リゼットの野望─もう一度愛を囁いて─ 5
ジーンの指導の元、コンラートは実地訓練に入るはずだった。それが延期となったのは、ドラゴン退治のために組織された遠征隊にジーンが参加することになったからだ。
奏の護衛として同行するジーンは重要な役割を担っている。そんなジーンは厨房から離れて数日は騎士団の訓練場で汗を流していたようだ。
リゼットはここで初めてジーンが戦う姿を目撃にした。コンラートの情報が間違ってはいないどころか、ジーンは騎士相手に引けを取らなかった。時には騎士を打ち負かして友好を深めていたようである。
「皆さん、お疲れさまです」
差し入れを持ったリゼットの登場に騎士たちがざわめいた。すっかり仲間という認識が広まっている。
「それはリゼットの手作り?」
「ええ」
一人の騎士に答えると歓声が上がった。リゼットの手作りは、すなわち奏の指導によるものだからだ。
「へえ。これが異世界料理か。変わった味だが悪くないぜ」
「餅せんべいだそうです」
餅から派生したおやつだという。餅を平らにして焼いただけ。ほんのりと甘い風味とパリパリとした食感がくせになる。
「ところでカナは元気でやってるか?」
「遠征前なので不安があるようです」
リゼットは憂い顔でため息をついた。奏は不安を顔に出さないけれど、時々鬱いでいるようだった。
「ドラゴン退治の遠征だからな。不安はあるだろう。……俺はカナが何かしやしないかと不安だ」
「そうですね。ジーンさんがしっかり見張っていて下さい。カナデ様がドラゴンの口の中に突っ込んで行ってしまわないように」
「想像できるだけに恐ろしい。で、リゼットは他に不安がありそうだな」
リゼットはプイッと顔を背けた。
「吐け」
「嫌です」
ジーンの追及を必死で躱すリゼット。不安というより目の前の男を心配しているなんて知られたくなかった。
「酔っ払っていた時のほうが素直だぞ」
「……あれは忘れて下さい」
ジーン相手に泣きわめいたことは忘れたくても忘れられない。酔っていたとはいえ、地までばれてしまった。
「遠征から帰ったら飲みに行くか?」
「私を酔わせてどうするつもりですか」
「どうするつもりって……」
ジーンが口ごもった。
「遠征から戻ったら勝負です。今度は逃げないで下さい」
「本当に勝負するつもりか。どうなっても知らないぞ」
ジーンは背を向けてヒラヒラと手を振った。了承を得られたとリゼットは喜んだ。だから、ジーンの何気ない質問に引っかかった。
「……お前、俺のこと好きだろ」
「はい」
振り返ったジーンと目が合った。リゼットは一瞬、何を質問されたのか、理解不能に陥った。目元を染めるジーンの顔を見て、口元を覆う。
「す、好きなのはジーンさんの料理です!」
叫んだリゼットはその場から遁走した。
★★
遠征隊が無事に帰ってくるという知らせを聞いたリゼットは、ソワソワと落ち着きをなくして仕事もおざなりになっていた。
奏がいないので侍女の仕事はさほど多くはなく、実は手持ち無沙汰だった。そこで遠征隊のことを聞いたため、リゼットの緊張は大きくなっていた。
怪我人はいるらしいが、死人はでていないという。安堵と共にジーンが帰ってくると思うと、いても立ってもいられない。
リゼットは恋愛対象としてジーンを見ていたことが信じられなかった。あんな風にいきなり問われて、すんなり気持ちが口をついて出た。そこで初めてジーンに気持ちが傾いていたことに気付いた。
コンラートに求婚された時は単純に嬉しかっただけなのに、ジーンの問いかけに「はい」と答えたリゼットに向けられた照れたジーンの顔には、嬉しいというより恥ずかしいという気持ちが勝った。
恥ずかしいという気持ちを誰かに持ったことはない。何がそんなに恥ずかしいのか、リゼットは自問自答して、答えはでないのにいたたまれなくなった。
だから、ジーンに会わせる顔がない。咄嗟に誤魔化した好きという気持ちもジーンにどう思われたのか、気になって仕方なかった。
「あれは冗談だった」とジーンに言われるかも知れない。想像すると泣けてきた。
そうしてリゼットが悶々しているうちに遠征隊は戻った。リゼットは奏の無事を確かめるために急いで遠征隊の元へ向かったが、そこで目にしたのは疲れ切ってボロボロになったジーンだった。
