リゼットの野望─もう一度愛を囁いて─ 12
不機嫌なリゼットを宥めるようにジーンが謝ってくる。
「隠していたつもりはなかった。ただ、事情が複雑でな」
「我が家の事情も複雑です」
どっちがどうとかそういう問題ではないのだけれど、リゼットは非常に気に入らなかった。ジーンに知らない部分があるということが。
「まあそうだな。……簡潔に説明する。俺の家は闇の情報を売り買いする仕事をしている。公爵もその情報で戦争を有利にしたんだろう」
公爵が黙って頷いた。
「闇の情報屋ということですか……」
「ああ。祖母はそういう一族の出で、祖父はその一族と対立していた。だからセイナディカへ逃げてきた」
「たしかに複雑な事情ですね。ですが、ジーンさんが跡継ぎというのは?」
話を聞いていれば、ジーンは勝手に跡継ぎになってしまったという。本人も預かり知らぬ事らしいし、何より兵団で厨房を切り盛りしているジーンは、今までそんな素振りをみせたことがない。
情報屋としてなら余程コンラートの方が能力に秀でている。
「親父の考えてることなんか知らん。俺は長男だが、家業については何も聞いてないからな」
「仲が悪いのですか?」
「いや」
「……それで後を継ぐのですか?」
気がかりなのはそこだ。ジーンが家業を継ぐというなら公爵家はどうなるのか。リゼットは別に公爵家を継ぐことに拒否感はない。むしろ、リゼットが女当主となることに反対しているのは両親だ。
「跡継ぎなら弟か妹でいいだろ。そっちの教育をしていたようだしな」
「ジーンさんの弟妹……」
そんなことも知らなかったのか、とリゼットは愕然とした。知らないにも程がある。
「騒がしい二人だが仲良くしてくれ」
リゼットはいずれ紹介されるであろうジーンの弟妹を想像した。けれど、ジーンの親族となら仲良く出来そうだと思う反面、戸惑いがないわけではなかった。何しろリゼットは一人っ子。兄のようなゼクスでさえ翻弄する悪い癖があった。
「それはもちろんですが……」
「心配は分かるが、跡継ぎ問題は気にするな。勝手に跡継ぎにされても困る」
「ですが、長男が跡継ぎというのは普通のことです」
「俺は兵団で働くことを決めた。親父も特に反対はしなかったからいまさらだ」
ジーンはそういうが、リゼットはそんなに簡単に済む話ではないと思っていた。
リゼットは何か知っていそうな公爵に問う。
「父よ。先ほどの話は本当なのですか?」
「既に継いでいるという話なら本当だ。あのルエンが優秀な長男を放っておくとは思えん」
やはりそうなのか、とリゼットは眉を顰めた。ジーンの父には目的があるという。ということはどう足掻いてもジーンは掌で踊らされることになる。情報を扱うことを生業としている者は大概くせ者なのだから。
「ジーンさんは次期公爵当主です。どうするのですか?」
「表の顔ということでいいだろう」
「え?」
リゼットは唖然として公爵を見た。耳がおかしくなったかと疑う。
「リゼットを公爵当主とするわけにはいかんが、それは建前だ。ルエンの跡継ぎがリゼットの婿ならば、リゼットが裏の当主として力を振るうことに問題ない」
「「はあ?」」
公爵の言葉にリゼットだけではなく、ジーンも意味が分からず困惑顔で疑問の声を上げた。
「ルエンの後を継いだ婿殿は、情報収集に欠かせない人脈を必要とするだろう。公爵当主という表の顔を精々利用するがいい。後はリゼットが好きなようにする。もちろん婿殿にはリゼットの手綱を握ってもらうが、それについては既に心配するまでもないようだ」
公爵はニヤリと笑った。リゼットはその笑みを見て、重鎮として国を支え続けた父の偉大さを垣間見た。
「……本当に好きにしますが、いいのですか?」
「公爵家を没落させないように。それだけ肝に銘じてくれれば自由にしてくれていい」
リゼットはゴクリと唾を飲み込んだ。重い責任と共にどうしてなのか闘志が漲る。
「腕が鳴ります」
「戦いの場と勘違いするではない」
「貴族社会とは戦いの場です。そうですよね?」
表面上こそ華やかな貴族社会。しかし、裏はドロドロとした暗黒社会である。
リゼットはこれまで令嬢らしからぬ日々を送ってきたけれど、侍女になってから知った貴族の裏を、かなり深い所まで熟知していた。令嬢としてなら知ることのなかった世界を、侍女という仮面を利用していくらでも探ることが出来た。
もちろん、侍女になった理由は女らしさを極めるためだった。侍女という奥深い仕事をしているうちに、リゼットは更なる高みへ上ることになった。気がつけばリゼットはかなりの情報を握っていた。これを知ったらコンラートが歯噛みするほどの情報収集能力をいかんなく発揮した結果だったが。
「……その通りだ。リゼットは我が公爵家当主に相応しい能力を持っている。女当主では外聞が悪いせいで婿殿には苦労をしいるが、リゼットを選んだのだから覚悟は承知の上だろう」
公爵に断言されたジーンが気になりチラリと視線を送るリゼット。苦虫を噛み潰したような顔を見せるもジーンは頷いた。
「ジーンさんの愛はしかと受け止めました」
