料理長のあの勢いではそうなってもおかしくない迫力があった。


(逃げたい……)


 奏の内心を尻目に料理長は予告通り数分で戻ってきてしまった。後の事は残りの料理人たちで何とかするらしい、嘆きの声が聞こえてきた。


「カナデ様にはご足労願いまして……」


 さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、料理長は恐縮しきっていた。


「あの、いつもカナデ様の口に合わない料理を提供してしまい、申し訳ありませんでしたー!」


 料理長はいきなり叫さけぶと、頭をこれでもかというほど下げる。

 これには奏も驚いた。まさか料理長自ら謝罪されるとは思わなかった。それに謝罪なら奏がするべきだった。いつも料理を残していることを心苦しく思いながらも、料理長に甘え切っていた。


「料理長が謝ることないです! 頭を上げてください!」

「いえ! 死んでお詫びするしかないと常々思っていました。実行できなくて申し訳ありません!」

「いやいや、そんな恐ろしいこと実行しないでください」


 本当に自殺をするほど思い込みの激しい人物でないようには見えるが、謝罪をしてからでも実行しそうな予感がしないでもない。奏は料理長を見ていると、どうしてもそんな考えを拭えなかった。

 料理長は下げた頭を全く上げようとしない。そして身体はブルブルと震えている。今から「死んできます」と言い出しかねない様子だ。


「もう料理を残さないようにします! 吐いてでも食べます! 今まで本当に申し訳ありませんでした!」


 奏は叫んだ。そして床に這いつくばる。土下座をしなければ気が済まなかった。

 そんな奏の行動は料理長を青ざめさせた。土下座を理解しているわけではないようだったが、奏が本気で謝罪をしていることは通じたらしい。


「そ、そんな! や、やめてください! なんてことだ!」


 料理長が頭を抱えた。もう言葉もないと悶絶している。


「お二人とも落ち着いてください。料理長はカナデ様に提案したいことがあるのでしょう。それからカナデ様は起き上がってください。床は冷えます」


 収拾がつかない状況にリゼットが冷静に言った。確かに床は冷たく、奏は我に返った。ノロノロと起き上がる。


「……提案?」


 どういうことだろうと料理長を見るが、まだ冷静さを取り戻せないでいるようだった。ほとんど錯乱状態といっていいかも知れない。

 そこでリゼットがぼそりと料理長に脅しのような言葉をかけた。


「料理長、カナデ様が帰ってしまってもいいのですか?」

「ま、待ってくれ! カナデ様!」


 料理長が正気を取り戻した。縋りつくような眼差しで奏に迫る。


「いい加減に落ち着いてください」


 料理長の慌てぶりにリゼットが制止をかける。まだ料理長は混乱中だった。それだけ奏の謝罪には威力があったということだ。


「カナデ様も軽々しく謝罪などしないでください」

「でも、私が悪いと思う」


 味付けが濃いとか、見慣れない食べ物だから戸惑うとか、そういったことだけが原因ではなく、奏はそれ以前に沢山食べることができずにいた。

 最近こそ身体が元気になったせいか食欲は増してきてはいたが、死にかけていた身体は回復しておらず、なかなか思うように食事がはかどらないのだ。


 もともと弱っていた身体は奏から食欲を奪っていた。イソラに助けられる前はもうほとんど食べることが出来ずにいた。無理に食べれば吐いてしまう。そんな状態が続いて自然と胃は食べ物を受け付けなくなっていた。

 そういった事情は奏がひた隠し手にしていた。だから、料理長が気に病む必要はまったくないのだ。


 それなのに料理長は己の責任であるかのように謝罪をしてきた。奏は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 ただ詳しい事情はあまり話せない。これまでのように料理長には甘えたままでいるしかないのが現状だ。


