第40話
「……帰らないと」
どれだけの時間ぼんやりとしていたのだろう。奏は時間の感覚がおかしいことに気づいた。
晴れ渡っていた空はどんよりと曇り、パラパラと雨粒が奏の全身を濡らしている。
こんな所にいつまでもいたら風邪をひきそうだ。そんな事になったらリゼットに叱られてしまう。
奏はノロノロと動き出す。
(あれ? ここどこだろう?)
部屋に戻ろうと思っていたのに迷ってしまった。中庭からどうやってこんなところに迷い込んだのか、途中の記憶がない。
(どこまで続いているんだろう)
奏は目の前にそびえたつ巨樹を見つめた。見上げても天辺が見えない。
(木登りってしたことないけど……)
今なら登れるような気がした。
奏はおもむろに手を伸ばして巨樹に触れた。かすかに温もりを感じる。
最初の一枝は、奏の頭上よりかなり高い位置にあるが、飛びつけないことはなさそうだ。
地面を蹴ると簡単に届いた。もう少し上を目指してみよう。
(さすがにこれ以上は無理かな)
奏は頂上まで登ることを諦めて、途中で太い幹に身体を預ける。
先程から降る雨は激しくなっている。ここで雨宿りをしていくのもいいかも知れない。
奏は眩暈を感じて眼を閉じる。
(最初から誰も好きになるつもりがない)
唐突にフレイに言われた言葉を思い出して奏の身体が震える。答えることができなかった心の奥底に秘めた想いがこみあげてきて胸が苦しい。
(大切な人は作れないよ。元の世界に帰るつもりなのに誰かを好きになるなんてできないよ!)
大きな秘密を抱えたままで、どうしてフレイの気持ちに答えられるというのだろうか。そんな資格は最初からない。
この世界の人たちを自分の都合だけで騙しているのだから。
(死ぬのは怖い。でも、帰らないといけないよね……)
それはきっと、それほど遠い未来ではない。
「ううう……」
歯を食いしばっても嗚咽が漏れてしまう。
(もう少しでいいからここにいさせて……)
奏は、唯一自分の信じる神に願った。