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第62話

 ゼクスはシェリルと過ごした時間を思い返していた。


 リゼットに伴われて執務室に突然やってきたシェリルに、ゼクスは驚きを隠せなかった。

 事故のようなものだとはいえ、怪我を負わせてしまった負い目で泣いていた姿は、積極的にゼクスに関わろうとする今の状況とはそぐわない。


 リゼットが挨拶をして退出すると、一緒について行ったはずだが、ゼクスが執務室を出て仕事をこなしているとシェリルは先々についてきた。

 どこかぎこちなく、それでもゼクスを心配そうに遠くから窺っているシェリルがゼクスの集中力を乱す。

 ゼクスの邪魔にならないように隠れているつもりらしいが、それが逆に目立ってしまっているとは考えつかないのか。

 これから気が向かない仕事をしなければならない。ゼクスはただでさえ苛立つ気持ちが抑えきれなくなっていた。


 まとわりつく視線にたえられなくなったゼクスはシェリルを手招いた。

 遠くから見られているくらいなら、近くに置いたほうが精神的に楽そうだ。ちょうど息抜きをしようと思っていた。


「こい。おまえは目立ちすぎる」


 言葉は伝わらなかったが、ゼクスの言いたい事はわかったようだ。シェリルがおずおずと近づいてくる。警戒しているのか、懐かない野生動物のようだ。

 ゼクスは執務室の扉を全開にしてシェリルを促す。扉は開けたままで構わない。


「そこへ座れ」


 ゼクスはソファを示してシェリルを座らせると、自らお茶の用意をはじめた。人の手を借りればいいのだろうが、それではシェリルが逃げるだろう。


 ゼクスが一人でなんでもこなすことを側近以外は難色を示すことが多いが、人目がない今なら特に問題はない。

 侍女が用意するほどの上等さはない。それは我慢してもらうほかないだろう。


 ゼクスは手早く用意を終わらせて、シェリルの前へ腰かける。

 シェリルは用意されたお茶とゼクスを見比べて困惑していたが、並べられた菓子につい視線がいってしまう様子に、ゼクスは笑いをかみ殺さずにはいられなかった。

 どうやら遠慮しているシェリルに、ゼクスはどうすべきか考える。食べたそうにはしているのに、身体を強張らせて動こうとはしない。


 ゼクスはおもむろに菓子を一つ手に取ると口へ放り込んだ。信じられないほどの甘さが口中に広がって思わず口元を押さえる。久しぶりに食べたがやはり苦手な味だ。

 国では当たり前に女性が好んで食べる伝統的な菓子だが、その甘さは破壊的である。

 リゼットの好物だから常に常備している菓子ではあるが、これをシェリルに出すべきではなかった。

 ゼクスは菓子をお茶で流し込むと、シェリルの前にある菓子の皿を持ち上げる。新しい菓子を用意するために下げようとしたのだが、シェリルは持っていかれると思ったのか慌てはじめる。


