表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/201

第71話

 無事(?)にスリーを護衛から外すことに成功して、リゼットに連れてこられた場所は兵団宿舎であった。

 リゼットが兵団と懇意にしていることを知った経緯は、公爵に詰め寄られたからだが、リゼット本人からはまだ何も聞かされていない。

 そのうち本人から嬉しい報告を聞かせてくれるはずだ、と奏はリゼットを問い詰めたい気持ちを我慢していたが、こんな形で噂の真相に近づくことになるとは驚きだ。


「公爵が言っていたことは本当だったの……」


 兵団の責任者と思われる人物と会話をしているリゼットを見つめて、奏は小さく呟いた。

 ここにリゼットの恋人がいるかも知れない。奏は期待に胸を高鳴らせる。お金を稼ぐことが目的だったが、思わぬ収穫を得られそうで興奮する。


「カナデ様! こちらです!」


 いつの間にか話を終えていたリゼットは、慣れた様子で奏を誘導していく。

 奏は物珍しくキョロキョロとあたりを見回しながら、リゼットの後を追って行った。

 兵団宿舎は昼間あまり人気がないようだ。結局誰一人会うことなく仕事場となる厨房に着く。


 広い厨房には一人の男が忙しそうに作業している姿があった。

 珍しい銀髪は刈上げて短く、深い緑の目は鋭い。広いはずの厨房が狭く感じるほど、鍛えられた肉体をしている。とても料理をするようには見えない。


「リゼット? 今日は来ないんじゃなかったか?」


 男はリゼットが声をかける前に奏達に気づいたようだ。


「お疲れさまです。今日は戦力を連れてきました!」

「戦力? 本当だな?」


 男は疑いの眼でリゼットを見ている。


「私は嘘を申しません」

「嘘はな……。で、そっちの細っこいヤツか?」

「カナデ様です。五日ほど通いになります」

「ああ、了解だ」


 厨房の男は奏がくることを知らずにいたようだが、リゼットと数度会話をかわしただけで納得してしまった。

 面接するでもなくそれでいいのだろうか、と奏は不安になる。


「ジーンだ。どこの貴族の坊主か知らんが手加減はしないからな」

「ジーンさん! カナデ様は女性です!」

「……よろしくお願いします」


 リゼットがすかさず訂正してくれたが、奏は早速間違えられた性別に何とも言えない表情で頭を下げる。

 騎士団では初対面に間違えられることは少なくない。大概はリゼットが奏より先に憤慨して相手に抗議するので、思ったよりダメージは少なく済んでいる。


「女? こんな細いお嬢様で大丈夫か?」

「ジーンさん! 失礼ですね! カナデ様の凄さにひれ伏すことになっても庇いませんよ!」

「おまえ、どこからそんな自信がわいてくるよ。そんなに言うなら試させてもらうぜ」


 ジーンはそう言うと厨房からなにやら道具を持ってくる。


「包丁だ。持ってみろ」


 差し出された包丁を奏は掴む。見慣れた包丁と形が違う。包丁というよりは鉈と言われたほうがしっくりくる形状で、片手で扱うには苦労しそうな大きさだ。


「……なるほど。使えそうだ」

「どうも」


 重みのある包丁を軽々と持つ奏にジーンは感心したようだ。

 ジーンの扱う道具はどれも重量がある。これをまず扱えないことには仕事にならないと言われた。しかし、それは方便だったようだ。

 貴族の令嬢ならまず持てない。下手をすれば逆に手を痛めることになるかも知れないと思いつつも、最も扱いが難しく重量がある物を選んであえて持たせて試したらしい。

 ジーンはリゼットの言っていたことが事実だと理解すると奏に謝罪する。


「働き次第じゃ、特別手当をだせそうだな。ナカデっていったか? 悪かったな」

「いいですよ。よくあることなんで」


 見た目で舐められることはよくある。力を示せば大概は黙らせられるのでとくに問題はない。


「ジーンさん! カナデ様を呼び捨てにしないでください!」

「今日はやけに噛みつくな。おまえのお嬢様か?」

「そのようなものです。私を敵にまわしたくなければ言動には気をつけてください!」

「仕方ねぇな。が、さすがに様をつけて呼ぶわけにはいかないぜ。兵団の連中がちょっかいかけてくるからな」


 貴族のお嬢様が厨房で働いているなどと知られたら、「兵団の連中は黙っていない」とジーンに脅される。

 それこそオオカミの群れに獲物を投げ込む所業であり、ジーンが睨みを利かせても排除は難しいということだった。


「呼び捨てでいいと思うけど。あ、性別も男ってことにすればいいんじゃないかな?」

「何を言うのですか!?」

「ジーンさんに迷惑かけたくない」


 兵団宿舎という特殊な職場では、女性というだけで注目を浴びてしまう。短い期間とはいえジーンに面倒をかけるのはどうかと奏は思うのだ。それなら男ということにすれば、少なくとも性別のせいで起こる無用のトラブルは避けられる。


「いいじゃねぇか。黙っていればカナデは女に見えない。大事なお嬢様がオオカミどもに食い散らかされないようにしないとな」

「そんなに危険なの!?」

「あいつら、貴族のお嬢様は大好物だぜ。知られたら毎日口説きに群がるだろうな。リゼットの時だって少しやばかったからな」

「リゼット!! どうしてそんな危険なことするの!?」


 奏は頭を抱えた。そんな危険にさらされていたとは。リゼットに対して侯爵が過保護になるわけだ。


「そんなに心配する必要はないぞ。リゼットは侍女だからな。それほど触手は動かないらしい」

「えー、お嬢様の何がそんなにいいの?」

「さあな。高嶺の花を散らしたいらしい。燃えんじゃねぇか? 俺はお嬢様なんて面倒でしかないがな」


 リゼットは侍女という偽りの姿だが、ここで正体を知られることは非常に危険だ。リゼットは隠し通しているようで少しは安心したが、兵団の実態は想像以上に凄まじいため、油断はできない。


