第79話
トントン。
泣いたり笑ったりと騒がしくしていた三人が落ち着いてきた頃、扉を叩く音が控えめに聞こえた。
リゼットが応じると、部屋の前に護衛として控えていたスリーが顔を覗かせる。
「お嬢さん方、喉は渇いていない?」
「あ、そうですよね。私が用意を……」
「いいよ、リゼットはゆっくりしていて。彼が用意をしてくれるから」
スリーはお茶の用意をはじめようとするリゼットを止める。
奏は、彼とは誰の事だろうと訝しむが、スリーの後ろから現れたフレイの姿を目にして驚く。
「フレイ様。お久ぶりですねぇ」
「そうだな。誰かのお陰でな」
「いい仕事ぶりでしたよ。もう少し長くても……」
「冗談じゃない!」
フレイはリゼットの言葉を強引に遮ると、ズカズカと部屋に入ってきた。リゼットと余程会話をしたくないらしい。
「カナデ! その不細工なツラを何とかしろ!」
「不細工って、ひどい!」
相変わらずの口の悪さにビックリして、流れていた涙も引っ込んだ。
「いつ帰ってきたの?」
「昨日だ。やっと奴らを撒けたからな……」
フレイの表情が一瞬にして陰った。憎々し気に言葉を吐き出す。
奏は、その様子に大変な苦労があったとすぐに察した。
久しぶりに会ったフレイがどことなくワイルドになっている。疲れ切った表情が男の色気を醸し出していて、奏は不覚にもドキリとする。
「えっと、お疲れ様。ずいぶんと長かったね」
「そうだな。俺もこんなに長くなるとは思わなかった」
一月で帰ってくる予定と聞いていた。ところが気がつけば二か月以上も経っていたのだ。
フレイの眉間には皺が寄る。黙々とお茶の用意をしていたが、不意にフレイの持つカップがひび割れた。どうやら力を入れ過ぎていたようだ。
「フレイ? どうしたの?」
「……どうもしない。それより一人増えているな。誰だ?」
シェリルのことをどう説明するべきか、奏は咄嗟に判断がつかなかった。シェリルの存在は一部の人間しか知らないうえに、フレイは召喚云々についてはほとんど知らないのだ。
奏が考えあぐねているとリゼットが爆弾発言をする。
「ゼクス様の想い人ですよ」
「へぇ。ゼクス王は女嫌いってわけじゃなかったのか。美人だな」
「異国の方なのですよ。やっとゼクス様もお相手を見つけてくれたようで安堵しました」
シェリルに伝わらないから言いたい放題だ。
「リゼット、言い過ぎると王様が怒ると思うよ」
「ゼクス様は煮え切らないところがあるので」
それにしても先走りすぎではないだろうか。確かにゼクスとシェリルがいい感じになっているが、本人のあずかり知らぬところで事実以上のことを広めてしまうのはいかがなものか。
『ねぇ、カナデ。この男性はカナデの恋人? 素敵な人ね』
「え? 違うよ!」
興味津々なシェリルが耐えきれずに口を挟んでくる。慣れ慣れしいフレイの態度を勘違いしている。
奏は慌てて否定するが、どこまで通じているか不安を感じた。シェリルは頬を染めてフレイにチラチラと視線を投げている。
「異国語か? 聞いたことない言葉だな」
「そうですねぇ。シェリル様は何と言っているのですか?」
リゼットに聞かれて奏はビクリと身体を震わせた。どうせ言葉は分からないから流されるだろうと思えば、こういう時だけリゼットの勘が働くのか、聞かれたくないところを突っ込んでくる。
「フレイが誰かって」
「違うとはどういうことでしょう?」
「え? そんなこと言ったかな?」
誤魔化すにしてももっとほかの言い方があったはずだ。奏は嘘をつくことに後ろめたさがあり、誤魔化しきれていない。当然、リゼットは訝しんでいる。
どうしても本当のことを言うのは躊躇する。相手がフレイでなければこんなに困惑したりしない。
「言いにくみたいだな。リゼットもあんまりカナデをいじめるなよ」
「そんなつもりはありませんが……」
「う、ごめん。リゼットだけになら言ってもいいけど……」
「俺は蚊帳の外かよ。まぁいいけどな」
フレイは自分のことに関してはあっさりとしている。二人の仲の良さは知っているので大して気にならないのだろう。
「お茶の用意できたぞ。冷めないうちに飲めよ」
「ありがとう。疲れているのにごめんね」
「いや。号泣し過ぎて干からびたら可哀想だからな」
「干からびるわけないじゃん!」
「おまえの心配はしていない。美人が干からびるのは忍びないだけだ」
「む、たしかにシェリルは美人。認めるけど、その態度は気に入らない」
フレイの意地悪には耐性があったはずが、しばらく会わないうちに忘れかけていたようだ。奏は不貞腐れた。フレイが美人に弱いとは思わなかった。
あからさまにシェリルを褒めるのに奏に対しては辛辣だ。振ったことを根に持つタイプではないはずだが必要以上に刺々しい。
「俺がおまえに意地が悪いなんて、今に始まったことじゃないだろうが」
「開き直るし」
「優しくする理由がない」
「そこまで求めてないけど……」
普通に接してほしいと思うのは図々しいのだろうか。突然のフレイの豹変に奏は戸惑った。再開した直後はまだ優しかったはずだ。