「……食べるか?」


 ゼクスは菓子をそっとシェリルに差し出す。取り上げるつもりではなかった。シェリルが食べたいのなら構わない。味の保証はできないが。

 シェリルはそれまでの態度とは打って変わり、遠慮することなく菓子へ手を伸ばす。モタモタしていたらゼクスがまた取り上げるとでも思ったのだろう。


『あ……』


 菓子はシェリルが触れた瞬間崩れ落ちた。柔らかい菓子はシェリルの力に耐えられなかったようだ。

 シェリルが悲しそうに表情を曇らせる。触れるものすべてが破壊されていく。これでは何も触れない。

 ゼクスは菓子の残骸に未練がましい視線を向けるシェリルに哀れみを感じた。召喚されてから飲まず食わずであった。流石にこのままにしておくことはできない。


 ゼクスは忙しさにかまけて、シェリルを放置していたことを悔やんだ。

 破壊的な甘さの菓子はなくなったが、別の菓子ならまだいくらでもある。執務室の奥の部屋には、リゼット用に常備されている菓子が山ほどあるのだ。

 ゼクスはそれを取りに行くために立ち上がった。リゼットには後でいくら文句を言われても構わない。


「固ければ平気か……」


 シェリルの力に耐えられるような菓子があるとも思えないが、瞬時に崩れるような物はシェリルには酷だろう。

 ゼクスは比較的固いと思われる菓子に目をつけると急いで執務室へ戻る。

 シェリルは打ちひしがれていたが、ゼクスが手にしている菓子を目ざとく見つけると嬉しそうに目を輝かせる。

 ゼクスはそんなシェリルの様子に表情を緩ませた。少しは近づけただろうか。


「これならどうだ?」


 ゼクスは待ち構えるシェリルに菓子を持たせた。菓子はしばらく形を保っていたものの、シェリルが口へ運ぶ前に崩れた。まるで砂のようになった菓子はシェリルの手からこぼれ落ちていく。


 これではシェリルがいつまでたっても菓子を食べることができない。

 ゼクスは考えていたことを実行するべくシェリルに近づいた。以前は警戒されていたが、今はここまで近づいても逃げる様子は見られない。それならゼクスがこれからすることも受け入れてくれるはずだ。

 ゼクスは菓子を手で摘まむとシェリルの口元へ持っていった。言うまでもなく食べさせようとしているのだが、シェリルは驚いて固まってしまう。


「さっさと食べろ」


 ゼクスは羞恥のあまり声を荒げる。誰かに手ずからず食べさせるなどしたことがない。こんなことはどうということはないと思っていたが、思う以上に恥ずかしい。まるで恋人を甘やかしているようで居たたまれない。


 ゼクスは急かすようにシェリルに視線を向けたが、この状態で眼を合わせたことは失敗だった。

 シェリルは頬を染めてゼクスを見つめている。その破壊力のある表情にゼクスはしばらく茫然とする。シェリルが恥ずかし気に菓子を頬張るまで時間が止まったような錯覚さえ覚えた。


 菓子はシェリルの口にあったようだ。シェリルの綻んだ表情にゼクスは見惚れる。気がつけば、その表情見たさに、いそいそと菓子をシェリルの口元へ運んでいた。

 ほぼ無意識の行動であったが、喉が渇いたのか、お茶の注がれたカップにシェリルの目線が行くと同時にゼクスは我に返った。

 しかし、我に返るのが早すぎた。この後、シェリルにお茶を飲ませなければならない。口元へ菓子を運ぶより難易度は非常に高い。


「ゼクス王。こちらにいましたか。……おや、お邪魔でしたか?」

「いや」


 ゼクスが一人で葛藤をしていると、宰相が執務室にやってきた。ゼクスを探しにきたようだ。

 ゼクスはシェリルと二人きりでいる所を見られて狼狽したが、平静を装う。ひな鳥に餌を運ぶがごとく、シェリルに菓子を与えていた現場は押えられていない。


「公爵が着きましたので始めたいと思いますが」

「わかった。すぐに行こう」

「セヴィーラ様は置いてきてくださいよ」

「当たり前だ!」


 ゼクスの動揺に何を思ったのか、宰相はニヤニヤ笑いながらゼクスを揶揄う。


「セヴィーラ様は離れがたいようですよ」

「は?」


 宰相に指摘されたがゼクスには理解できなかった。嫌われているとまではいわないが、怯えられてはいた。それがこの短時間で覆るはずがない。

 けれど、それはゼクスだけの認識であった。ゼクスがシェリルの様子を窺うと不安そうな顔で今にも縋りつきそうにしている。

 ゼクスに向かって伸ばされたシェリルの手が空中で止まっている。それは行ってしまおうとするゼクスを引き留めようとしているように見える。

 シェリルは中途半端に伸ばされた手をゼクスに見られて慌ててひっこめる。

 それを見たゼクスは破顔しそうになったが、宰相の存在を思い出して顔を引き締めた。これ以上揶揄われるのは遠慮したい。


「ずいぶんと懐かれましたねぇ。ゼクス様は一体何をしたのでしょうね。興味がつきませんが、公爵を待たせるわけにもいかないですからね」

「おまえの興味をひくようなことは何もない」

「その辺は後程じっくりと。セヴィーラ様はリゼット様にお任せしましょう。もういらっしゃると思いますから」


 じっくり語るつもりはないが、宰相の追及から逃れることは至難の業だ。ゼクスはどう誤魔化すかと、新たな懸案事項に頭を悩ませた。

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