第66話
「というわけだよ。ゼクス王の時代でなければ処分されていたね」
「さらっと言うことじゃないと思う……」
奏は唖然とした。スリーが突然距離を置きはじめた理由と、今になって名前を呼んでくれるようになった理由が分かった。
けれど、危険と隣り合わせの任務を何事もなかったように、淡々と話しをしているスリーを見ていると少し心配だ。
「スリーさんはどうしてセヴィーラの護衛になったの?」
「ゼクス王がセヴィーラを単なる生贄と考えていなかったから。少しでも協力できるならと思ってね」
「騎士団の副団長をやめたのはそのせい?」
「兼任は難しいからね。それにもし生贄という選択をすることになれば帰ってはこられない。引き継いでおかないと」
ゼクスがセヴィーラを生贄とすることを回避したいと考えていても、それが難しい状況になった時、スリーは護衛として本来の役割を果たすことになる。
国を守るために時には厳しい選択を迫られる。その時はセヴィーラと共にドラゴンの元へ赴くのだ。命の保証などない。
奏はセヴィーラの護衛に課される役割の重さを知った。
「スリーさんは、それでよかったの?」
「セヴィーラのために命をかけることは名誉なことだよ。まあ、俺はそう思えなかったけれど、カナデがセヴィーラだったから命をかけることを決断できた」
「私はもうセヴィーラじゃないよ。今度はシェリルのために命をかけるの?」
「それはないよ。シェリル様には別の護衛がつくと思うよ」
それならスリーの役目は終わったということだろうか。騎士団ではスリーの復帰を待ち望んでいる声も多いという。
「じゃあ、騎士団に戻るの?」
「いや。護衛は続けることになると思うよ。セヴィーラの交代は内々の話だからね」
奏はセヴィーラではなくなったが、本当の事情を知る人間は、神と直接会うこととなったゼクスをはじめとした四人だけだ。
新たな召喚で表向きはシェリルがセヴィーラとして役割を果たすことにはなるが、それでも奏はセヴィーラとさして変わらない存在なのだ。
いまだにゼクスに対立する貴族は少なくなく、異世界人ならセヴィーラであろうがなかろうが、生贄にしていいだろうと言い出しかねない状況であるという。
たとえ神の守護があって暗殺される危険性が薄いとしても、絶対に大丈夫という保証がない。
そんな中で、護衛を外す事は考えられないのだった。
「神の守護はどこまで有効だろう。カナデは何か聞いている?」
「命だけは守るようにしてくれているみたい」
「そう。ならやはり護衛は必要になるね。命さえ奪わなければとカナデを害そうと考える者がいないとも限らない。あの時のように危険を察知してカナデを守ってくれればいいが……」
「あの時?」
スリーの表情は険しい。
「以前ぶつかったことがあったよね。ほら二度目に会った時だよ」
スリーが命令違反をしてまで、奏に接触したのはこの時のことだと言う。
「二度目? あ! 突然消えた時のこと?」
「驚かせたね」
「幽霊なのかと思って怖かったよ」
奏は幽霊騒ぎで、リゼットとフレイに泣きついたことを思い出して、顔を赤くした。幽霊が怖いなんて恥ずかしすぎる。
「恐がらせてごめんね。カナデの安全を考える上で、確認しないわけにはいかなかったからね」
「スリーさん、謝らないで。そもそもの原因は私にあるから」
奏は申し訳ない気持ちで一杯になる。何もかも強引にこの世界へ渡ってきた奏に原因がある。
国の一大事にひっかきまわすようなことばかりしていた。それにも関わらず好待遇だった。少しばかり試されたからといって怒る筋合いはない。
「その辺りの事情を聞いてもいいかな?」
「うん」
イソラはその辺の事情をほとんど話さずに帰って行った。奏もあまり進んで話したい内容ではなかったので、まだ誰にも詳しいことを話してはいない。
「死にかけていたというのは本当?」
「あ、うん。通りすがりにイソラが助けてくれなければ死んでいたかな」
自分で言っていてもおかしな状況でしかない。スリーが困惑気味に聞いてくる。
「通りすがり? 一体どういう状況だったの?」
「ちょっと弱っていて神様に助けを求めたというか。本当にいるとは思わなくて驚いたけど」
「弱っていたってどういうこと?」
「病気で。治療は難しいって言われて、もういいかなって思ったら本当に死にそうになっちゃった……」
奏はその時の辛い気持ちを思い出して顔を歪めた。諦めたくないけれど、弱っていく身体をどうしようもできなくて一人で苦しんだのだ。
