第90話
奏はスリーに贈る指輪を眺めた。せっかくの贈り物だからとリナルトが素敵な箱を一緒に渡してくれた。指輪に合わせて見繕ってくれたようだ。
(素敵だな)
指輪をしたスリーを想像した。恐ろしい勢いで妄想が展開していく。
(スリーさん、かっこいい)
リナルトには悪いとは思ったが、流れるように攻撃をしていたスリーの姿が奏の眼に焼き付いていた。
騎士団の模擬戦では、スリーは剣をまったく使ってはいなかった。ほとんど避けるだけで攻撃自体をしていない。面白いように転がる騎士ばかりに注目していて気づいていなかったが。
スリーが強い騎士という認識はあった。けれど、実際に戦っている姿を見たことがない奏に実感は伴っていなかった。
身体能力については疑うところはなかったが、剣を抜いたスリーを見たのはこれが初めてだった。
(あ、妄想の中のスリーさんがドラゴンを倒した)
スリーが聞いたら猛抗議しそうだ。本人は英雄と呼ばれることを嫌がっている。リナルトに英雄と呼ばれて少し不愉快そうだった気がする。
「カナデ。話って?」
「あ、スリーさん」
いつの間にかスリーがいることに気づかないまま、妄想に浸りきっていたらしい。スリーが心配そうに奏を窺っている。
いつまでも返事をしなくて申し訳ない気持ちだ。でも、ドラゴンを倒すスリーを妄想するのは楽しかった。
「ちょ、ちょっとスリーさん。あっち向いていて!」
奏は非常に焦った。妄想をしていたばかりに指輪を箱から剥き出し状態で放置していた。スリーが気づいていないことが救いだ。
奏のわけのわからない指示にスリーが従ってくれる。その隙に箱の蓋をきっちりと閉める。これで準備万端だ。
「スリーさん、こっちを向いていいよ」
「どうしたの、カナデ。顔が真っ赤だけど……」
スリーの指摘にカナデの顔がますます赤くなっていく。
(うう、緊張する。喜んでくれるかな)
贈り物を考えている時は楽しかった。ただ、渡す時にこんなに緊張するとは想像していなかった。
(ユージーンさん。あなたの作品は素晴らしい出来だけど、ちょっと恨んでもいいかな)
完璧といっていい贈り物だったが、酷い羞恥心を伴うことだけはいただけない。
「あの……、これ、スリーさんに……」
意を決して贈り物をスリーに差し出す。手が震えた。
「俺に?」
「えっと、この前の贈り物のお返し」
スリーが嬉しそうに受け取る。無骨な手に納まっている贈り物の箱が小さく見える。
「開けていい?」
「どうぞ」
緊張に口が渇いてそっけない返事になってしまった。
スリーがゆっくりと箱の蓋を開く。
箱の中の指輪を見たスリーの眼が驚きに見開かれた。指輪と手に取るとジッと見る。
「……これはなんというか凄いね。鍛冶屋は指輪を届けにきたのか」
「うん」
いつでも近くで護衛をしているスリーに、気づかれないように贈り物を用意することは骨が折れた。その甲斐があってスリーは驚いてくれたようだ。非常にわかりにくい反応ではあったが。
「カナデ、ありがとう。大事にするよ」
スリーは指輪を左手の親指にするりとはめた。まるであつらえたようにサイズがピッタリなのか、スリーが少し不思議そうに言う。
「指のサイズはリゼットに聞いたの?」
「そ、そうだよ」
声が少しばかり上ずってしまった。指輪のサイズがピッタリな理由はスリーには聞かせられない。
ユージーンはリゼットを執拗に口説いている要注意人物として認識されている。
さらに人体観察という趣味で、親指のサイズを計測したことを聞いたら、スリーはきっと不愉快な気分になるだろう。
だから作成者が変態という事実は隠しておく。
「鍛冶屋が細工をするなんて珍しいね。それに、こういう感想はどうかと思うんだけど、まるでカナデの中に俺がいるような指輪のデザインだね」
(やっぱり言われた!)
奏が指輪を選ぶときに感じた印象だ。ユージーンが狙ってデザインしたなら恐ろしい。
リナルトも当然気づいていていたのだろう。別れ際に肩を叩いていった。
「恥ずか死ぬ」
公開処刑された気分だ。羞恥心なくして贈り物を渡すことはできないと覚悟していたが、実際に言われた衝撃は計り知れなった。
「……カナデはときどき大胆になるよね。口説かれたときも驚いたけれど、これはそれ以上だよ。独占されているようで嬉しい」
独占欲丸出しの贈り物だった。
スリーに言われたことで、奏はもっと恐ろしい事実に気づいてしまう。
指輪の色は世にも珍しい漆黒。セイナディカでその色を有しているのはたった一人、奏だけ。
誰が贈ったものなのか一目瞭然だ。しかも指輪を見て誰もが同じ感想を抱いた。そんな指輪が不特定多数の人間に目にさらされる。穴があったら入りたい心境だ。
(弱気になったらダメ! スリーさんはお嬢様に狙われているんだから!)
スリーは大袈裟と思っているようだが、ゼクスに縁談の話まできたのだ。セイナディカの女性は恋愛に積極的だから、恥ずかしいくらいで怯んではいられない。
牽制になると思えば贈った甲斐がある。それにスリーは喜んでくれている。
「スリーさん。本当に指輪は邪魔にならない?」
「大丈夫だよ。絶対に外さないからね」
奏からの贈り物が相当嬉しかったのか、スリーが断言する。束縛されることについて否はないらしい。
(私ってこんなに独占欲が強かったんだ……)
一度認めてしまった恋心は加速する一方だ。スリーを好きになってからというもの、恋愛から遠いところにいた奏には、信じられないような驚きの連続ばかりだった。