第92話
スリーはリゼットを探すために部屋を出たが、廊下をしばらく進んだところで、呪いのような声を聴いて足を止めた。
「スリー様がハゲますように、スリー様がハゲますように、すぐにハゲてしまえばいい……」
ブツブツと恐ろしいことを言いながら、雑草をブチブチとむしっているリゼットがいた。声をかけることさえ憚れるような異様な雰囲気を醸し出している。
そのうえ、背中から哀愁が漂っているものだから、リゼットの気持ちの乱れ具合が容易に知れた。
「リゼットの呪いは効きそうで怖いな」
リゼットは本気でスリーにハゲの呪いをかけようとしていた。
「リゼット。弁解をさせてくれないか」
スリーはリゼットに近づくと声をかけた。本当はこのまま通り過ぎたいという思いに駆られたが、リゼットを宥めないことにはこの先の未来はない。
リゼットがバッと振り向く。美人が台無しの表情をしていた。一瞬だが、スリーは猛獣に襲われた錯覚に陥る。
「護衛の騎士が護衛対象を襲って、何が弁解ですか!」
弁解の余地などまるでないことはスリーが一番わかっている。いくら奏に誘われたとはいえ、最後までするつもりはなかった、という言い訳をするには状況が悪すぎた。
「スリー様ならカナデ様を大切にしてくれると信じていたのですよ! それが二人きりになった途端に襲いかかるなど……」
リゼットがそこまで信用していてくれたとは意外だ。
「すまない。カナデの色気に理性が飛んだ」
「まるでカナデ様が誘ったように言わないでください! カナデ様がそんな大胆な真似をするはずが……したのですか?」
奏の色気は皆無と周知されている。そんな奏に色気を感じたというスリーに、リゼットは疑問を感じたようだ。
「褒め殺しにされたうえに、誘惑された。挙句に服を脱がそうとして抵抗されなかった」
「襲ってくれといわんばかりではないですか……」
「だから、弁解させて欲しいと」
リゼットが「むうう」と唸っていた。スリーの暴挙に怒りを感じてはいるが、奏本人がそれを許したのなら弁解を受け入れるべきかと悩んでいる。
「普段と違っていて抵抗できなかった」
「スリー様の理性は鉄壁を誇っていたはずです」
スリー自身も理性を保てると思っていた。実際、これまではどんなに奏を可愛いと思おうが理性が打ち勝っていた。
奏は一見元気そうに見えるが、病はいまだに身体に巣くっている。無理をしなければ何の問題もないらしいのだが、スリーは不安に思っていた。
頭では大丈夫だ、と分かっていたが、気持ちは常に揺れていた。
特にシェリルの力を目の当たりにしてからは、奏と愛し合いたいという欲望より不安に思う気持ちが優っていた。
奏より身体が小さいシェリルの力は奏よりはるかに強い。健康な女性だからだろう。
それに比べて、奏はこの国の騎士より弱いのだ。
たしかに、この国の一般的な女性よりは強いが、どんなに手加減をしても簡単に振り回してしまえる。
鍛冶屋が訪ねてきた時、スリーは乱暴を働く気はなかった。奏がスリーの力に振り回されて吹き飛んでしまえば肝が冷えた。
(カナデが相手では加減できない)
簡単に理性は吹き飛ぶ。嫉妬に目がくらんで護衛の任務より己の感情を優先した。仕事中にあり得ない失態だ。
奏の前では理性など簡単に崩壊した。徐々に鉄壁を誇っていた理性が崩されていく。
今回はリゼットが現れてくれたお陰で事なきを得たが、次に同じような状況になれば自信はなかった。あんな風に迫られたら簡単に落ちてしまう。
「もしかしてその指輪が引き金になりました?」
リゼットが目敏くスリーの親指に嵌められている指輪を見つけた。チラリと一瞬だけ指輪を見て納得がいったというように頷いている。
「……そればかりじゃないよ」
「そんなつもりでカナデ様に勧めたわけではないのですが、ユージーンさんはいい仕事をし過ぎですね」
スリーの返事を肯定と受け取ってリゼットがぼやいた。
指輪を贈られたことは正直にいえば嬉しさしかないが、この指輪が周りの人間に与える印象は非常に問題であった。
女性側から見ても随分と恥ずかしい印象をもつらしいが、スリーが最初に抱いた印象はもっとあけすけなものだった。
(カナデを抱いているようだ)
口に出して言えることではなかった。それでも恥ずかしそうにされてしまえば、奏も近い感想を持ったものと勘ぐった。
それから理性はガラガラと崩れていき、最後のトドメが潤んだ奏の瞳だ。いつもは楽しそうにキラキラと輝いている瞳が色香を放っていた。一度目が合ってしまえば逃れることは難しかった。完全に魅入られていた。
スリーは溜息をつく。どうにかしないと、今度こそリゼットに弁解する余地も与えられないことをしでかしそうだ。
「スリー様。溜息をついている場合ではないですよ。遠征までそれほど時間はありません。気を引き締めてください。カナデ様が生贄になっていいのですか?」
「よくはないね。奏の積極性は嬉しいけれど、少し参るね。どうにかならないかな?」
「そうですね。スリー様の鉄の理性さえ崩してしまう色気には注意が必要です。……カナデ様に予定を詰め込みましょう。暇を与えなければ、スリー様との接触は減らせるはずです」
いい案だった。スリーは護衛として常に近くに控えているため、奏に会わないことは難しい。それなら護衛に没頭できる環境を作ればいい。
「詰め込めるだけの予定が組めそう?」
奏は基本的に城から出ることが難しい立場だ。外出もままならない状態では、出来ることはあまりないように思うが。
「ちょうど料理長より打診がありました。カナデ様に食欲増進料理をどうにか提供できないものかと悩んでいましたので、ご本人に協力していただきましょう」
「それはいいね。カナデは少し細すぎるから……」
触れるたびに抱きつぶしてしまわないように細心の注意をしている。力加減を間違えてしまえば、怪我をさせてしまいそうで。
「スリー様が本気で抱きしめてしまえば、カナデ様の身体は潰されてしまいます。弾力的な肉体にしなければ……」
「そうだね」
リゼットの意見には全面的に賛成である。
「カナデ様は料理をなさるそうですよ。こちらの食材に慣れさえすれば、いずれスリー様に手料理などを振る舞っていただけるのでは?」
「手料理……」
リゼットがニヤリと笑う。
スリーは内心を見透かされたようで居心地が悪くなった。