「私は今日から男になるよ! リゼットも呼び捨てでお願い!」


 リゼットの態度が恭しすぎて、お嬢様と勘違いされてはたまらない。だから奏は男を演じることに決めたのだが、リゼットは頑なに呼び捨てを拒む。


「そんな呼び捨てなどできるはずがありません!」

「おまえがそんな態度じゃ、カナデの貞操は保証できないぜ」

「そうだよ。リゼットは私がそんな酷い目にあってもいいの?」


 二人がかりの説得にリゼットは悔しそうに歯噛みしている。


「わかりました。カナデ様を男性として扱います。呼び捨てはできませんが!」

「折れねぇな。野郎共は貴族に容赦はしないぜ」


 貴族を嫌っている兵団員は多いという。貴族の令嬢なら歓迎でも、貴族の男となると話は違う。敵意を向けられるくらいなら可愛いもので実害がないとは言い切れない。

 ジーンが表立って庇うわけにはいかないという事情などリゼットは一切考慮していない。


「私は貴族じゃないんだけど、リゼットがそんな調子じゃ、問題が起こりそうだよ。自分で対処できなくはないけど、あんまり騒ぎは起こしたくないなぁ」

「随分と強気な発言だな。兵団のやつら相手に対処できるだと? あんた一体何者だ?」


 貴族でもないのにリゼットに傅かれている奏にジーンは興味を覚えたようだ。

 意外という眼で見られた。ただの虚勢というわけではないが、物知らずだと思われていそうだ。


「その珍しい黒に関係ありそうだが……」

「あ、やっぱり目立つかな?」

「目立つどころの話じゃないと思うが。こんなところをウロウロしていたら攫われて売られるぞ」

「う、そんなに? よく許可してもらえたな……」


 黒の色彩がどれほど目立つのか、分かっていたつもりだったが認識が甘かったようだ。ゼクスの許可がおりたため問題ないと思っていたが、考えが足りなかった。

 どうりで視線が突き刺さってくるはずだ。せめて髪を隠すくらいすれば良かった。


「誰が許可したか知らんが、ずいぶんと豪胆な人物だな。俺なら怖くて外に出せない。必ず面倒を運んでくる」

「カナデ様なら平気ですよ。誰も手出しはできませんから」

「おい、わかっていて俺に面倒を押し付けたな」

「カナデ様の望みを叶えるためです」


 ジーンは驚いていた。それもそうだろう。奏自身もリゼットがここまで良くしてくれる理由がわからなかった。

 リゼットは社交的だが意外に頑なである。自分の内に入れる人間はかなり選んでいる節があった。

 友達と呼ぶにはリゼットは身分が高すぎる。趣味で侍女をしているだけのリゼットが貴族でもない奏に従う理由がなかった。

 ジーンはそこに突っこむことはなかったが、奏が稼ぎたい理由を知りたいようだった。


「何のために金がいる?」

「……理由言わないと駄目かな?」

「駄目じゃないが興味がある。金には困ってないだろう」

「笑わない?」

「ああ」

「こ、恋人に贈り物をしたくて……」


 意外な理由だったのだろうジーンが眼を見張った。

 奏は顔を赤らめた。そんな理由をジーンに言って呆れられたりはしないだろうか。


「いいじゃねぇか。なら、なおさら余計な問題は排除するべきだな。……リゼットはもう帰れ。カナデは明日から一人でこい」