「よお。カナは守ったぞ」
「そうですね。どこも欠損してなくて良かったです」
ジーンの報告を聞いたリゼットは淡々と返した。
「冷たいな。労いはなしか」
「……戻ったら勝負する約束です。そんな身体では勝負にならないので、今日はさっさと帰って下さい」
「可愛げがないな。勝負ならしてやるから首洗って待っとけ」
そう言って踵を返すジーン。ため息までつかれたリゼットは悲しい気持ちになる。
「……俺に帰って欲しくないならそう言いやがれ」
気がつけばジーンの服を掴んで引き留めていた。リゼットは慌てふためいた。どうしてジーンの前で失敗ばかりするのか。本当に最近はどうかしている。
「か、帰っていいですよ」
「あのなぁ。そういうことは離してから言うもんだ。ったく、俺が無事で嬉しいならそういう顔をしろ。俺はちゃんと帰ってきたじゃねぇか」
ジーンは呆れた顔で言いながらリゼットを抱きしめた。身じろぎするリゼットの耳元に口を寄せて囁く。
「師とやらに挑んでやるからお前との勝負はなしだ。それからコンラートの求婚は断っておけ」
「頼んでいません」
「だったらコンラートと結婚するか。俺は別にどっちでもいいぜ」
リゼットはキュッと唇を噛み締めた。ジーンの気持ちが分からない。
「私と勝負して下さい」
「俺の実力を試せば安心か?」
「……師は容赦しません。せめてジーンさんが死んでしまわないか、確認しておかなければなりません」
ジーンの気持ちがどうであれ、師に挑むという意思表示をしてくれて嬉しかった。けれど、本気の師を相手に命はいくつあっても足りない。ジーンがうっかり死んでしまうようなことがあれば、悔やんでも悔やみきれないことになる。
「リゼットの理想は若い女にありがちな夢想だと思ってたんだがな」
「私の理想は師を破る厳つい武人です」
「厳つい? コンラートはどっちかっていや優男じゃねぇか」
ジーンが首を傾けた。
「……やはり口から出任せを」
度重なるジーンの不意打ちでリゼットの心臓は鼓動をおかしくしていた。それなのにジーンはコンラートを引き合いに出して、不安を煽るようなことばかり言う。揺れ動く心が混乱に拍車をかけて、リゼットは切れ気味になっていた。
「コンラートの求婚に傾いたお前に文句つけられる筋合いねぇが、どうも気持ちを疑われている気がして仕方ないぜ」
「ジーンさんの気持ちなんて聞いてません」
「こっぱずかしいだろうが。いまさらお前に惚れたなんてどの口で言える」
照れながら頬を掻くジーン。リゼットの心臓はキュッと絞られたように苦しくなった。
「いつからですか。そんな惚れたなんて……」
「さあな」
ジーンは照れ顔をしまい込んで空とぼけた。
「……ジーンさんなんて師にボコボコにされてばいいんです」
リゼットはキッとジーンを睨みつけた。乙女心を弄ばれたようで気分が悪くなったからだ。
「未来の旦那に手厳しいじゃねぇか」
「師に勝てなければ結婚など白紙です。未来は潰えます」
「リゼットの師がどれだけ強いのか知らんが、俺はそんなに弱くないぜ」
「それは私に勝ってからほざいて下さい」
いつもは他人を振り回す側のリゼット。初めて振り回される側に立って思ったことは、気に入らない、であった。
「勝負するのはいいけどな。俺を本気にはさせられん」
「随分と自信があるようですが、手加減などして私に負けたらそれこそ恥では?」
「惚れた女を本気で叩きのめす男がいるか。そっちのほうが恥だぜ」
さらりと愛の告白をされたリゼットは頬を赤らめた。はっきりと気持ちを言わないジーンは、こうやってリゼットを喜ばせるのだ。
「私に負けたら結婚は無理ですから」
「負けないから問題ない。それに負けて欲しくないだろ」
「知りません」
ニヤニヤといやらしく笑うジーンから顔を背けたリゼット。気持ちを見透かされて動揺する。
「可愛くないお前が好きだぜ、リゼット」
ジーンの告白に不意を突かれたリゼットは、「可愛くないところがいいなんてジーンさんは変な人ですね!」と怒りながら照れまくるという離れ業を習得したのだった。
この顛末を後から聞いた奏が「リゼットはツンデレ」と感想を漏らし、新たな異世界語がセイナディカに浸透していったのは、また別の話である。