リゼットの野望─もう一度愛を囁いて─ 9
さて、どう話したものか、とリゼットは兵団宿舎の前でウロウロしながら悩んでいた。コンラートに正体をばらした結果、いきなりジーンに話していいものかどうか、という悩みが発生したのだが、やはり結婚するからには黙っているわけにもいかないと、意を決してやってきたのはいいのだけれど、そこからリゼットは一歩も動けなくなっていた。
あれでいて思慮深いジーンなら案外平然と受け止めてくれるかも知れない、と前向きに考え始めたリゼットが一歩を踏み出そうとした時、事件が起こった。
兵団宿舎の奥から剣戟の音を拾ったリゼット。普通なら聞えない音を聞き分けたリゼットは、ただ事ではないと駆け込んでいった。
「何事ですか!?」
厨房方向から聞えてくる音を頼りに進んでいくと、そこから流れてくる数人の兵団員たちがいた。慌てて逃げていく男の一人を捕まえたリゼットが聞くと、
「襲撃だ!」
と真面目な顔をして言う。
「兵団に襲撃とは解せませんね……」
「知らん。ジーンが応戦してるが宿舎がヤバいことになってる。リゼットも逃げろ。崩れる可能性がある」
「……害獣でも紛れこんだのですか」
「人だ……だぶん」
男は怪しい申告にリゼットは頷いた。去って行く男の背中を見送り、激しい音がする方向へ猛然と走っていく。
厨房までやってくると、爆音のような音がした後、ジーンが転がり出てくるところに出くわしたリゼット。ジーンを猛追するように躍り出た人影を目にして、状況を理解した。
「師よ! どうして待てなかったのですか!」
いきり立ったリゼットは倒れ込んだジーンを庇うように立ちはだかった。
「リゼット、危ないから下がっておれ」
「どうしてこんなことになっているのです。山まで降りてきて……」
「アリアスがやってきて、リゼットが兵団の男に色目を使われているとほざきおった。そんな輩は成敗せねば」
リゼットは激しく舌打ちした。アリアスが時々、師のご機嫌伺いがてら勝負をしていることは知っていたが、余計な情報まで渡していたなんて予想外だった。興味は自分のことだけというアリアスがわざわざそんな話を師に振った理由は、嫌がらせに他ならない。
けれど、アリアスの適当な言葉を信じて、師が山から下りてくるなんて有り得ないことであった。
「色目なんか使われてません」
「アリアスは嘘を言わん男だ」
「ねじ曲げて言えば、嘘と同義です」
「……どこをねじ曲げたというのだ」
リゼットはすでに師がジーンと出会ってしまったので本当のことを告げることにした。
「ジーンさんに求婚されたので受けました」
「……それで俺の獲物はどこへやった。隠しても探し出してやる」
「師よ。ジーンさんを襲っておいて、何を言い出すやら」
「むっ」
鼻白んだ師を見て、ジーンがその獲物であることに気づいていないにも関わらず、本能で見つけてしまった執念に脱帽したリゼット。いきなり襲いかかられたであろうジーンを心配してちらりと見遣ると、二人の会話についていけずに目を白黒させていた。
「早とちりで襲うなんて信じられませんね。ジーンさんに謝って下さい」
「なんだと! 獲物はそいつであってただろうが!」
「取り敢えず謝って下さい。決闘はその後で」
「済まん!」
ごねた師はあっさりとジーンに頭を下げた。これ以上リゼットを怒らせると、気に入らない求婚者をボコボコにする機会がご破算になると感づいたからだ。
「状況がいまいち理解できん……」
師の謝罪を受けたジーンがヨロヨロと立ち上がった。襲撃者とはいえ、一般市民かも知れない相手をねじ伏せるわけにもいかず、防戦一方だったために疲れ切っていた。
「済みません、ジーンさん。師はこれでも我慢しています」
「すぐにぶち殺していいか?」
「師よ。待てが出来ないなら紹介しません」
「む……」
リゼットは師を睨みつけて黙らせた。
「お騒がせして本当に申し訳ありません。こんな人ですが昔は偉大な将軍だったのです」
「……なあ、リゼット。お前の師とやらがメイエリング前将軍に見えるんだが、俺の気のせいか?」
「いえ、本人です」
ジーンが師の正体を知っていたのを意外に思いつつ、リゼットが肯定すると、ジーンが諦めに似た重いため息をついた。
「どうりで騎士連中が怯むわけだ。俺は命の心配までされたぜ」
「師は本気で命を狩りに来ます」
「……だろうな」
会話をしている最中も師はギラギラとした視線をジーンに送っていた。握っている剣を今にも振りそうである。
「正式にジーンさんを紹介する予定だったのですが、アリアスのせいで順番が狂ってしまいました」
「それも本物のアリアス様か。酔っ払ったリゼットの口から、現役の将軍の名が上がるとは思わなかったから油断してたぜ」
「私が至らぬばかりに迷惑を……」
「いや、丁度いい。近々挑む予定でいた」
そう言うとジーンは居住まいを正した。師へ真剣な眼差しを送る。
「リゼットとの結婚を許して欲しい。若輩者という自覚はあるが、全力で挑ませて頂く」
「貴様の全力を叩き潰してやる!」
静かな闘志を見せるジーンに感動したリゼット。ハッと我に返るとジーンを威嚇している師の頭を叩く。
「師よ。ここは神聖な厨房。戦いの場を移しましょう」
「俺はここでも構わん!」
「ジーンさんの仕事場を荒らさないで下さい。それから兵団の厨房を潰したら苦情が殺到しますよ。賠償の要求があるかも知れません。師は払えるのですか?」
「……場所は何処だ」
そして決闘の場は移されることになった。が、
「どうしてアリアス様がいるのですか!?」
「余興の見物だ。爺さんが山から下りてくるなんて、これほど面白いことはないからな」
リゼットは憤怒の形相になった。アリアスの胸倉を掴む。
「貴様の見世物などにさせん!」
「あ? 爺さんが兵団の破落戸無勢を殺したところでお前には関係ないだろうが」
「ジーンは破落戸無勢などではない!」
「ジーン? へぇ……」
アリアスはニタニタ笑いを止めると腕を組んで考えに耽り始めた。リゼットは大人しくなったアリアスを訝る。
「己の結婚を邪魔しに来たのではないのか?」
「お前と結婚してくれる相手なんかないだろ。……ああ、だから爺さんがわざわざ下山してきやがったのか」
「アリアスは本当に余興だと思っていたのか……」
話の流れからアリアスが何も知らないと知ったリゼット。ジーンとの決闘でそれなりに結婚の噂は広まっていたと思っていたが、他人の噂に無頓着なアリアスは聞えていなかったようである。
「お前が兵団に入り浸ってるせいでゼクスが泡くってやがった。どうせ兵団の男が珍しかっただけだろうが、犯罪の芽は潰しておくに限る。お前は黙っていれば、それなりだからな」
「気持ち悪い心配をどうも……」
驚くことにアリアスは一応女の身であるリゼットの心配をしてくれたらしい。兵団がまるで犯罪者予備軍のような言い方は気にいらないものの、アリアスの口の悪さはいまさらなのでとやかくは言わなかった。
「にしても相手はジーンか。災難だな……」
「ジーンさんを知ってるんですか?」
「さあな」
一旦冷静さを取り戻したリゼットが聞けば、アリアスは肩を竦めて答えを濁した。
リゼットは気になりつつも、既に臨戦態勢に入っている師を放っておけずに、アリアスの追及を諦めた。