リゼットの野望─もう一度愛を囁いて─ 8
ジーンを置き去りにしたリゼットは、その足で兵団宿舎にいるコンラートを訪ねた。
「ジーンならまだ帰ってないぞ」
リゼットが声をかける前にコンラートが言った。
「ジーンさんなら騎士たちに揉まれてます」
「なら俺に会いに来たのか。求婚の返事だな」
「はい。……コンラートの求婚は嬉しかったですが、ジーンさんが好きなのでお断りします」
コンラートは肩を落とした。
「ああ、やっぱりな……」
「私はいつからジーンさんが好きだったのでしょうか?」
リゼットが自分の気持ちに気付いたのは、ジーンの静かな問いに答えた時だ。無意識に「はい」と答えてしまったことは驚きでしかない。
コンラートは求婚した時からジーンを気にしていた。ということはリゼットが気付いていなかった気持ちを知っていた可能性が高い。
「振った相手に聞くか」
「ごめんなさい……」
「まあいい。リゼットと飲みに出歩き始めてしばらくたった頃に何となくそう思うことがあった。ジーンの作った飯を褒めると顔が緩んだからな」
リゼットは赤らむ頬を両手で押えた。ジーンに愛を囁かれてから顔が緩んでどうにもならない。
「……その反応はジーンに求婚されたのか」
ジーンから求婚らしい求婚をされてはいなかったが、リゼットはそっと頷いた。
「ジーンさんがあんなに情熱的な人だとは思いませんでした」
「ロゼリアは熱心に口説いてただろ」
「あれは挨拶みたいなものです」
リゼットが断言するとコンラートが微妙な顔をした。
「あれが挨拶? ジーンは何を言ったんだ……」
「そ、そそ、そんなこと恥ずかしくて言えません!」
何度思い出しても恥ずかしい。ジーンに囁かれた愛の言葉はリゼットを悶えさせた。
「……なら聞かないが、ジーンは騎士と決闘でもしてるのか?」
「いえ。師を倒すための訓練です。殺気だった騎士はよい訓練相手になってくれます」
「リゼットは鬼畜だな。殺気だった騎士なんてリゼット狙いの野郎どもだろ。ジーンも災難だが、リゼットに使われる騎士は哀れだぜ」
「ジーンさんの手にかかったら騎士は自分を見つめ直せます。昨今の騎士は強敵がいないせいで鈍っていますから」
リゼットは朗らかに笑った。騎士を煽ったのはジーンへの意趣返しと共に、騎士の怠慢を戒める狙いもあった。
「鈍ってなんかいないだろ。最近は遠征もあって訓練に明け暮れてたって聞いたぜ」
「遠征は選抜された騎士のみです。全体的には弱体化しています」
「弱体?」
「はい。ですから料理長なんかでくすぶっていた将軍が幅を利かせるのです」
リゼットは不満をぶちまけた。アリアスが将軍になったなんて青天の霹靂だった。アリアスが苦労して作った異世界料理をちょろまかしたぐらいでは虫が収まらない。
「まあ異例ではあるな」
「ゼクス様がお優しいのをいいことに好き勝手してくれました」
アリアスが将軍になった経緯を聞かされたリゼットは歯噛みした。その場にいたら勝手な人事を通した宰相に文句の一つも言いたかったリゼット。残念ながら一介の侍女が遠征隊の壮行の場に居合わせることはできなかったため、どんなにリゼットが不愉快に感じても覆せることではなかった。
「なあ、前から疑問だったんだが、リゼットはゼクス王と……その、関係があったのか?」
憤懣やるかたないリゼットだったが、コンラートの話題転換にアリアスへの怒りを鎮火させた。
「関係とはなんでしょう」
「いや、ゼクス王がリゼットに手を出しているとか、ただの噂なんだろうが……」
コンラートが言葉を濁した。
「ただの噂です」
リゼットは否定しながらも目を泳がせた。ゼクスとの噂は故意に流したもの含まれていたから。
「そうだよな。……手を出した侍女をほったらかしにして、女神と結婚するなんてゼクス王のような潔癖な方がするわけもなかったか」
ほっとしたように呟くコンラート。
それにしてもゼクスの結婚は国から発表されていないというのに、既に情報は流れているようである。
