第42話
スリーは巨樹から少しだけ奥に位置した温室へ奏を連れて行く。
そこは巨樹を管理している庭師が憩いの場として作った場所だった。城内にありながらあまり知られていないが、誰でも気軽に訪れることを許されている。
小さな温室だったが色とりどりの花々が咲き乱れる様は圧巻で、一部の騎士たちは恋人との逢瀬の場所として重宝しているのだ。
それでも何組かの恋人達が同時に訪れると、小さな温室は窮屈に感じてしまう。そのため、先客がいる場合は邪魔をしないというのが暗黙の了解となっていた。
今日は、まだ降り続いている雨で誰も訪れてはいないようだ。
その小さな温室には庭師の趣味なのか、簡易ではあるがお茶を楽しめるようにテーブルと椅子が置かれていた。
スリーはその椅子へ奏を座らせる。
いまだに身体を震わせている奏を見つめて表情を曇らせる。
配慮が欠けていた。騎士たちと同じように訓練をしているからといって、雑に扱っていいわけではない。
どうしたら奏に元気を取り戻して貰えるだろうか。
考えあぐねていたスリーだったが、あることを思い出して懐を手で探る。目当ての物を見つけて取り出した。
◇◇◇
ビリッ!
突然の大きな音と同時に、奏の膝の上に色鮮やかで小さな物が沢山転がり落ちてきた。
驚きで身じろぎすると、いくつか地面へ落ちてしまう。
「あ……」
スリーの微かな声に奏は顔を上げた。スリーの顔には「失敗した」という表情が浮かんでいる。
スリーが手にしている何かの包み紙は無残に割かれていた。開けようとして勢い余って破いてしまったようだ。
スリーは緊張感が薄れるようなことばかりする。故意なのか天然なのか、奏には区別がつかないが嫌な感じはしない。
それほどスリーのことを知っているわけではなかったが、機嫌を取ろうと失敗しているところがとても彼らしいと奏は笑みを浮かべる。
「カナデ様、足りない?」
スリーは何を思ったのかそう言うと、踵を返して温室を出ていこうとする。奏は慌ててスリーの手を掴んで引き留めた。
「妹の分がまだあるはず……」
「え! それは貰えないよ!?」
「また買ってくればいいだけだから」
奏の手を外そうとスリーが手を伸ばす。それを阻止しようと奏がスリーのもう一方の手を掴む。両手を握り合うというおかしな構図になって、二人はハッとして眼を見交わした。
「お詫びをしたいのに……」
「もういいから!」
「だって『怖かった』って……」
「いや、そもそも私が調子に乗って高いところに登ったから!」
真面目な人なのだろう。怖がらせたことをかなり気にしている。奏が許してもスリーは自身を許していない。
「本当にお詫びはいいので」
「俺は優しくするとつけあがるよ」
いまだに握り合っている手をスリーにギュとされる。「つけあがる」という言葉の意味を理解して奏は赤面する。お陰で手を離すタイミングを逃してしまう。
「……お詫びは別の形でお願いします」
「カナデ様のお願いなら何でも叶えるよ」
「手を離して」
スリーが慌てて手を離す。スリーの温もりが去り、奏は少し残念な気持ちになる。それを誤魔化すように奏は話題を変える。
「リーゼンフェルトさんは妹さんがいるんだね」
「そんな他人行儀な呼び方するの?」
他人行儀はお互いさまではないだろうか。様づけのほうがよっぽど他人を意識させる。
こうして一緒にいるのに微妙な距離感が嫌で、奏は思い切ってスリーにお伺いを立てる。
「カナデって呼んでくれる?」
「いや、それは……」
スリーの眼が泳ぐ。
「私のお願いを聞いてくれないの?」
「参ったな」
「嫌なら嫌って……」
奏は悲しい気持ちになる。少しは親しくなったと思っていたのに……。
「嫌なわけじゃないよ……」
スリーは言葉を濁す。
とても残念な気持ちではあったけれど無理強いはできない。奏は、これ以上スリーを困らせても仕方ないと気持ちを切り替える。
「妹さんはどんな人?」
「兄を顎でこき使う可愛い妹だよ」
「ええ?」
「冗談だよ。土産を強請るくらいは可愛いものだよ」
「スリーさんは、いいお兄さんなんだね」
妹に振り回されているスリーを想像して奏はくすりと笑う。
「カナデ……様。そんなに褒めたら俺はつけあがるよ」
「今日のあれは褒められたことじゃないから!」
「ごめんね。あれで簡単に登れたから大丈夫だと思ったんだけどね」
一体この人はどういう登り方をしたのだろう。奏は遠い目をする。想像するとあり得ない方法しか浮かばない。
(まさかね)
出鱈目な強さを持つスリーなら、何でもやってのけそうだ、と思ったものの、深く考えたら追求せずにはいられそうもなくて、奏は一旦思考を停止する。
世の中には知らなくていいことが沢山ある。これもその一つと思うことにした。