屍の上に立ちながら幸せを望んでもいいのだろうか 4
結婚が決まった。じゃあ、すぐに新婚生活に突入というわけにはいかない。世の中はそういうものなのだ。
シジマは達観していた。反対勢力がいないのに何故か結婚が頓挫しかけていた。それはどうしてかというと、
「成人まで俺はカリティヤードに手は出さない」
「やー! シジマの子供が欲しいのー!」
結婚の承諾をリントヴェルムから得たシジマは翌日の夜にカリティヤードに襲われた。全裸で迫ってくるカリティヤードから目を反らしつつ、シジマは真面目くさった顔でカリティヤードを咎めた。
結婚は決まったのだから焦る必要はないし、まだ子作りは早いと思っていたからだ。何より成人していないカリティヤードに手を出すのはシジマのモラルが許さない。
それなのにカリティヤードは美しい裸体を見せつけてシジマの忍耐を試すのだ。
「リントヴェルムも俺と同じ考えなんだよ。成人するまで嫁修行でもしてろって」
「カリは準備万端なの」
「そっちの準備はまだいらねー。それに俺は仕事があるんだって。無理いうなよ」
「そんなの聞いてない!」
「昨日になって決まった話だからなぁ」
シジマにとっても寝耳に水。結婚を決めたからには妻になるカリティヤードと仲を深めようとしていただけに、出鼻をくじかれたようで納得はできなかった。
ただ、今回の仕事はシジマにとっても重要なので、涙を飲んで仕事に勤しむつもりだ。
ところがカリティヤードはイヤイヤと駄々をこねる。やはりまだ子供。大人の事情を理解させるのは難しい。
「土産は買ってくるから大人しくしてろって」
「やー! カリも一緒に行く!」
「子連れで仕事はできねーよ。今回の仕事が成功しなけりゃ、俺たちの結婚は無理なんだって」
簡単な仕事ならカリティヤードを連れて行けた。宰相はいい顔をしないけれど、仕事をきっちりこなせば理解は得られるはずだ。
しかし今回はそういうわけにも行かない危険な仕事となる。デート気分でいられるほど甘くない仕事だからだ。
しかも仕事に失敗すれば結婚どころではなくなるという、極めつけに難航しそうな仕事なのだった。
「なんで?」
「……あんま言いたくねーけど、例のヤツらがまたドラゴンを狙ってやがる。危ねーからセイナディカにいてくれよ」
「シジマを虐めた人間? だったらカリが倒す」
「だーかーら、妻を危険に晒すなんて俺に無理だっつー話だよ。結婚したいなら言うこときけって」
カリティヤードはむくれるけれどシジマは一人でやり遂げなければならない仕事だ。二十年前にきっちりシメておかなかったせいで後始末が必要になった仕事は、何としてでも今回でケリをつけたかった。
そして、カリティヤードを連れていったばかりに敵に捕まるようなことにでもなったら、過去が再現されてしまう。そんなことになろうものならリントヴェルムに申し訳が立たないし、何よりシジマが自分を許せない。慢心は禁物なのだ。
「じゃあ、お留守番してるからキスして」
「じゃあ、じゃねーだろ。さっさと服着ろよ。……結婚後に開発する楽しみを取るなって」
「開発……?」
「エロ方面の話」
「シジマのエッチ」
カリティヤードは頬を染めてモジモジした。裸体をくねらせるのでシジマは目のやり場に困った。
「俺はじじいだから年季が入ってエロだ。カリティヤードは卵ばっかり産まされて泣くかもな」
「嬉しい!」
「あー……」
下手な挑発はシジマにダメージを与えた。仕事が入ってなければ美味しく戴いたものを。
自爆したシジマは咳払いで誤魔化す。
「ごほん。そういうわけでラブラブ新婚生活は延期になるけど、俺のために身体を磨いて待ってなさい」
シジマは照れくささで妙に丁重になった。
「うん」
「なるべく早く敵を倒してくるからさ」
シジマは自信を漲らせた。恋人が待っていると思うと俄然やる気が出るというものだ。
「待ってるの。……あなた。きゃっ」
カリティヤードは慣れない呼び方をして照れた。チャレンジャーなのはいいのだけれど、まだしっくりとこない。結婚前なのだから当然である。
「あのさ。そういうのも悪くはないんだけど、つーか、いまさらなんだけど、俺は名前呼んで欲しいんだって」
「シジマ?」
「んにゃ。四十万天理が俺の名前なんだなぁ」
ずっとシジマで通してきた。誰に名乗ることもなかった名前は、自分自身でさえ記憶の隅に押しやっていたものだ。
