第78話
シェリルが騎士に伴われて部屋にやってきたのは、昼もずいぶんと過ぎた頃だった。
まだ寝ぼけているのか、どこかぼんやりとしているシェリルに、奏は声をかける。
「シェリル、疲れている?」
『……少し寝すぎたみたい』
「そっか。昨日は大変だったみたいだね。王様は平気?」
『止めたのだけど、仕事をしているわ』
「あちゃー、相変わらずだね」
ゼクスに仕事を休ませることは難しいとはいえ、悪化した怪我を物ともしない根性がすごい。いや、体力が凄いのだろうか。奏は呆れを通り越して感嘆する。
ただ、シェリルはゼクスのことが気になるようで、落ち着きがなく視線を彷徨わせている。
部屋の扉を見てはグッと我慢しているような顔をする。その気持ちが痛いほど伝わってきて、奏は複雑な気持ちになる。
奏がシェリルを放置しているうちに、ゼクスとの距離が縮まったことが悪い事だとは思わない。むしろ、奏はゼクスに感謝している。
本来なら奏がシェリルをいたわって、一緒にいてあげなければいけなかった。知らない世界へ来てからの心細さや不安を唯一共感できたはずだから。
それなのに奏はシェリルと関わることを放棄して、それをゼクスが肩代わりしてくれた。
シェリルが奏を頼りに思えば思うほど、シェリルを疎ましく感じてしまった。シェリルがいるべき場所を奪ってしまったという思いは、シェリルに対して態度をぎこちなくさせた。
奏は、ただただ怯えていた。シェリルがいれば、奏はこの世界にとっては不要な存在となるから。もとから存在意義など全くなかったとわかっていても。
「シェリル、ごめんね……」
『どうして、カナデが謝るの?』
「私がシェリルを避けていたから。だから、王様はシェリルを放っておけなかった」
『どういうことかしら』
シェリルは困惑している。それはそうだろう。シェリルが説明を求めても邪険にして、ろくな説明などしてこなかった。
「シェリルには黙っていた事が沢山あるんだけど、聞いてくれる? 今までのことをすべて。シェリルには知る権利があるから」
『カナデの話を聞くわ』
「ありがとう」
シェリルが今まで奏のことをどう思ってきたのか、それはわからない。それでも、嫌な態度を取っていたことは気づいていたように思う。
奏は全てをシェリルに語った。病気が発覚し、どういう経緯でセイナディカに来るに至ったのか。それから嘘をつき続けた事実も包み隠さずに伝えた。
そこに奏の感情は一切交えず、事実だけを淡々と話したのだが、話を終える頃にはシェリルは号泣していた。
そして、黙って二人のそばに控えていたリゼットも同じように泣いていた。
『……カナデ、辛かったわね』
「私はシェリルに冷たくあたったんだよ。怒っていいんだよ?」
『それは仕方ないと思うの。私はゼクスがいてくれたから、それほど気にはしていないわ』
「でも、シェリルだって大変だったのに」
『そうね。でも、私はカナデがいてくれて良かったわ。言葉も分からない世界に一人だけ召喚されていたとしたら、と思うとゾッとするわ。カナデがいなくても私は召喚されていたのでしょう? それならカナデがいる今がどれだけ素晴らしいか。わかるかしら?』
「シェリルはそんなふうに言えるんだね」
もしたった一人知らない世界に強制的に召喚されて、そこでは言葉も通じないとしたら、奏なら泣き叫んでいた。
誰の言葉も理解できず、理解されず、挙句に召喚理由が生贄だという。冷静でいられないだろう。
シェリルは奏の存在に救われていると思っているが、それは全く違う。シェリルの心は強い。
シェリルの心は強い。奏がいなくても、言葉が通じなくても、きっとシェリルなら乗り越えられたはずだ。
『私は運がいいと思うの。カナデのお陰で言葉の壁は何とかなりそうだし、ゼクスのことは信じられるわ。みんな優しい人たちばかりね。私はこんな怪力になって迷惑をかけてばかりなのに……』
「私だって迷惑ばかりかけているよ! 本当に私は役立たずで!」
『カナデは気に病みすぎよ』
シェリルの優しさに奏の眼は潤んだ。奏の態度を怒るどころか、感謝しているという、それがどれだけ奏を救う言葉となったか。
「シェリル、ありがとう。これからは仲良くして欲しい。ダメかな?」
『嬉しいわ! でも、迷惑をかけてしまいそうね……』
「心配しないで、大丈夫だから! これからは私がシェリルのお世話をするよ!」
シェリルにあっさりと許されて、奏は嬉しくて悲しくもないのに泣けてきた。
嬉し泣きが出来る日がくるとは思わず、微妙な顔をしているとリゼットに笑われる。そのリゼットもずっと泣いているので、二人は顔を見合わせてついには笑い出す。
「リゼットは王様から何も聞いてなかったの?」
「ゼクス様はイトコだからと情報を洩らすような王ではありませんよ。それにいずれは話をしてくださるはずとカナデ様のことは信じていましたから」
「リゼット、大好き!」
「女性から告白されたのは初めてですねぇ。照れてしまいます」
何だか恥ずかしいやりとりを、シェリルがニコニコとした笑顔で見ていた。