 ジーンは好意的に受け止めてくれた。ホッとしたもののジーンはリゼットを排除しようとする。出来ればやめて欲しい。猛り狂ったリゼットを宥める役目は正直いって辛い。


「ジーンさん! 何をいうのですか!?」

「おまえは邪魔なんだよ。どうせ護衛がわんさかついてきてんだから一人で平気だろ」

「そんなわけにはいきません!」

「知るか! 折れないおまえが悪い。呼び捨てくらい、どうってことないだろうが!」


 ジーンの言い方はずいぶんきついが、そのくらい言わないとリゼットは言うことなど聞かない。

 リゼットは侍女だが平民ではない。身分から生じる確執がどれほどのものか理解していない。奏さえ何となくまずい状況になりそうな予感を感じているというのに。


「二人とも落ち着いて。私の我儘だから無理なら諦める」


 喧嘩に発展してしまった二人に申し訳なくて項垂れる。安易に考えて我儘に付き合わせてしまった。


「カナデが可哀想じゃねぇか。恋人に贈り物をしたいって女心をリゼットはもう少し見習え」


 ジーンが奏の援護をしてくれる。リゼットはそれが気に入らないようでジーンに噛みつきはじめる。


「……ジーンさんは女性に贈り物をする甲斐性ありませんよね」

「言うじゃねぇか。俺だって贈り物ぐらいする。今は相手がいないだけだ」

「申し訳ありません。ジーンさんは可哀想です」


 リゼットは完全に上から目線だった。言われたジーンも黙ってはいない。


「おまえに憐れまれるほど落ちぶれちゃいねぇぜ。人のことより自分の心配をしろ。理想が過ぎて行き遅れになりそーじゃねぇか」

「余計なお世話です。諦めが悪いジーンさんよりマシです」

「それこそ余計だ。……って、脱線し過ぎだ。で、どうする?」


 リゼットの気持ち次第でこの話はなかったことにするしかなさそうだ。このまま働いて欲しいというジーンの本音が見え隠れするが、リゼットがこの調子では難しい。


 とにかく人手が足りず、常に募集しているが、なかなか見つからない。兵団宿舎で働きたいという奇特な人物はいないにも等しい。兵団は嫌われているはずないのに、何が原因なのやら。

 そんな不幸な現状をジーンが憂いている。少しでも手伝いができるといいとは思うのだが、いかんせんリゼットは手強かった。


「カナデ様、申し訳ありません……」

「いいよ。無理を言った私だから」


 リゼットが持ってきてくれた話だ。リゼットが嫌なら仕方ない。

ところがリゼットはこの話をなかったことにしたい訳ではなかったようだ。


「断腸の思いで、カナ君と呼びましょう!」

「へ? カナ君? カナじゃダメなの?」

「それですと、どうしても様をつけてしまいたくなります!」


 頑なに呼び捨てを拒むリゼットが選んだにしては、かなり砕けた呼び方を選んだと思えばそんな理由だった。


「……リゼットを狙っている奴らに目を付けられそうだな。仕方ねぇか。それくらいは排除できるよな、カナ君」

「できるけど、ジーンさんにそう呼ばれるのは微妙……」

「じゃ、カナにするぜ。決まったところで、二人ともわかっているな? 時間がねぇから、死ぬ気でやれ!」


 リゼットの説得にてこずり作業時間が大幅に削られた。のんびりしていたら飢えた獣たちがやって来てしまう。ジーンの焦りが伝わってくる。時間になっても食事が提供されないなどもってのほか、酷い目に遭いたくなければ間に合わさなければならない。


