第85話
「こほん」と咳払いをしたリゼットが語り始めた。
「昔々あるところに……」
「え!?」
「カナデ様? どうかしましたか?」
「ごめん、なんでもないから続けて……」
奏は馴染みのフレーズに思わず仰け反りそうになった。うっかり反応してしまったが、リゼットに話しを続けるように促す。
内心は動揺していたが、この件について突っ込んでも理解してくれる人はいない気がした。
リゼットは気を取り直して語り始める。
──昔々あるところに、仲の良い姉妹がいました。姉ルカは妹思いのしっかり者で、妹セラを見守りながら、毎日を穏やかに過ごしていました。
姉妹の暮らしている小さな村は、争いもなく、村人たちは皆仲が良く、姉妹も可愛がられて育ちました。姉妹はすくすくと育ち、年頃の美しい娘となりました。村の若者たちは、そんな姉妹を嫁にしようと争奪戦を繰り広げるほどでした。
そんなある日、小さな村を震撼させる噂を耳にするようになりました。それは年頃の娘が次々と失踪するというものでした。幸い姉妹の村では誰も失踪していませんでしたが、隣村の娘の失踪を知ると村人たちは慌てました。自衛するにも小さな村では、どうしたらいいかもわかりません。話し合いの結果、年頃の娘を集めて村の奥にある洞窟へ一時的に避難させることになりました。姉妹も準備をはじめました。
ところが、避難を始める前に妹セラが失踪してしまいました。隣で眠っていたはずの妹が忽然と姿を消したことで、姉のルカは半狂乱で妹を探して村中をかけずりまわりました。けれど、妹はどこにもいません。村人も総出で探しましたが、結果は同じでした。
リゼットはフウッと息をついた。話していて感情移入してしまったのか、表情は物憂げだ。
奏は固唾をのんだ。続きが気になって仕方ない。
──それ以来、姉のルカは必死に妹を探し続けました。村人も協力してくれましたが、何日経っても見つけることはできませんでした。
そしていつしか、娘の失踪は野盗に攫われたものとして認識され、もう帰ってはこないだろう、という結論に達しました。捜索も打ち切られることとなりました。
けれど、姉のルカは納得できませんでした。野盗の仕業なら妹の隣で眠っていたルカを一緒に攫わないはずがないからでした。このままでは妹を助けられないとルカは考えました。そして決断したのでした。国に訴えて妹を助けてもらおうと。
しかし、なぜ失踪したのか、何もわかっていないのでは、国に訴えても助けてもらえそうにありません。ルカは娘が失踪した隣の村へ話を聞きに行くことにしました。国に助けを求めるためには、はっきりとした失踪理由を知る必要がある、と感じたからでした。
ルカは必死になって調べました。すると、娘の失踪には共通点が見られることがわかってきました。どの娘も忽然と姿を消したというのです。それもルカと同じように隣で眠っていたにも関わらず、気づいたときにはいなくなっていたのでした。ルカはこの奇妙な共通点に嫌なものを感じました。もしかしたら人の手には余る相手が犯人なのではないかと。
それでもルカは妹を見捨てようとは思いませんでした。ルカは失踪について調べている時に聞いた話を頼りに妹を探すことにしました。その話では、東の森で時折、恐ろしい咆哮が響き渡り、すすり泣きのような声が聞こえるということでした。
ルカは東の森を目指しました。三日かけてようやくたどり着いた東の森は、それはそれは恐ろしいところでした。うっそうと茂った木々はルカの進路を妨げ、昼だというのに得体の知れない動物の鳴き声がそこかしこから聞こえてきます。誰も寄り付かない未開の森でした。
ルカはそれでも妹の姿を探して、東の森を彷徨い続けました。不安と疲労は徐々にルカを蝕み、気力を削いでいきます。ルカが力尽きそうになったその時、微かに女性の悲鳴が聞こえてきました。ルカは疲れ切った身体を必死に動かして、その場所へ走りました。そこで目にしたのは……。
リゼットは一旦口を閉じた。水を飲んでのどを潤す。すぐに続きを再開すると思いきや──、
「続きは明日でもいいでしょうか?」
「リゼット!?」
「ゼクス様はちゃんと聞いていますか? これでもゼクス様の興味がない部分は省いたのですよ」
「……聞いてはいる」
ゼクスは誤魔化しているが、簡潔に済ませてくれるなら有り難いという本音が筒抜けだった。
けれど、話にのめり込んでいた奏は不服だった。
「ええ!? どこを省いたの?」
「姉妹を巡っての争奪戦の凄まじさと、ルカの森での奮闘についてですね。これはもう語るには時間が足りません。涙を呑んで省いてしまいました。カナデ様たちがどうしてもとおっしゃるなら、これからでも語りましょう!」
「いい、先を続けろ」
「うう、聞きたいけど……」
興味を惹かれる内容ではあるが、肝心のドラゴンが登場していない場面に費やす時間は確かにないだろう。
「その話はまた聞かせてね」
「分かりました。では、続きをといいたいところですが、その前に! ゼクス様が寝てしまわないように、シェリル様にはゼクス様の膝の上へと移動してもらいましょう!」
「寝たりしない」
寝ないまでも半眼になっていたゼクスは、バツが悪そうにリゼットから目を反らした。
「この話は寝物語としても有効です。前半部分で寝てしまう子供は後を絶ちません!」
「子供と一緒にするな」
重要な話をしていたはずだが脱線していた。緊張感などまるでない雰囲気の中、シェリルがリゼットの提案に乗るようなことを言う。
「ゼクスの膝の上に移動ね。それでゼクスは寝ないの?」
「鼻の下は伸びるかも知れませんが、まあ平気でしょう。ゼクス様の頭に花が咲いたとしても耳に影響はないはずですので」
「王様の威厳が台無し」
リゼットは言いたい放題だ。ゼクスはもうそれについては諦めているようだ。
ただ、シェリルが本当に移動してこようとすると、それを阻止するように抵抗している。
「シェリル、俺の膝の上に乗るつもりなら覚悟をしておけ」
「ゼクス様が強気です!」
「王様はシェリルに何をするつもりなの……」
ゼクスの発言にそれぞれの反応はまちまちだ。半ば脅されたシェリルと言えば、キョトンとした顔をしてゼクスを見ている。
二人の攻防戦に奏が呆れ返っていると、ついにシェリルがゼクスの膝の上へと乗りあげた。
「覚悟を決めればいいのね!」
「……違うだろう」
ゼクスが脅した意味はまるでなかった。シェリルは定位置についたとばかりに満足げだ。ゼクスは溜息をついている。ただし、嫌がるそぶりはまるでない。
「リゼット、続きを」
「王様の顔が緩んでいる……」
「仕方ないだろう」
ゼクスが開き直った。確かに想っている相手が嬉しそうに膝の上にいるのだから、顔が緩んでも仕方ないだろう。
第三者がいなければ甘い雰囲気を隠しもしない二人を、奏は微笑ましく見守った。