ジーンの覚悟を嬉しく思ったリゼットは照れながら言った。すると、公爵がこの世の終わりでも見たような表情を浮かべる。
「リゼットが女の顔をしている!?」
「父よ。私は生まれた時から女です」
「中身は野生児だっただろう!」
否定できなかったリゼットは薄らと笑みを浮かべた。それを見た公爵がウッと喉を詰まらせたように黙り込んだ。
「差し詰め俺は野生の動物を懐かせたってところか」
「ジーンさんは冗談が言えたのですね。通じないというのに……」
好きな人に扱き下ろされたリゼットは怒りを覚えた。野生児云々は本当のことだけれど、今では立派な淑女になったと自信を持っている。
「拗ねるな」
「拗ねてません。ジーンさんの愛を多少疑った程度のことです」
「疑うんじゃねぇよ」
ジーンの腕が伸びてきてリゼットの頭を抱き寄せた。視線の隅で公爵がそっと部屋から抜け出していくのを捉える。
「父の承諾も得ましたし、帰りましょう」
「そうだな。……親父に話しを聞かないとならねぇしな」
「跡継ぎのことですね」
「公爵がああいうなら後は継がされるだろうな」
バリバリと頭を掻くジーン。その割には嫌そうに見えない。
「跡継ぎの話は意外ではなかったんですか?」
「……これでも昔は親父の仕事を継ぐ意志はあった。何も言わないからてっきり諦めたもんだと思ってたんだが、俺が結婚相手を見つけるのを待ってやがったな」
ジーンが舌打ちした。
「不思議なのですが、後を継ぐことと既婚かどうかは関係ないのでは?」
家の後継は独身だろうが関係はない。いずれは結婚して血を絶やさない必要はあるかも知れないけれど。
「公爵に言われて思い出したことがある。爺さんが家訓とか言ってたが、愛する者がいない馬鹿者に家を継ぐ資格なし、だと。あんなもの冗談だと思ってたんだが……」
「ジーンさんの祖父はいわゆる駆け落ちをしたのでしょう。敵対しているような一族ならば追われたのかも知れません。……家族で支え合い生きてきたのだとすれば、そのような家訓があっても不思議ではないです」
情報を力とする一族と武を貴ぶ一族。互いに相容れないだけなら未だしも、敵対していたというなら、駆け落ちなど許されることではなかったはずだ。
そして、一族の確執に苦労してきたなら、その苦労を自分たちの子供にはさせたくない気持ちがあったのだろう。もちろん、孫のジーンたちにも。
「家訓は兎も角、親父はリゼットに目をつけてやがったな。爺さんは武人だ。どこかでメイエリングのおっさんに会ってたかもしれねぇ」
「あっ、その可能性には気づきませんでした」
武人繋がりは侮るなかれ。ジーンもなにげにアリアスと繋がっていた。
「にしてもリゼットと俺が結婚するなんて予想は不可能だろうに、本当に親父はとんでもねぇ」
「予言はしないのでしょう」
「しないはずだ。ただ、親父の言ったことは大概そうなる。気味が悪いぜ」
「情報を収集していると先読みも可能です」
リゼットはしたり顔で言い切った。情報を舐めたらいけない。ジーンは気味悪がっているけれど、情報いかんでは未来まで見通せることがある。
もしジーンの祖父がメイエリングと知り合いで、その話を息子にしていたなら、リゼットの性格や才能を知ってこう予測したはずだ。
「息子は将軍の目にかなう武人となる可能性がある。とするならば、強さを求めて公爵の娘が導かれる可能性もある」
ジーンの父がそう言ったかどうかはさておき、公爵に探りを入れたことは事実なので、ほんの小さな可能性から未来を見たのかも知れない。
「先読みか。接点のない俺たちが出会う可能性は殆どなかった。リゼットに惚れる可能性もかなり低かった。親父がその可能性に賭けていたなら博打だぜ」
ジーンが肩を竦めた。可能性の話だけならそうだろう。しかし、リゼットは浮かない顔をした。
「……かなり低かったんですか?」
「惚れる要素がなかった」
率直に暴露するジーン。リゼットは頭を殴られたようなショックを受けた。
「な、ならどこに惚れたのですか……」
「何度も言わせんじゃねぇよ」
ジーンに囁かれた愛の言葉は一言一句鮮明に思い出せる。どこに惹かれたのか、それもハッキリと言われた。
「何度でも聞きたいんです!」
惚れる要素がないのに惚れた。そう聞かされていても可能性の低さを断言されてしまえば、自信なんてなくなるのだ。
「……素直じゃないお前に惚れた。素直になったらどんなにいいかと想像して、どれだけ俺がお前を見つめていたか知らんだろう。おっさんがうっかり若い女に惚れて、馬鹿を見る予定がこんなことになっちまって。あの時、逃がしてやろうと冷たくあしらったのに、いきなり素直になりやがって。あれで認めないほど俺は阿呆じゃねぇんだよ」
あの時の愛の言葉とは違ったジーンの告白。リゼットは赤くなっていく熱い顔を掌で煽いだ。
「もう勘弁しろ。お前に愛を囁くならベッドの中でだ」
そう宣言したジーンは渾身の愛をリゼットに注いだ。ゼクスに負けず劣らず、欲望のままにリゼットを貪ったジーン。
足腰が立たなくなるまで愛されたリゼットは、復活した数日後、ジーンを殴り倒した。もちろん愛ある鉄拳であったことは、笑いながらリゼットの拳を受け止めたジーンだけが知っていた。
完