 そんな奏の心情に気づいたわけではないはずだが、料理長が確信をつく疑問を投げかけてくる。


「もしや、カナデ様はどこか身体が悪いのでは?」

「実は……」


 奏は事情を話してしまおうと思ったが、どう説明すればいいのかわからず言葉に詰まった。


「なるほど。よくわかりました」


 料理長は奏の逡巡から何かを感じ取ったようだ。


「カナデ様はもともと食が細いのでしょう。そして、こちらの味付けも合わないのでしょうね。確かに濃い味付けが主流ですから胃もたれをしやすいでしょう」


 料理長は説明をしなくてもわかってくれていた。奏を気に懸けていれば、好んで食べている料理とそうでない料理は、大まかに把握できるというわけだ。


「カナデ様には病人食がよいのでしょうが……」


 そこが悩みどころだった。病人食が一番いいということは奏も分かっている。

 けれど、実際は病人というわけではない。元気に動きまわれていて「病人です」は無理があるうえに、食べられるからといって病人食を続けるわけにもいかない。


「カナデ様、濃い味付けには理由があります。セイナディカの気候がある程度は一定であるということはご存知でしょうか?」

「はい。それで時々、雨季があるんですよね」

「そうです。気候の変動が少なく過ごしやすいというのは良いことなのですが、雨季があるためにそうともいえないのです」


 セイナディカは安定した気候ではあるが、短期間の雨季が年に数度は発生している。それは定期的なものではない。


「雨季には気温が下がります。慣れてはいても体調を崩すことが良くあるのです。一定の温度から極端に気温が下がると身体が追いつかないということなのでしょう」


 奏も季節の変わり目によく体調を崩すことがあった。料理長のいうことはよく理解できる。


「食材自体の味は淡泊なものが多いのですが、そこへ滋養を考えて調味料を配合していくと、どうしても味付けが濃くなっていってしまう。ここで提供している料理はそれでも薄味なのですよ」

「薄味ですか」

「カナデ様は城下で食事をされたことは?」

「ないです」


 一度だけリゼットが城から連れ出してくれたことがあった。その時はどこかで食事をしたわけではなく、持たされたお弁当を食べた。それは濃い味付けを苦手とする奏のために、料理長が配慮してくれたのだろう。

 料理長がいうには、庶民の食事は非常に濃い味付けだという。


「もしかして、飲み物がみんなさっぱり系なのは、中和するためとか?」

「そうですね。皆、味が濃いと思ってはいるのですよ。我慢するほどではないですが、やはり歳と共に胃もたれもしやすくなります」


 濃い味付けに思うところはあるが、滋養面では食べないわけにもいかないのだ。


 料理長の話を聞いて、奏はカレーを思い浮かべていた。調味料を沢山使うあたりが似ている。ただ、セイナディカの料理が辛かったことはない。

 濃い味付けでもカレーのように辛みがあれば、少しは食欲が増すのではないだろうか。けれど、カレーだけ作ってもそれだけでは食べられそうにない。やはり白いご飯が必要だ。


「私の考える食材があれば、味が濃くても少し食べやすい料理ができるかもしれないんだけど……」

「それはどういった食材ですか?」


 料理長の目がキラリと輝いた。


「辛みがある食材と、米は難しいかなぁ」

「辛み? 米というのは?」


 どちらも馴染みがないのか、料理長は考え込んでいる。


「辛みは刺激があって、暖かい気候の国でも食べられていて、たしか食欲増進と新陳代謝が良くなるとか、そういう効果があったような……。米は白くて炊くともちもちして、う~ん、説明が難しい。私の国では主食だったんですけど……」


 奏は身振り手振りで米について説明を試みた。理解して貰えたのか、あまり自信はない。


「辛みは近隣国にそういったものがあったと思います。米はもしかするとお菓子に使われている材料が近いかも知れません。白くはないのですが……」

「私の国の米は白いですが、色は何でも大丈夫だと思います」

「それなら取り寄せましょう。加工前のものはここにはありませんから」


 料理長が請け負ってくれる。けれど、話の流れがどんどんおかしな方向へ進んでいるのはどういうことだろうか。


「あの、今さらですけど、料理長の提案って何ですか?」

「カナデ様に異世界の料理についてお尋ねしたかったのですよ。ちょうどカナデ様が食材の話をされたので助かりました。それから、カナデ様とはもう少し交流を図りたいですね。敬語もご遠慮願えればと……」

「え、そう? 料理長も敬語使わない?」

「カナデ様のお望みとあらば」

「うん。そうして」


 料理長には申し訳なさから、なんとなく敬語を使ってしまっていた。これから交流するなら、もう少し砕けてもいいかも知れない。

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