呼ばれ方はどうでも良かった。五百年という年月を生きて、誰かと共に歩む人生を諦めていたから。
「シジマ……? テ?」
「テンリだって。四十万の天の理なんて、俺には過ぎた名前だなとは思うけど、天理って名前は結構気に入ってんだ。……つ、妻になら呼ばれてみたい。なーんて」
こっぱずかしさにシジマは頬を掻いた。名前に拘りなんてなかったのに、カリティヤードには呼ばれたい、という望みが膨れ上がった。
「テンリ。テンリ!」
「はいはい」
シジマは、はしゃぐカリティヤードの頭を撫でた。
■■■
それからシジマはラブラブ新婚生活のために奮闘した。デスバリ攻略はセイナディカの騎士も参戦するはずだったが、シジマは「遠いから後からゆっくり来てちょ」と言い残して、騎士らがデズバリ入りする前にすべてを片付けた。
セイナディカの騎士は後にこう語った。
「辿り着いた時には屍の山があった。元暗殺者? どこが? 敵じゃなくて本当に良かった」と。
無駄足を踏まされた騎士たちは不機嫌になるどころか、帰りは諸国漫遊の旅で満足気であった。道中でシジマと合流してからはドンチャン騒ぎを起して、デスバリ攻略部隊の指揮をしていた元将軍アリアスにどやされるという一幕もあったが、滞りなくデスバリを殲滅して帰還した。
そして、勝利を手に凱旋したシジマを待っていたのは……。
「なあ、カリティヤード。俺は食う側だったはずじゃないのか?」
馬乗りになったカリティヤードを見上げたシジマは顔を引き攣らせた。可愛い恋人が待っていてくれたのは嬉しいけれど、これは想定外だった。いきなり押し倒されるなんて思わなかった。
「我慢できなくて」
「三年はかかるところを半分に短縮したけど、そんなに辛抱堪らんって、カリティヤードはどんな教育受けたんだっての」
「ママは最初が肝心なんだって」
「あー。尻に敷かれるは覚悟してたけどよ。こっちの主導権は渡したくないって」
シジマはカリティヤードの肩を掴むとベッドに押し倒した。やはり見上げるよりは、上から美人に成長した恋人を見下ろしたい。
「さすがにドラゴンの成長は早いなぁ。十六歳とは思えない妖艶さ。ゴクリ……」
「食べて、テンリ」
「そんなこと言うなって。お誘いは嬉しいんだけどよ。まだ結婚式やってねーよ」
年の差を考えると欲情は無理な気がしていたシジマ。胸くそ悪い仕事をこなしている内にカリティヤードが恋しくなっていた。本当ならこのままカリティヤードを抱きたい。
けれど、帰ったばかりのシジマはそういう気分になれなかった。
(カナデに知られたら馬鹿にされそうだけどよ。血で汚れた手でカリティヤードを抱きたくないんだ……)
散々ドラゴンを苦しめ、挙げ句にシジマを実験体にした国が滅んだ所で感慨はない。むしろ清々している。今後、デスバリが復活しないように完膚無きまでに破壊した。憂いもない。
それでも、
(暗殺家業してた時もそうだったけど、人殺しなんて気分のいいもんじゃねーし、日本人ならぜってー引くレベルじゃん。カリティヤードはカリの記憶があるから何とも思わねーだろうけどさ)
敵とはいえ屍の山を踏みしめたというのに心は何も感じなかった。そういう自分を知っているからこそ、何事もなかった顔をしていられない。
知られたくない本性を隠したまま、綺麗なカリティヤードを何食わぬ顔で抱けるほど、シジマは狂っていなかった。
(我ながら理性的だなぁ。五百オーバーのじじいだから枯れちまったか?)
ピクリとも動かない下半身を思わず心配する。カリティヤードの全裸を拝んだ時もそうだった。恋していないから反応しないのかと思っていたが、カリティヤードを愛していると自覚した今でも反応しないところをみると、
(インポかぁ。……もしやマジでカリティヤードに手伝わせることに……駄目だ! エロ過ぎるっ!)
妄想しかけて自重したシジマ。取り繕うように笑顔を見せる。
「新婚初夜は結婚してからだって。後、三日あるだろ」
「三日も待つの?」
「今夜は俺の野獣が目を覚ますからよ。結婚式で足腰起たねーなんて、カリティヤードだって恥ずかしいと思うけど」
冗談めかしてウインクを飛ばすとカリティヤードが真っ赤になった。
「三日だけよ」
「おう」
シジマは不安を表に出さずに元気よく頷いた。
(俺の息子よ! 決戦は三日後だ! 勃つんだ! 勃たせるんだ、俺っ!)