第44話
スリーは騎士達に連れ去られてしまった。
一人残された奏は恐る恐るリゼットを見る。これから恐怖の説教がはじまりそうで怖い。
ところがリゼットは特に怒っている様子がない。それよりもどちらかというと奏の顔色を窺っている気がする。
少し前まで凄まじい剣幕で怒り狂っていたというのに、妙に静かで逆に不安を感じる。
先に謝ってしまおうと口を開きかけた奏だったが、それよりも先にリゼットが話はじめる。
「カナデ様には特訓を受けてもらいます」
「え? でも明後日からフレイと訓練の予定だよ」
「フレイ様は……狩り、いえ遠征に行きましたので、しばらくは帰ってきませんよ」
フレイはどうやら狩りに行ってしまったらしい。リゼットが「遠征」と言い直したのは聞かなかったことにする。
「それなら仕方ないね。特訓ってなにするの?」
「はじまればわかりますよ。明後日からですからね」
リゼットが考える特訓は想像することさえ難しい。何かが起こりそうな予感がした。
◇◇◇
特訓の予告をされた日がやって来た。
奏は朝食後すぐにドレスに着替えされられた。
疑問を抱きつつもドレスを着たのはいいが、リゼットはそそくさとどこかへ行ってしまうし、どうしたらいいのかわからず、奏は戸惑う。
勝手に着替えるわけにもいかず、リゼットを探しに行こうかどうか悩んでいると、部屋の扉がノックされて、ゼクスが入ってきた。
「久しぶりだな、カナデ」
「王様?」
奏は部屋へやってきたゼクスに驚く。ゼクスの顔を見るのは本当に久しぶりだ。
「王様もリゼットの特訓に関係しているの?」
「特訓? 何のことだ?」
ゼクスが不思議そうな顔をする。リゼットから何も聞いていないらしい。
「……王様。リゼットはなんて?」
「俺が贈ったドレスをカナデが着るから見に行ってこいと執務室から追い出された。ついでだから昼食を一緒とろうと思っていたんだが……」
二人して疑問を抱く。わざわざゼクスを呼んだ理由がリゼットの特訓に関係ないとは思い難い。
けれど、疑問を解決しようにも肝心のリゼットがここにはいない。嬉々として奏をドレスに着替えさせてから、部屋を出て行っていっこうに姿を見せない。
「それにしても似合うな」
「え?」
「ドレスが似合う」
突然褒められた奏は戸惑いを隠せない。
奏の鈍い反応にゼクスは苦笑する。
「似合っているのかな」
「自信なさそうだな。俺は世辞など言わないぞ」
ゼクスに予想以上の出来栄えを褒められたが、奏は信じていない。
やけに大人びたドレスは身の丈に合っていないように思えて、落ち着かない。
奏は落ち着かないままにドレスの裾を蹴っていたが、それをゼクスに咎められる。
「気に入らなかったか? 装飾品もつけていないようだが……」
華美なドレスは好まないという要望で、ゼクスが用意してくれたのは、マーメイドラインのドレスだ。腰から裾へのグラデーションは美しいが、刺繍は胸元にごく僅かしかない。
ゼクスに色々な装飾品も一緒に贈られているけれど、綺麗なドレスだけで充分だった。
それに今日に限ってはリゼットが飾り立てるのを止めている。
「よくわからないけど、リゼットが今日は必要ないからって」
「……なるほど」
ゼクスはリゼットの意図するところを察したようだ。
「カナデ、こちらへ」
ゼクスに広い空間のある部屋の中央へ誘導される。
踵の高い靴には慣れていないから、ゆっくりとした動作でゼクスに近づく。フラフラとしている奏の手をゼクスが取ると、逃げられないように距離を詰められた。
ゼクスの手が腰に回る。
「ちょっと王様!?」
「こら、逃げるな。ダンスの特訓ができないだろう」
ゼクスは逃げようとする奏の腰を捕らえ、ガッチリとキープする。
「え? ダンス?」
「そうだ」
「リゼットから何も聞いてないのに、どうしてダンスってわかるの?」
奏は首を傾げた。短い髪がサラリと揺れる。
「わざわざドレスに着替えさせて特訓するとなれば、それ以外には考えられないな。リゼットが装飾品を外すように指示したなら間違いない」
「そうかなぁ」
「大抵の騎士はダンスを苦手としている。だから俺を相手に選んだんだろう」
リゼットがわざわざ指名したのだから、ゼクスはダンスを得意としているのだろう。
「覚える必要あるの?」
「覚えておけば必要になったときに困らないと思うが」
「必要になるとは思えないけど」
ダンスが必要になるようなパーティーに出席する予定は今のところはない。そもそも奏の存在は公になっていないのだから。
「いいからはじめるぞ」
「王様に教えてもらうとか恐れ多いです」
「……なぜそこまで嫌がる?」
ゼクスが近づこうとするから、奏はじりじりと後退した。
ゼクスが舌打ちする。
「リゼットを怒らせるようなことをしただろうが!」
苦々しくゼクスに怒鳴られた奏だったが、言い分があり、ゼクスに食いつく。
「したけど! 王様はないと思う!」
ダンスを覚えるのは、この際仕方ないと思える。どっちにしてもリゼットが特訓というからには、覚えさせられるのには違いないのだから。
けれど、特訓をするのにゼクス直々となれば、話はまったく違ってくる。
(王様は自分が美形だって自覚が足りない!)
老若男女問わず魅了するような美形が至近距離にいては、ダンスなど覚えられるわけがない。
それ以前にダンスの姿勢がいただけない。密着などしたら息の根が止まりそうだ。奏の場合は本当に洒落にならない。
「これほど嫌われるとは思ってもみなかったな……」
「王様!? 違うから!」
「逃げているのに?」
「は、恥ずかしいだけなの!」
「ダンスが?」
理由を言うのは余計に恥ずかしいというのに、ゼクスは察してはくれなかった。
「王様が美形すぎるから……」
奏は、ゼクスに誤解されたままよりはと意を決して言ったが、最後まで言い切ることはできなかった。眼も泳いでしまっている。
「褒められて悪い気はしないが、今すぐ慣れろ!」
「やめるって選択肢はないの!?」
ゼクスの横暴ぶりに奏は抗議した。
「ない! リゼットに言い訳が通用すると思っているのか?」
「しないけど! 王様はリゼットに甘すぎるよ!」
「甘くしているつもりはない。諦めろ。時間が無駄になった」
ゼクスは容赦なく会話を打ち切ると、カナデを逃がさないように囲い込んでくる。
「この距離に慣れろ。逃げたらどうなるか知りたいか?」
奏は、ゼクスに引き寄せられるように後頭部に手をまわされた。逃げを打つが、がっちりと固定される。ゼクスに至近距離でささやかれた。
奏は蛇に睨まれた蛙のように眼も反らせず硬直する。逃げたらどうなるかなんて知りたくもない。
「お前なら泣き顔もそそられそうだ。逃げるなら覚悟してからにしろ」
「王様のいけず」
ゼクスの本気に奏はすでに泣きそうだった。泣かせる宣言をされてしまっては、逃げることは諦めるしかないだろう。