第73話
奏を引き留めるジーンをリゼットが軽くいなして、本来の目的を遂げるために二人は兵団宿舎を後にした。
二人を見送るジーンの縋るような眼差しに後ろ髪を引かれる思いだったが、ゼクスに許可された外出期限は今日までで、のんびりしていたら贈り物を選ぶ時間がなくなってしまう、とジーンの視線を振り切った。
「ジーンさん、かなり金額を上乗せしてくれたようですねぇ」
「これでお金は足りそう?」
「充分だと思いますよ」
奏の仕事ぶりにジーンはいたく感心して、最初の予定以上に報酬を弾んでくれたようだ。
「宝飾店に行くの?」
「いえ、鍛冶屋です。男性用の指輪はそれほど装飾を必要としないですし、加工の難しい金属ですので、直接発注します」
「鍛冶屋でも指輪を作れるんだ」
「一般の鍛冶屋ではあまり作りませんが、金属なら何でも加工するというお店があります。きっとカナデ様の要望に嬉々として取り組んでくれますよ」
いったいどんな鍛冶屋だ、と思わなくもないが、リゼットが押すなら任せて平気だろう。リゼットの情報網は相変わらず多岐にわたっていて凄すぎる。
「さて、店主が寝ていないといいですが……」
「え、昼寝でもしているの?」
「寝ることが趣味なのですよ。寝ていたら叩き起こしますが」
リゼットのことは信頼しているが、不安を感じる情報だ。
「仕事はできる人ですので大丈夫ですよ。性格は……慣れれば、面白いと感じられると思います」
「そんな人とリゼットはどこで知り合うの?」
「歩いていたら声をかけられました。私に似合う金属を見せてやると迫られて……」
「え、それナンパ? 金属マニア? 何がしたかったの?」
奏の頭は疑問で一杯になる。ナンパにしては声のかけ方が普通ではない。
「その金属をいただけるならと応じましたが、意味があったのかどうかはわかりません」
「え、ついてったの? 大丈夫だった?」
「ウンザリするほど金属について語られましたね。私はあの人の頭が大丈夫なのか心配になりました」
聞けば聞くほど不安を感じる人物だ。
「着いてしまいましたね」
「着いたんだ……」
鍛冶屋の店主について語り合っているうちに、目的の鍛冶屋にたどり着いたようだ。
奏は変人かも知れない鍛冶屋の店主と会う覚悟を決めた。この際、指輪さえきちんと作ってくれさえすればいい、そう思うことにする。
「いらっしゃい。おや、リゼットさん。久しぶりですねぇ」
「ええ、近寄りたくはなかったのですが……」
「そんな悲しいこと言わないでくださいよ」
趣のある店内に入るとリゼットはすぐに声をかけられた。年嵩の男性はリゼットの本音を聞いて悲しそうにしているが、咎めることはなかった。
奏はリゼットの言う店主の人物像とは違う男性の様子に首を傾げる。どこから見ても普通の人だ。むしろリゼットの暴言に耐えている姿は哀れみさえ誘っている。リゼットを強引に誘った人物ではなさそうだ。
店主が別人である可能性を脳裏に過ぎらせていると、
「リ、リゼットー!! なぜ予告してこない!? 俺は何の準備もしていない! 俺の愛を受けとめてくれるはずじゃなかったのかー!!」
店の奥から若い男の叫びと、ガシャン、ガシャンと物が落ちまくる音が聞こえてくる。突然のリゼットの来訪に慌てたのか、言っていることがかなりおかしい。
「あなたの愛は重いので遠慮すると何度だって言います」
「俺の愛が重いのは当たり前だ!! 逃げられると追いたくなる男のサガを利用するとは、リゼットは知能犯か!?」
「追わないでください」
「冷たいことを言って俺をどうするつもりだ!? おまえは俺をこれ以上どう狂わす気だ!?」
(うぇー、変態じゃない! リゼットはオブラートに包み過ぎだよ!)
