第82話
その頃、シェリルを連れ去ったゼクスは、シェリルの混乱を余所に良い気分で休んでいた。
「あの、ゼクス? このままだと休めないと思うの」
「休めるぞ」
シェリルは困惑しているようだが、ゼクスは全く気にしていなかった。とにかくゼクスの休息を妨げないように距離を置こうとするシェリルを宥めて離そうとしなかった。
ゼクスはシェリルを寝室まで連れ込み、シェリルを抱き込んだままベッドに横たわった。
身じろぎさえできずにいるシェリルの緊張を和らげようとゆっくりとシェリルに触れているが、それが逆にシェリルを混乱に陥れているとは欠片も気づいていない。
「邪魔じゃないの?」
「まさか」
「でも、迷惑ばかりかけていたわ」
「そんなことを気にしていたのか?」
ゼクスは驚いた。確かに怪我の原因はシェリルだったが、それは不可抗力だ。ゼクスが無理に捕らえようとしたからシェリルは抵抗しただけだ。
気に病む必要など全くない。むしろゼクスの対応が悪かったのだ。
「過ぎたことは気にするな」
「無理よ。あなたを気にしないなんて」
「怪我のことなら……」
「それだけじゃないわ!」
シェリルが声を荒げる。
「どういうことかわからないな」
「ゼクスは王でしょう」
「それが?」
シェリルが何を気にしているのか正直わからなかった。
「私はもう帰れないのでしょう? 王に、あなたに縋るしかないわ」
「そうだな。確かに帰れるとは思えないな」
ゼクスはシェリルの召喚に関わっていない。本来なら王族だけが召喚の儀式を行えるとされている。それが覆された。
もともと召喚など眉唾であり、召喚された者を帰すことなど当然考えられていない。
しかも媒介となる門は破壊された。条件が無になっては、それこそ帰還方法など考える余地はない。
ゼクスはそのことを隠すつもりはなかったが、話すには早すぎると考えていた。
シェリルは召喚されたばかりだ。
ただでさえ混乱しているというのに「帰れない」などと不安を煽るわけにはいかなかった。絶望されて死なれでもしたら困る。
生贄に差し出すことは回避するつもりであったが、召喚された者にとっては災難でしかない。それを慮る気持ちはあったが、シェリルの力を利用できるかも知れないという打算が、なかったとは言えない。
それもシェリルを知るうちに、馬鹿な考えだったと気づかされたわけだが。
「私が召喚された時に通路のようなものは崩れたわ。あれがないと無理なのよね?」
「そうだ。異世界との通路を媒介する門だからな。しかし崩れただと? あれはシェリルが壊したと思っていたが……」
「私は壊したりしていないわ!」
騒ぎのいざこざで召喚時の報告は曖昧だ。現場の状況からシェリルの力で門が破壊されたと思っていたが違ったようだ。
召喚が一体誰の仕業なのか調べてはいるが、いまだに犯人は特定されていない。現場にいた有象無象の貴族たちは結局のところ全員が白だった。
では何故召喚を知っていたのかと問えば、告知があったという。これも調べはしたが何の情報も得ることはできなかった。
シェリルの召喚に関するすべてが曖昧で、ゼクスには悩みの種であった。
こうしてシェリルから少しだけだが情報を得られたことは行幸だが、解決するには情報が足りなすぎた。
「シェリルが門を破壊していないことはわかった。疑って悪かったな」
「疑われても仕方ないわ。あんな力があったら誰だって……」
シェリルの強すぎる力は本人でさえ忌避するものらしい。
ゼクスは異世界人が力を持っていることは知っていたが、目の当たりにして、その力の凄まじさに脅威を感じていた。
ドラゴンに対抗する力となり得るが、使い方を間違えれば諸刃の剣だ。
それに、シェリルのような女性にドラゴンを倒せと強要することはできない。いくらなんも酷だ。
「異世界人は皆それほどの力があるというのか?」
「ないわ!」
「まあ、そうだろうな。そんな細い腕で、どうしたら岩をも砕く力を発揮できるか不思議で仕方なかった。召喚が原因と考えることが妥当だろう」