「ゼクス様とは幼少に縁がありまして。他の侍女よりは親しく声をかけてくれることもありました」
「そうか。結婚話はおろか、恋人の影さえチラつかなかった王だからな。リゼットと親しげに見えたせいで噂の種になったんだろうな」
自分を納得させるようなコンラートの言葉を聞いたリゼットは、ゼクスに申し訳ないという思いで一杯になった。ゼクスがそれらしい相手を積極的に見つけなかった理由がリゼットにないとはいえないからだ。
ゼクスは小さな頃にリゼットが行方不明になった事件をずっと気に病んでいた。元々自分に厳しいところがあるゼクスは、事件をきっかけに益々それに拍車をかけ、王として忙しい日々を送ることになった。故に恋人を作っている暇もなければ、将来の王妃となるべき相手をふるいにかけすぎて候補を選定することもなかった。
それでも貴族の押し切りを躱すために婚約者が数人いたようである。リゼットが最初の担当した令嬢もその中の一人だ。ただ、ゼクスは数多の婚約者には目もくれなかった。だからリゼットは気付いていなかったのだ。ゼクスに婚約者がいたことに。
「噂の真偽などそんなものです。ゼクス様は今頃……むふふっ」
遠征から帰ってしばらくするとゼクスが巣ごもりを始めた。愛する人を引っ張り込んで。
「……本当に噂だけか。やけに王について詳しいじゃないか」
コンラートの突っ込みにギクリとしたリゼット。取り繕うような笑みを浮かべる。
「優秀な侍女というものは情報通なのです。コンラートほどではないですが……」
「誤魔化されている気がしないでもないが、藪を突いてもいいことはなさそうだ」
リゼットの裏事情を察していながらコンラートは探りを入れることをしない。
「コンラートのそういうところが好きでした」
「こんないい男を振ったんだ。幸せになれよ」
「もちろんです。私が全身全霊をかけてジーンさんを幸せにしましょう」
「リゼットが幸せにするのか」
コンラートが吹き出した。
「ジーンさんが後悔しないようにしなければならないので」
リゼットの正体を知ったジーンが逃げ出さないとも限らない。何しろジーンは貴族の令嬢が嫌いなのだ。
「隠し事があるなら早めに話しておけ。ジーンなら受け止めるはずだ」
「そうだといいんですが……」
リゼットはため息をついた。ジーンに何もかもをぶちまけるのは吝かではないが、リゼットが公爵家の令嬢であることを知った後のジーンの反応が気にかかる。
それにはっきりと告げていない師の正体を暴露した時、ジーンが全てを諦めてしまわないか、という懸念もある。
化け物じみた師はセイナディカで知らない人はいないという有名人。噂に疎いジーンでも知っているはずだ。
「話せない内容か?」
「そうではないのですが、聞かされた後のジーンさんが心配です」
素直に吐露すれば、コンラートが眉を潜めた。
「俺の予想より話は大事なのか。差し支えなければ聞きたい」
「藪は突かないはすでは?」
「俺が聞いても問題なければジーンに聞かせられるだろ。内容によりけりだが、場合によっては俺から話してやってもいい」
コンラートの優しさに胸を打たれたリゼット。ジーンがいなければ、こんないい婿はいなかったと少しの後悔を滲ませつつ、口を開いた。
「私の本当の名はリゼット・ヴァイゼ・フェデルです」
「……フェデル!? それは公爵家だぞ!」
「はい。ゼクス様のイトコにあたります。ちなみに私の師はメイエリング前将軍です」
「はぁあああああ!?」
情報通コンラートは大概のことでは狼狽えない男だった。それが驚愕の叫びを放ったまま、とんでもない情報を暴露したリゼットを前に言葉もない。
「コンラートがそんな調子ではジーンさんに話すのは躊躇わざるを得ないです」
項垂れるリゼットに驚愕から覚めやらないコンラートは一言。
「……俺からは話せん」
それを聞いたリゼットは決意した。師との対決にすべてを託そうと。
こうしてジーンは何も聞かされないまま、最強の伝説を持つ前将軍に、結婚承諾をかけた真剣勝負を挑む羽目になるのだった。