 ジーンの号令とともに奏は包丁を振るった。その隣では恐ろしい勢いでリゼットが野菜を切り刻んでいる。

 目の前に積まれた肉の山に奏は気が遠くなりそうだったが、ジーンの無言の圧力を前にひたすら肉を切り刻み続けた。


◇◇◇


 三人の努力によって無事に食事は提供された。

 奏は疲れた体を引きずって岐路に着いたが、達成感でまだ気分は高揚していた。

 時間が押したわりにいつもより短時間で調理が終了した。そのことでジーンに感謝され、あまつさえ五日とはいわず、ずっと働いて欲しいと懇願された。


 奏は言われるままに包丁を振るっていただけだが、万年人手不足で肉切り作業はジーンが一人でこなしていたらしい。

 それが奏のお陰で仕上げだけに集中できたと嬉しそうに語っていた。あれだけの量を一人で切り盛りしていたジーンに同情は禁じえないが、スカウトに応じるわけにはいかないだろう。


「筋肉痛になりそう」

「カナデ様の働きぶりは素晴らしかったですからね」

「そうだといいけど。いつもジーンさんは一人で大変だね」


 最初から厨房にはジーン一人しかいなかった。本当に一人きりの作業を続けている努力には脱帽する。


「兵団員で唯一まともな料理を作るので仕方ないのですよ。他人に任せたら食材を台無しにされると嘆いていました」

「料理担当ってわけじゃないの?」


 ジーンは料理をすることが仕事ではないようだ。かなり手慣れていると思ったが違うのだろうか。


「ジーンさんは連隊長です。大概は料理を担当しているので、どちらが本業か忘れられてますけどね」

「ええ!?」


 ジーンの肩書の凄さに奏は驚いた。料理をするようには見えないという印象どおりだったわけだ。


「料理人を雇えばいいのに」

「それが出来ればジーンさんも苦労はしていないでしょう」

「働いてくれる人がいないの?」

「すぐに辞めて行ってしまうようですね。常に募集はしているようですが、なかなか来てくれないようです」


 働いてみてわかったが、大人数の兵団員に提供する料理は桁違いな分量だった。食材を下ごしらえするだけでもかなりの時間を要する。山のような食材を前に尻込みされてしまい、人材が確保できないのだろう。


「外食にするわけにはいかないの?」

「さすがに三食とも外食は厳しいようです。兵団は薄給だからと……」

「そうなんだ」


 悲しい理由だが、それならジーンが苦労してまで料理をするはずだ。

 昼食限定というのも、料理担当が一人であることを配慮した結果だろう。本当なら三食安く済ませられることが理想だろうが、なかなか難しいようだ。


「明日も頑張ろう。短い間でもジーンさんの負担が減るといいよね」

「そうですね。ジーンさんは頑張りすぎです」

「……気になっていたんだけど、リゼットはジーンさんとかなり仲がいいよね?」


 あまりに忙しすぎて、結局リゼットの意中の人が誰なのか探りそびれていた。リゼットはジーンに気を許している気がする。奏はもしかしたらと期待を膨らませる。


「そうですか? 普通ですよ」

「そうかなぁ。お互いに遠慮がないというか、リゼットに言い負かされない人は珍しいと思うけど」


 リゼットと対等に渡り合えるだけですごい。「甘やかさない」と宣言しているくせに、ほとんどリゼットの言いなりになっているゼクスとは大違いだ。


「兵団の人は大体あんな感じですよ。遠慮など一切ありません」

「そういうもの? ジーンさん以外知らないからなぁ」

「ジーンさんを基準にしないことをお勧めしますよ。ジーンさんは話が通じる部類です」

「え? 通じない人いるの?」

「いますね。ジーンさんのような人は少数派です」


 兵団の謎は深まる。粗野な印象こそあれ、街を守る重要な任務をこなしている人達だ。そんな変人奇人の集まりと断言するようなリゼットの言葉に疑問が生じる。


 奏は明日から本格的に始まる兵団の仕事に思いを馳せて不安になる。

 そして、妙に兵団に慣れ親しんでいるリゼットにも一抹の不安を感じる。平然としているリゼットが恐ろしい。

 そう言えば、リゼットは騎士団も牛耳っていた。

 奏は思い出して震えあがる。きっとリゼットはどこへ行っても最強なのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