第72話
兵団宿舎での仕事は順調だった。ジーンが懸念したような問題も特になく、むしろ兵団員に可愛がられてしまった。
リゼットの「カナ君」呼びでどうやら子供だと思われたらしく、何をするにしても褒められ、何故か励まされた。
「お前は小さいのに偉いなぁ」と涙ぐまれた時は、彼らの中で奏はどんな壮絶人生を歩まされているのだろうと遠い目になった。
面倒になって否定せずにいたら、親孝行息子として定着してしまったようだ。
ジーンには影で爆笑されたが、兵団員に睨まれて仕事がやりにくくなるよりは良かったと奏は自分を励ました。
結局、性別を疑われることは一度もなく奏の心を打ちのめしたが、無事に仕事はやり遂げることができた。
「ジーンさん、お世話になりました!」
「おう、助かったぜ。お前ならいつでも歓迎するから、また頼むぜ」
「しつこいですね。諦めてください」
リゼットがジーンを牽制した。
「少しくらいいじゃねぇか! 即戦力になれる奴なんていやしねぇんだから……」
「ジーンさん、疲れているんだね」
「カナ! お前ならわかってくれると思ったぜ! 俺の仕事は料理することじゃねぇはずなんだが……」
哀愁を漂わせるジーンに奏は手を差し伸べたくなった。大変な仕事ではあったが、この五日間は楽しい時間でもあった。このまま終わりにしてしまうのは寂しい。
「時々なら来てもいいかなぁ」
「甘やかさないでください! ジーンさんも泣き落としで迫らないでください!」
「チッ、やっぱりリゼットは邪魔だな。カナ、こっちこい。邪魔のいないところで話あおうぜ」
リゼットを追い払う仕草をするジーンに奏は苦笑する。リゼットにこんな態度をとれる人は珍しい。リゼットは否定するだろうが、本当にこの二人は仲がいいと思う。
短い期間でもわかったことがある。
リゼットは普段から考えていることが読めないからどうなのか分からないが、少なくともジーンはリゼットを気に入っている。
ジーンが、仕事中でも平気でリゼットに声をかけてくる兵団員を威嚇する姿を何度も目撃していると、恋愛感情が全くないようには見えないのだ。
ジーンは明らかにリゼットを他の男達から守っている。
奏はリゼットの意中の相手がジーンではないか、と疑惑を深めた。ジーンに確かめる機会はこれを逃すとないような気がして、奏は思わず確信に迫る勢いで聞いてしまう。
「二人は付き合わないの?」
「「は?」」
二対の目が奏を凝視している。何かとんでもないことを聞いたという表情である。
「あり得ません!」
「ねぇな。だいたいリゼットとどれだけ歳が離れていると思っている。おっさんなんてお呼びじゃねぇだろ」
意外に冷静な返しだ。奏はひどい勘違いをしてしまったと慌てる。
「ジーンさんっていくつなの?」
「三十四歳だ」
「え? そんな歳には見えない」
確かに年上だろうと思っていた。けれど、実年齢よりはジーンは若々しく見える。まさか三十代だとは。二十代後半なら納得できる見た目だ。
「ジーンさんの理想は、豪快な美女ですよ」
「うん、ごめん。私の勘違いだったよ」
ジーンの理想は儚い系美人のリゼットとは正反対だ。リゼットの性格は豪快と言えなくもないが、ジーンにしてみたら冗談にしか聞こえないのだろう。
「リゼットの手綱を握れるような男がいるか疑問だが、そのうち見つかるはずだ。それまで勘違いさせておくことが俺の役目だな。カナにもそう見えるなら好都合だ」
「ジーンさんはリゼットの騎士みたいだね」
「そんないいもんじゃねぇぞ」
「そうですよ。それは騎士に失礼というものです」
「……その口の悪さがなけりゃ、いくらでも男を捕まえられんだろーに」
苦々しく言うジーン。リゼットの保護者として、この先、苦労が絶えない未来が待っていそうだった。