『カナデ、喧嘩?』
雰囲気の悪さを敏感に察知したシェリルが、恐る恐ると奏の機嫌を窺ってくる。心配そうな表情は今にも泣きそうだ。
「あ、ごめんね。何でもないの。意地悪な人がいただけだよ」
フレイの刺々しさを追求するのは今度にしよう。シェリルがいる場で不毛な言い合いをしても仕方ない。
会話をぶち切られた形のフレイが口を挟もうとするのを、キッと睨みつけて黙らせると、カナデはいそいそとシェリルの世話を焼きはじめる。フレイは無視する。あれは空気だ。
「少し冷めていると思うけど、シェリルは猫舌じゃないよね?」
『猫舌ではないわ』
「じゃ、少しずつ飲もうか」
『ありがとう、カナデ』
シェリルは普通にお茶を楽しむこともままならない。怪力が制御できていないため、どんなものでも触れることは危険だ。
かわりに奏はシェリルの口元にカップを寄せる。コクリとお茶を嚥下したシェリルの顔が輝く。
『美味しいわ。彼はお茶を入れるのが上手なのね』
「意地悪だけどね」
『仲良しなのね』
「そうでもないよ」
複雑な表情で奏は答えた。今のフレイとは仲良くしたくない。
「シェリル、甘い物を食べよう!」
『そうね。すごく美味しそう!』
奏は、リゼットが用意してくれたお菓子を手に取った。見た目も可愛くて食べるのが勿体無いくらいだが、シェリルの眼は期待に輝いている。早く食べさせてあげなければ、と奏は妙な使命感に燃えた。
「どう?」
『美味しいわ! カナデも食べて!』
シェリルに勧められるままに口にすると控えめな甘さが広がった。サクサクとした触感が絶妙で、見た目の鮮やかさに反してさっぱりとした味だった。これなら何個でも食べられそうだ。
シェリルは甘いのもが好きなのだろう。瞬く間にお菓子は姿を消していった。奏も調子に乗って食べさせていたが、本当にシェリルはよく食べる。
「……お前たち、それが普通か?」
唖然としたフレイの声が聞こえる。シェリルに餌付けよろしくお菓子を与えていた奏はそれを無視する。奏の中ではフレイはいまだに空気扱いだからだ。
「ねぇ、シェリルは今まで誰に食べさせてもらっていたの?」
『え? ……ゼクスよ』
「王様が!?」
『見るに見かねてだと思うわ。せっかくお茶を入れてくれたのにカップを割ってしまったの』
確かにゼクスならそれくらいはしそうだ。ああみえて面倒見はいい。リゼットに振り回されることにも慣れている。目の前でカップを割られたくらいでは動じたりはしないだろう。
「王様って冷たそうに見えるけど、本当は優しいよね。好きな相手には特に優しいみたいだね」
『ゼクスには好きな人がいるの?』
「シェリルの事は好きだと思うけど」
『そうかしら。迷惑だと思うの』
「王様は迷惑ならはっきり言う人だよ。シェリルが近くにることを許しているなら大丈夫だから」
シェリルの心配は杞憂に終わるはずだ。いつの間にかシェリルに呼び捨てを許している上に、こういった時の嗅覚が尋常でないリゼットに気持ちを見透かされているくらいだ。常に近くにいるリゼットがそう判断したのだから間違いない。
「王様の気持ちは直接聞いたらいいよ。でも、しばらくは我慢してね。王様の怪我が治れば会いにいけるよ」
『そうね。私が近くにいないほうがいいものね』
いくら奏が言ったところで本人以上に説得できる相手はいないだろう。ゼクスにはさっさと怪我を直してもらい、シェリルの憂いを払ってもらいたい。意気消沈しているシェリルを見るのは忍びない。
「シェリルは王様が好きじゃないの?」
『わからないわ。優しいからそばにいたいだけかも知れないわ』
二人は互いに想い合っている気がした。けれど、ゼクスは気持ちに気づいていないようだし、シェリルは迷惑をかけていることを理由に気持ちを認められないでいる。
第三者がどうこうできる問題ではないが、奏は歯がゆかった。
こういう時は自然に任せるしかないのだろうか。といっても、言葉が通じない時点ですでに困難な問題となってしまっている。
奏は唸った。解決策が見いだせない。とにかくシェリルだけでも元気になってもらいたい。
『……カナデにお願いがあるの』
「え、何? なんでも言って!」
『いつまでもカナデに頼るわけにはいかないから、言葉を覚えようと思うの。面倒をかけてしまうけれど、お願いできない?』
「!」
解決策がここにあった。言葉が分かるようになればゼクスと想いを通じ合わせることができる。
奏は光明を見出して興奮する。
「シェリルは偉い! なんでも協力するよ!」
『ありがとう。あの、できればリゼットさんにもお願いしたいのだけど……』
「いいですよ。シェリル様のために一肌脱ぎましょう!」
「え? なんでリゼットはシェリルの言葉がわかったの!?」
「私の名前を呼びましたでしょう? なんとなくですが、助けを求められている気がしました!」
リゼットの安定の鋭さに奏は脱帽した。侍女の裏家業が諜報活動と言われても今なら信じてしまうだろう。