第55話
この数日間は静かなものだった。シェリルが召喚されるという大騒ぎがあったというのに、奏の周りだけ置き去りにされたように穏やかだ。
リゼットはシェリルに付きっきりなのか一度も会うことがなかった。
奏は部屋に籠りきりだったが、一人でいることで逆に段々と覚悟を決められるようになっていた。
日々何もせずに何も考えずに、ぼんやりと空を眺めていた。時折聞こえてくる鳥の声に耳を傾けている時だけが唯一安らげた。このままいけば悟りも開けそうだ。
(イソラは呼んだら来てくれるよね)
その時が来たらという約束で、一度だけ呼んでいいことになっている。
その時がいつなのかと問えば、「心配しなくてもその時がくれば分かる」とイソラが言っていたことを思い出す。
最初は神を名乗るおかしな男に警戒したものの、イソラとの短い時間は楽しい時間でしかなかった。
奏はイソラとの約束を守ってきたが、それはもう守れそうにない。
(怒られそうだな)
奏は想像して笑った。きっと泣きそうな顔をしながらも罵倒するに違いない。眼つきの悪い神は見た目と違って優しいから。
(最後は一緒にいてくれるかな)
諦めてしまった奏をイソラは許してくれるだろうか。最後まで付き合わせてしまうのは申し訳なく思うが、拾ったのはイソラなのだから面倒を見てもらっても罰は当たらないだろう。
奏は審判を待つ。
◇◇◇
ゼクスに呼ばれたのは、それから間もなくのことだった。
奏は騎士に案内された部屋へと足を踏み入れた。そこにはゼクスと見慣れない男性が二人いた。
一人はゼクスをそれほど変わらない歳に見える。ゼクスの隣に腰かけて奏を見ているが、その表情は柔らかい。
もう一人は壮年の男性であった。貴族だろうか。機嫌は悪そうだ。
ゼクスはその対照的な二人に挟まれるように座っている。その顔色は悪い。怪我が治っていない状態ではまだ辛いのだろう。
「カナデ。宰相とフェルデ公爵だ」
奏は頷いた。いまさら誰がこの場にいようとどうでもいい。
「まあ、座れ。もう一人くる予定だ」
奏はゼクスに促されて三人に対面する席へと座る。沈黙する部屋に落ち着かない気分でいると、バタンと勢いよく部屋の扉が開かれた。
奏は眼を見開く。そこには少し息を乱したスリーがいた。
「急に呼び出して悪いな」
「いえ」
スリーは同席する予定ではなかったようだ。けれど、宰相とフェデル公爵は特に驚いたりはしていない。
「適任がいなくてな」
「了解しました」
奏は久しぶりに会うスリーに戸惑った。喧嘩別れしてしまってから会ってはいない。
一体どうして呼ばれたのか分からないが気まずい。奏は扉の近くに移動したスリーを見ないように視線をずらした。意識せずにはいられない。
「さて、カナデ。逃げないというのは本当だな?」
「努力はする」
ここまで来て逃げるつもりはない。けれど、スリーと一緒の空間にいることで自信がなくなってきた。できればスリーにはいて欲しくない。
「努力では信用できないな」
奏はチラリとスリーに視線を送る。仕事仕様の怖い表情をしているスリーを前に奏は今にも逃げ出したい気持ちに駆られる。このまま話を進めていくと全てをスリーに聞かれてしまう。騙していたという事実を知られたくない。
「王様。あの……」
スリーをどうにか追い出して貰えないだろうか。気持ちは言葉にならず、奏は思わず席から立ちあがる。
その行動がいけなかった。ゼクスがスリーに命令を下す。
「拘束しろ」
「!」
驚きに奏が逃げを打つ前にスリーが動く。背後から覆うように抱き込まれて身動きが取れない。
反射的に抵抗をするがスリーの拘束はますます強くなる。
密着したスリーの胸板の感触が生々しく、奏の心は悲鳴を上げる。
「王様! 別に逃げようとしたわけじゃ!」
「言い訳だな」
「本当に逃げないから!」
「……いいだろう。スリー離してやれ」
ゼクスは一瞬考え込んだが、奏を信用してくれたようだ。
奏はホッとして力を抜いたが、スリーは奏を離さない。
「スリーさん。離して」
「なぜ?」
ゼクスは信用してくれたが、スリーはまだ警戒しているようだ。奏はスリーを説得するように言い募る。
「信用できないなら縄で縛って。逃げないって誓うから」
「カナデ様を縄で縛る……」
「用意させるか?」
「必要ありません。カナデ様が逃げる恐れが少しでもあるなら、俺が拘束するべきです」
