第50話
スリーと別れてずいぶん経ってから、奏は自分が泣いていることに気づいた。
夜遅くになってリゼットが帰るまで泣き続けて、異常とは思ったが制御が効かなかった。
驚いたリゼットが温めた濡れタオルを用意してくれた。理由も聞かず静かに寄り添ってくれるリゼットの存在が、この時ほど嬉しかったことはない。
そうして気がつけば、朝になっていた。
「カナデ様、おはようございます」
「おはよう」
「目元は腫れていないようでよかったです」
「うん」
ぼんやりとした頭で奏は機械的に受け答えをする。
「……カナデ様。あなたを泣かせた犯人を抹殺してきてもいいでしょうか?」
リゼットが奏の許可を求めてくる。リゼットなら何も言わずに実行に移してもおかしくないのに珍しい反応だ。
「抹殺は困るかな。喧嘩別れしただけだから……」
奏は強がってみせる。リゼットはどう言葉かけていいかわからない、というような顔をしている。
「ねぇリゼット。私がいなくなっても悲しまないでね」
「カナデ様? どうしてそんなことを……」
潮時かも知れない。まだ覚悟は決まらないが、別れの辛さは今なら耐えられる気がする。
「帰られるつもりですか!?」
「そうなるかも知れない」
「嫌です!!」
リゼットの表情が歪んだ。悲しませたいわけじゃない。でも、どうしようもない。
「ごめんね。でも辛すぎるから」
「やはり抹殺します!!」
「喧嘩したからじゃないよ」
スリーと喧嘩別れしてしまったことは悲しいけれど、それだけが辛いわけではなかった。
奏はずっと誤魔化し続けているけれど、この世界に留まっている限り痛みが和らぐことはない。大切な人が増えるほどに痛みは増していく一方だ。
「ゼクス様は許しませんよ」
「そこが問題だよね」
本当はゼクスの許可は必要ない。けれど、帰るならけじめは必要だろう。
「監禁されますよ」
「それは回避したいな」
リゼットの説得にも心は揺るがない。
「本当に帰ってしまうのですか?」
「すぐにじゃないよ」
いつかは帰る。それが今すぐではないというだけだ。
しかし、リゼットがそれで納得するはずはなかった。
「そんなこと許しません! カナデ様なんて監禁されればいいのです!!」
リゼットはそう叫んで部屋を飛び出した。奏はそれを黙って見送るほかなかった。
◇◇◇
ドン! ドン!
リゼットに走り去られてしばらく茫然としていた奏は、突如王宮内に響き渡った轟音に仰天する。一瞬、また地震なのかとヒヤリとする。
部屋の天井から剥がれ落ちた欠片が落ちてくる。それほど振動は大きく、異常事態を物語っていた。
(リゼットが暴れているわけないよね)
さすがにそれはないだろう。いくらリゼットが突飛な性格でも王宮を揺るがすほどの剛腕の持ち主ではない。
何が起こったのかは分からない。様子を見に行くべきか奏は迷う。
「カ、カナ、カナデ様―――!!」
尋常ではない叫びに奏が部屋の入口から外に顔を覗かせると、リゼットが足をもつれさせながら走ってくるところだった。
その表情は飄々としたリゼットからは考えられないほど青ざめている。
「リゼット! 何があったの!?」
「い、いますぐきて下さい!! ゼクス様が死んでしまいます!!」
「王様がどうかしたの!? ちょ、ちょっとリゼット、そんなに引っ張らないで!」
リゼットは何の説明もせず奏の腕を掴むと疾走しはじめる。奏はリゼットの勢いに押されて走っていたが、バランスを崩しそうになるほど引っ張られてたじろぐ。
「急ぐから落ち着いて!」
「す、済みません。取り乱してしまって」
リゼットをこれほど動揺させる何かが起こっている。それは先程の轟音と関係してそうだが、今は考えている場合ではない。とにかく先を急ぐしかないだろう。