変態発言を繰り返す店主の声は十分に奏を震え上がらせていた。
店主の姿はまだ見えないが、奥からは店主の罵倒が聞こえてくる。崩れ落ちてくる物に邪魔されて身動きが取れないようだ。
「そんなに興奮しないで! 売り物が壊れる!」
「俺の邪魔をするなら壊す! リゼットの姿が見えない!! 俺をここから出せ!! 今すぐリゼットを見ないと俺は死ぬ! いや腐り落ちる! あれが!!」
どうやら店主は売り物に埋もれて暴れているらしい。そして発言はどんどん変態じみてきている。
店の従業員だろうか、店主を必死になだめすかしている声が聞こえるが、店主が暴れる音は激しくなる一方だ。
「リゼットさんに逃げられたくないなら暴れないでくれ! ちょ、ちょっと! それを壊すのだけは勘弁! ああ!? てめぇ、ちょっと大人しくしろや!!」
ドスッという重苦しい音とともに店主の声が途絶えた。
「エルさーん。大人しくさせたので手伝いお願いします」
店の奥から男性が現れた。その表情は一仕事終えた後のように爽やかさだ。
リゼット達と一緒に様子を窺っていた年嵩の男性は、声をかけられて慌てた。その表情は声をかけた男性とは対照的に曇っている。
「ちゃんと手加減はしたでしょうね!?」
「しましたよ。あっちで伸びていますけど、そのうち目を覚ますでしょ」
「仕方ないですね。後で騒がれても面倒です。強引に起こしてきます」
「それがいいですね。騒がれてもう一度はごめんです」
どうやら店主をどうするか対応が決まったようだ。物騒な言葉が聞こえた気はしたが気のせいだろう。
店主を大人しくさせた男性は、手首を押さえながらリゼットに微笑んだ。
「毎度! リゼットさん、騒がせてすみませんね」
「いつもながら素早い対応ですね。手首を痛めましたか?」
「ああ、平気ですよ。あの人が懐に金を忍ばせていたので、少ししびれていますけど」
「今度は違う場所を狙うのをお勧めします」
「見えるところは避けたいんですけど……。俺が虐待しているみたいで嫌ですから」
従業員に殴られて大人しくさせられる店主とはいかに。しかもそれが日常的なことだとリゼットは認識している。
「そちらのお嬢さんもすみませんね。驚いたでしょ?」
「あ、そうですね」
「あちゃ、初対面の印象最悪だよ。どうしてくれんだよ、あの変態」
否定しきれなかった奏の言葉に男性はショックを受けている。もう店主を庇う気も取り繕う気もなくなったのか、罵倒している。
「可愛い子にあの変態と仲間だと思われるのは心外だぁ! リゼットさん、頼むから助けて!」
「いいですよ。リナルトさんは非常に優秀な鍛冶職人です。この店の常識人で店主を大人しくさせる腕は素晴らしいです。現在二十六歳でお嫁さんを募集中の将来有望な男性です。間違っても店主と同類に扱ってはいけません」
「リゼットさん、ありがとう、ありがとう!」
リゼットのフォローにリナルトは感謝を捧げている。奏はリナルトの魂の叫びを聞いたと思った。
「ところで、今日はどうしたんですか? いつもはいないスキを狙ってくるのに」
リゼットは情報網を駆使して店主との接触を避けているらしい。さすがとしか言いようがない。
「今回はあの人の腕が必要なので。仕方なくですよ」
「難しい注文を希望されるといことですか。リゼットさんにしては珍しいですね」
「ええ、恋人への贈り物ですから」
「ええ!? リゼットさん、ついにやり遂げたんですか!?」
嬉しそうに語るリゼットに、リナルトが勘違いをして驚いていた。リゼットはすぐに否定する。
「いえ、私ではありません」
「では、こちらのお嬢さんですか?」
「そうです」
リゼットが肯定するとリナルトはガクリと項垂れる。
「……可愛いと思ったのに。やっぱり俺には縁がないのか!?」
「カナデ様はたしかに可愛いです。無駄に失恋させてしまいましたね。リナルトさん、私が力になりましょう」
「リゼットさん……。俺で大丈夫でしょうか? 俺が可愛いと思う相手には必ず恋人がいるんですよ!? また名前を知る前に失恋したくない……」
「分かっています。私に任せてください。悪いようにはしません」
「本当ですか?」
「リナルトさんには、いつもお世話になっていますから」
リナルトの出会い運のなさは相当らしい。憐れんだリゼットが協力を申し出ている。その手の話には食いつかないリゼットにしては珍しい対応だ。
「カナデ様の可愛さを理解できる男性なら、すぐに可愛いお嫁さんが見つかるはずです」
「名前も可愛い。世の中には、こんな可愛い子を恋人にできる幸運な男がいるんだ……。なんて羨ましい」
奏は先ほどから「可愛い」を連呼され、むずがゆくて仕方なかった。平凡な容姿の自分を「可愛い」という二人が理解できない。
スリーにも事あるごとに「可愛い」と言われるが、それもいまだに納得できないし、信じられないでいる。
奏は、そんなむずむず感をこらえながらリナルトに注文の詳細を伝える。
「リゼットの勧めで指輪を贈りたいんです。色は黒で」
「恋人に贈る指輪ですね。……黒となるとアダマンティンでしょうか。あ、そろそろ復活する変態にも意見を聞かないと……」
リナルトは注文をメモしながら容赦なく店主を変態呼ばわりしている。
その時、悪口が届いたのか店主の叫びが店内に木霊する。
「リゼット! もう好きにしてくれ!! 俺はいつでもいいぞ!!」