「それなら仕方ないな」
奏は二重にショックを受ける。スリーに信用されないこともショックだったが、ゼクスが拘束を許可したことにも打ちのめされた。このままの状態でいなければいけないなんて耐えられる気がしない。
「王様! 後生だからスリーさんを説得して!」
「別に問題ないだろう」
「これ普通の拘束と違うでしょ!?」
「まあ、普通とは違うか……」
ゼクスも疑問を感じていたらしい。これではまるで拘束しているというより、抱きしめられているようだ。
「その状態は少し問題だな」
奏は椅子から立ち上がった状態で後ろからスリーに拘束されていた。その姿勢では会話を継続するには支障がありそうだ。
奏がもう一度ゼクスに取りなして貰おうと口を開く前に、スリーはおもむろに奏を抱き上げた。椅子に座ると自身の膝の上へ奏を座らせる。
スリーの膝の上に座る羽目になった奏が驚いて身じろぎしたが、スリーの拘束は揺るがない。
「これなら問題ないですね」
「ああ」
ゼクスはスリーの行動に面食らっていたが、とくに何もいうことはなかった。
「暴れてもスリーは離さないぞ。抵抗は諦めろ」
奏は恨めし気にゼクスを見た。抵抗するだけ無駄なのは言われなくても、スリーが拘束力を強めたことではっきりとしている。
奏は抱きしめられていると思わないように、スリーを意識しないように気持ちを切り替えた。
これから行われることは尋問もしくは事情聴取だ。少なくとも拷問されるようなことはないと信じたいが、可能性がないとはいえない。
本来なら王に対する奏の態度は不敬だ。宰相や公爵が口を挟まないからといって許されることではない。
「カナデ。自分がどういう立場かわかっているな?」
「はい」
「では聞こう。おまえは何者だ?」
空気がそれまでと違うものに変わった。奏は重苦しい空気を払拭するように深く息をつく。ゼクスの質問に答えなければならない。たとえそれが明確な答えではないとしても。
「何者でもない。私は私としかいえない」
「それで納得できるとでも?」
ゼクスが納得できようができまいが、奏にはそれ以外の答えがない。例え奏以外に同じ問いを投げかけたとしても平凡で無害な一般人は答えに詰まるだけだ。
「私が何者だというの? 侵略者? 破壊者? それとも人間ではない別の何か?」
「どれも考えられなくはないな」
ゼクスは冷静に返した。
「どれでもない。王様が納得できなくても」
「そうか。それで目的は?」
目的を聞かれて奏が思ったことは、正直に話しても信じてもらえそうにない、だった。
そもそも目的というほど大層な理由ではない。普通に聞いたら冗談と一笑されてもおかしくない。それどころか、本当の目的を隠すために嘘を言っているのではないかと疑われそうだ。
奏は逡巡した。その態度はゼクスを苛立たせ疑心を生ませる。
「おまえを信じたことは間違いか。その答えを知っている者に直接聞くべきだったな。カナデ、おまえをこの世界に送った者がいることは分かっている。呼びだせ」
「え?」
「おまえから答えが得られないというなら仕方ない。その先にいる黒幕に聞けばいい」
イソラの存在を知られていることに奏は愕然とする。ゼクスにどれだけのことを知られてしまっているのか。
「意外そうだな。おまえは守護されている。それがどれだけ妨げになったか、知らないとは言わせない」
「守護? なに言って……」
「命を狙われていたというのに何事なく振る舞っていた。知っていたからこそ動じないでいたのだろう?」
「そんなこと知らない」
初めてゼクスから聞かされる事実は奏を混乱させた。イソラからはほとんど何も聞いていない。こんなことなら少しでも多くのことを聞いておけばよかったと後悔する。
ゼクスは溜息をつくと最後通告を奏に突きつけた。
「おまえの言葉はもう必要ない。召喚を偽っておまえを送り込んだ者を呼び出せ!」
頭を殴られたような衝撃が奏を襲う。最後にゼクスの信用までなくしてしまった。もう何を言っても聞いては貰えないだろう。
息が苦しい。こんなことなら冗談と笑われようと本当のことを話しておけば良かった。いまさら後悔しても遅いけれど……。
「いや!」
「この期に及んでおまえは!」
もうどうしたらいいかわからない。苦しいのか、悲しいのか。意識が遠のいていく。
(助けて、イソラ)