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第41話

 大雨はそれほど長くは続かなかった。それでも名残の雨は、奏を覆っている巨樹の葉を濡らしていく。


ヒタヒタヒタヒタ


 奏は人の近づく気配に身体を強張らせた。生い茂った葉は身を隠してくれているが、すこしでも動けば気づかれそうなほど近くに迫っている。


「───様?」


 奏のいる位置からはその人物が見えない。呼びかけられたようだが、奏は無視する。


「そこにいるの?」


 奏は苛立ちを覚える。誰かはわからないが放っておいて欲しい。


「私はここにいたいの! 邪魔しないで!」


 相手は奏の剣幕にたじろいだのか遠ざかっていく。

 奏はホッと身体の力を抜く。今は誰であろうと話したくなかった。


 突然、ザザザッと巨樹の葉を揺らす音がした。

 膝を抱えていた奏に濃い影がかかる。


「カナデ様」

「え?」


 スリーの声が頭上から聞こえてきた。奏が反射的に見上げると、一段上の枝にスリーが立っていた。


「ずいぶん高いところにいるね」


 奏は呆気にとられ口をパクパクとさせる。スリーが何故ここにいるのだろうか。幻にしてはリアルだ。

 スリーは高いところが苦手なのか、少し落ち着かない様子でいつもより会話がぎこちない。

 無表情でいることが多いスリーにしては珍しく、どこか不安そうにしている。


「そっちに移動していい?」


 ミシミシという枝の軋む音が聞こえはじめると、スリーの声に焦りが滲む。スリーの重さに耐えきれない枝は今にも折れそうだ。


「揺れたらごめんね」


 奏の了承を待たずにスリーが移動してくる。奏が座っている枝は二人の体重を支えられるほどに太い。揺れもスリーが心配するほどは感じなかった。


「はぁ、びっくりした。折れるかと思ったよ」

「あの、どうして……」


 スリーが近くに来て、幻でもなく本物という実感が、ようやく奏の中に芽生えた。それと同時に疑問が生まれる。


「カナデ様が降りられないかと思ってね」


 それは「迎えに来た」と言っているのだろうか。それとも救助のつもりなのか。スリーの言葉は説明不足で奏にはよくわからない。


「飛び降りればいいと思うけど」

「この高さを?」

「そんなに高くは……」


 奏は視線を下へ向ける。「高くはない」と言いかけて固まる。知らず知らずに飛び降りるには不安を感じる高さまで登ってきてしまった。


「ちょっと無理かも」

「だから迎えにきたよ」


 スリーの頼もしい言葉に奏は安堵する。任せておけば大丈夫そうだ。


「どうやって降りるの?」

「無理はしないよ。カナデ様を抱えてだからね」


 スリー両腕を広げて奏を促す。もしかしなくてもこれは、奏から抱き着けという待ち体勢なのだろうか。


「ええと、肩に手を置くくらいでいい?」


 奏は照れ臭くなり視線を彷徨わせる。スリーに抱きつくなんてできそうにない。


「安定しないから危ないよ」


 スリーは腕を広げたままだ。奏は諦めてスリーを窺う。


「……どうすればいいの?」

「俺の首の後ろに腕を回してしがみついて」


 スリーの指示に奏はたじろぐ。スリーに密着したと知れたらリゼットが黙ってはいない。


「リゼットに誤解されるよ!」

「怒られるよりはマシじゃないかな」

「……そうですね」


 スリーにしがみつく羞恥心と、リゼットに怒られる恐怖心を天秤にかけて、どちらがマシとは言えない。

 究極の選択を迫られている。自分の蒔いた種だとはいえ心臓が持つか自信はない。

 奏はスリーを目の前に、もじもじとしてなかなか決心がつかない。


(どうしよう、すごく緊張する……)


 奏の緊張が伝わったのか、スリーも困っているようで動かない。


「カナデ様、好きな相手だと思って?」

「と、飛び降りる!」


 口から心臓が飛び出そうだ。そんなことを言われたら余計に意識してしまう。スリーは考える素振りを見せた後、変わった質問をしてくる。


「カナデ様が癒される生き物は?」

「犬」

「じゃあ、それだと思って」


 「犬と思え」と言われても一度意識してしまえば覆すのは難しい。それにスリーの言動は犬というより猫を連想させるので、奏は唸りながら考え込んでしまう。


「……仕方ないね。その生き物は鳴いたりする?」

「わんわん……」

「へぇ、面白い鳴き声だね。真似したら少しは平気になるかな……」

「え?」

「『わんわん』。カナデ様、こっちにおいで」


 スリーは至極真面目だ。無表情と棒読みのコラボレーションは、奏の笑いのツボを刺激する。緊張がわずかだが和らぐ。


「ふふふ」

「確保成功。カナデ様、腕はこっちに」


 奏の緊張が和らいだ瞬間を狙って、スリーは奏を片腕に抱き上げた。不安定さを補うために腕を首に回すように指示する。

 奏はその早業に無抵抗だ。至近距離にスリーを感じたが、犬の鳴き真似が相当ツボに嵌ったのか、身体を震わせて爆笑するのを堪えている。


「そんなに笑っていて舌を噛んでもしらないよ」

「あはははは!」

「……しっかりしがみついていてね」


 奏は笑いが収まらず返事が返せない。

 スリーはそれに構うことなく、奏の腕に力が入ったことを確認すると、迷わずに足元の枝を蹴って跳躍する。

 目測で枝を追う。二人の体重を支えられるだけの太い枝をスリーは掴む。落下する速度は殺しきれなかったが、勢いのまま手を離すと、巨樹に寄り添うように立つ木が目の前に迫る。

 スリーは焦ることなくその幹を足で蹴り飛ばした。上方向を意識して威力を込めると落下の勢いがわずかに弱まる。

 奏の身体が勢いでぐらつくが、スリーは両腕で奏を強く抱き寄せる。そして、危なげなく着地する。


「っ!」


 奏は恐怖のあまり放心していたが、無事に降りられたと悟ると、ポカポカとスリーの頭を叩きはじめる。


「ちょ、カナデ様!?」


 震える奏の拳ではたいして威力もなかったが、スリーに精神的ダメージを与えるには十分だった。

 スリーは無抵抗で奏の暴挙を受けとめる。


「こ、こわかっ……」


 奏は涙ながらに訴えた。飛び降りるだけならまだしも、折れそうな枝に掴まって手を離した時は、意識が飛びそうになるし、目の前に木が迫れば生きた心地がしなかった。

 それから恐怖で心臓がバクバクするだけではなく、スリーに抱き寄せられて隙間もないほど密着してしまうと、心臓の暴走は致死レベルに達していた。

 恐怖と羞恥でわけのわからない状態になって、まだ身体に力が入らない。


「泣かないで……」

「ひ、ひどっ」

「俺が悪かったから、お願いだから落ち着いて」


 スリーは必死で宥めるが、奏はなかなか落ち着いてくれない。精神的に参っていた所に、かなりのダメージを与えられた奏は、もはや自分では気持ちをコントロールできなくなっていた。


「……カナデ様、ちょっと移動するからね」


 スリーは情緒不安定なカナデを抱き上げたまま、ゆっくりと歩きはじめた。

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