王家に伝えられていることはそれほど多くない。先祖の言い伝えでは、召喚された異世界人が恐ろしい力を有していたということと、ドラゴンの生贄にされたということしか伝わっていない。
一部の貴族には独自に伝えられた内容があるらしいが、それもシェリルの力を説明できる程の情報ではないはずだ。
「カナデは召喚されたわけじゃないから、私のような力がないの?」
「いや、カナデの場合は単に身体が弱いからだろう。死にかけていたというからな」
奏でさえ力を持っている。ただ、死にかけた状態でこちらに送られているから、シェリルほどの力を有していないだけだ。
今元気で動き回れている理由はそういった力があるお陰だろう。神もそれを知っていたからこそ、奏を救うために止む無く召喚に乗じて奏を送ったのだ。
仕組みは不明だが、異世界からセイナディカへ渡ると誰でも力を有することが可能だと考えられる。
そうなると、二度と召喚が叶わないことは結果的には良かったといえる。
恐ろしい力を有した者が、また召喚されるようなことがあっては敵わない。それこそ召喚された異世界人にセイナディカを破壊される、もしくは奪われることになりかねない。
今回は争いを好まない女性ばかりで助かった。奏は論外だが。
「その力についてはいずれ考えなければならないが、シェリルは俺に縋ればいいぞ」
「え?」
「そう言っていただろう」
シェリルに打算があるとは思えなかった。言っていることは打算的だが、シェリルの行動や態度からは打算など一切感じられなかった。
言葉が通じなかったからこそ分かることがある。シェリルの視線からはゼクスを心配しているという気持ちしか伝わってこなかった。
「嫌よ。縋りたくないわ」
「何故だ? 俺を気にする理由ではなかったか?」
「意地悪言わないでよ」
シェリルが本心から言っていたわけではない、とわかっていてゼクスは意地悪を言った。
シェリルがむくれる。そんな可愛い態度を示すシェリルに、ゼクスは甘く囁く。
「縋ればいい。ただし、俺以外には許さないが」
「な、なにを言うのよ!」
「帰れないのなら俺のそばにいろ」
シェリルがゼクスの言葉に赤面した。
「ゼ、ゼクスには好きな人がいるのでしょう!?」
「そんな相手はいない」
「嘘よ! カナデとか、リゼットとか!」
「俺に二人を一度に相手にする甲斐性はないぞ」
ゼクスは慌てるシェリルがおかしくて仕方なかった。どうしたらそんな誤解が生まれるのか不思議だ。確かにあの二人と親しいと思うが、これまで気持ちが傾いたことはない。
「リゼットはイトコだ。あれは強い男と結婚したいようだ。それからカナデにはスリーという恋人がいる」
「え?」
「カナデを護衛している男だ。最近付き合い始めたようだ」
ゼクスはネタ晴らしをする。好きな相手については、どうせリゼットが先走ったせいに違いないが、誤解されたままでは困る。
「好きな相手って……」
「リゼットは勘が鋭い。俺が気づく前に本人に言ってしまうとはな」
ゼクスが自分の気持ちに気づいたのは、ほんの少し前のことだ。
シェリルがセイナディカの言葉を覚えたという事実に、どうしようもなく浮かれた。どうやら言葉の壁は思った以上にゼクスを尻込みさせていたようだった。
リゼットに「残念な男だ」と散々言われていたというのに気づくのが遅すぎた。シェリルは随分前から好意を示していてくれた。情けなさ過ぎて弁解のしようがない。
「好きだ。不安にさせて悪かった」
「ゼクス……」
「返事は急がない。俺と歩む人生を考えてくれ」
シェリルには考える時間が必要だろう。本当はすぐにでも返事を聞きたいところだが、ゼクスは気持ちを抑えた。
まだ解決してない問題が多すぎる。浮かれている場合ではない。
「流石に疲れた……。俺は寝るがシェリルはどうする?」
「離す気がないくせに、私が返事をする必要があるの?」
シェリルには選択肢を与えるようなことを言ったが、決して触れている手を離す気はなかった。それを敏感に察知したシェリルが不満を口にする。
口をとがらせているシェリルは危機感が薄い。そんな顔をされたら襲わないでいられる自信はない。
しかし、「返事は急がない」と言った手前、我慢を強いられるゼクスだった。