イソラに救われて死ぬことがなくなった今でも時折思い出してしまう。
こうして元気に過ごせているが、それは仮初なのだ。出来るだけ深く考えないようにしていただけだ。
「だから一人で泣いていたの?」
「あれはフレイを振ったからで……」
「それはきっかけでしょ。振られたならともかく、男を振ったくらいであんな泣き方は普通しないよ」
スリーの言う通りだった。こちらの世界にきて、いつか帰るのなら大切な人は作れないと思った。
押し殺していた思いが、フレイに図星をさされたことで堪えられないほどにあふれ出した。
どうにもならない病気を抱えた身体のことは誰にも言えない。頼りたくても誰もいない。
奏はリゼットやフレイと距離が縮まっていくほど、嘘をつき続けている事実が辛くなっていく。
一人でしか泣けない。そんな奏をスリーは見守ってくれていた。
「スリーさんに何度も迷惑かけて恥ずかしいな」
「迷惑じゃないよ。さすがに何度も泣いている姿を見てしまうとカナデが心配でたまらなくなるね。まあ、そのうちの一度は俺が泣かせたわけだけど……」
スリーの前でそんなに泣いていたらしい。
一度目はフレイを振った時に号泣している所を見守られ、二度目は喧嘩別れのようになった時、知らず知らずのうちに泣いていた。
三度目はイソラに再開した時、今までにないくらい酷い泣き方をした。きっとドン引きされたはずだ。
「スリーさんには多大なるご迷惑をおかけしまして」
「そんなに気にしないで。あの時からこうなる予感はしていたから」
「あの時?」
「あ、しまっ……。何でもないよ」
奏は「何でもない」と言いながら目を反らすスリーを見逃さなかった。あからさまに眼が泳いでいる。スリーには隠し事が多いようだ。
「スリーさん、誤魔化しきれてないよ」
「いや、本当に話すようなことじゃないよ」
「やましいことでもあるみたい……」
ジッとスリーを見ているとスリーは観念したように息をつく。
「長期遠征から帰ってすぐだったかな。カナデが部屋で泣いている所を見かけてね」
「……覚えてないよ」
「カナデは眠っていたから」
それはずいぶんと前のことで、寝ている間に泣くほど情緒不安定だった時があったらしいが、奏はまったく思い出せなかった。
「……一度だけ熱を出して寝込んだことがあったけど、そのときのことかなぁ」
「死にたくないって泣いていたよ……。ずっと一人で耐えていたの?」
スリーには迷惑ばかりか、心配までかけてしまっていたようだ。
ほとんど知らない相手から寝言だろうが、そんな言葉を聞かされて、さぞや驚いたことだろう。
「病気のことはね、セイナディカにいれば平気みたい。治るわけじゃないけど普通に生活はしていけるよ」
「痛みや苦しさはあるの?」
スリーの声は心配している。
「それはないよ。病気が治っているって勘違いするぐらい元気で、いつもは忘れていられるくらい。普通に走ったり騎士団に混ざって訓練したり、元の世界では考えられないくらい身体が軽くて信じられないくらいだよ」
「そう。元気でいられるなら良かった」
「病人には見えないでしょ?」
奏は深刻にならないようにふざけてみせた。スリーが心配してくれることは嬉しいけれど、それを負担に思って欲しくはない。
「確かに病人には見えないけれどカナデは軽すぎるよ」
「スリーさんも凹凸がない身体だって思っているの!?」
「そこに不満を感じた事はないけど抱きつぶしそうで怖いよね。この先のことを考えるともう少し太ってもらいたいかな。俺は我慢強いけれど、最近はカナデに触れずにいる自信はないね」
奏は先程から気になっていたスリーとの距離感について、今後は考えを改めなければならないと感じた。
今も十分近い距離というか、もう身体に少し触れている。わりと深刻な話をしていた気もするのにスリーは平然と奏との距離を詰めてくる。
ソファの端まで寄っている奏はもうこれ以上逃げ場がなく、ドキドキしながらも気にしないように会話を続けていたが、スリーの意味深な発言に我慢も限界に達した。
スリーは今にも奏の腰に手をまわそうとしている。敏感に察知して奏は勢いよくソファから立ち上がる。
「少しは太ったんだけど!」
「カナデは小食らしいね。リゼットが心配していたよ。で、どうして逃げるの?」
奏に逃げられたスリーは不満を洩らす。残念そうにしているわりには目が笑っているように見える。
奏は揶揄われているような気がして口を尖らせた。