リゼットの野望─もう一度愛を囁いて─ 4
気分のままに飲んでいたら深酒をしてしまったリゼット。反省する前に自力で帰れるかどうか思案していると、怪しくなり出した視界にジーンの姿が映り込んだ。
「嫁入り前の女なこんなところで何やってやがる!」
「楽しく飲酒です」
事実をそのまま伝える。嫁入り前だろうが女だろうが、成人した立派な大人は深夜まで酒場にいても文句つけられる謂われはないのだ。
というリゼットの主張はジーンの雷によって粉砕された。
「馬鹿が! 男の前で酔いやがって!」
リゼットは怒鳴り声に首を竦めた。コンラートは面白そうに見ているだけで口出しはしてこない。
「……気持ち悪いです」
「平気か? そんなに酔うまで飲みやがるから……」
「いえ。ジーンさんが若い娘を心配する父親のようなことを言うので」
「心配してやれば生意気な口を聞くじゃねぇか」
「コンラートがいるのに心配する意味があるとは思えませんが、一応、ありがとうございます?」
ふわふわとしているリゼットは段々頭も回らなくなっていた。ついでに呂律も怪しくなって来ている。
師匠が大酒飲みで、晩酌を付き合うことに慣れていたリゼットでも、コンラートの求婚でいつもより気分が高揚していたらしく、今日は必要以上に飲んでしまった。
「コンラートに持ち帰られるつもりか」
リゼットは不思議そうにジーンを見上げた。コンラートが何を持ち帰るというのか。注文した酒の肴は食い尽くしていて土産にできるものは何もない。一つだけあるとすれば、まだ開けきっていない酒瓶だけだ。
「ジーンさんが持ち帰りますか?」
そう聞いた途端、ジーンとコンラートが同時に頭を抱えた。
「……酒瓶のことだ」
「ああ、分かってるんだが……」
二人の男は視線を交わし合った。
「ジーン。ちょっと勝負しようか」
「いきなりだな」
「どうやら俺はジーンをぶちのめさないとリゼットと結婚できないらしい」
「……お前らいつからそんな仲になった」
「今日ですよ。初めて求婚されました」
浮かれきっていたリゼットは嬉しそうに報告した。
ゼクスに散々「結婚は無謀」と脅されていたリゼットはこれでも傷ついていた。
師匠に啖呵を切った手前、婿を見つけられずにスゴスゴと帰ることもできない。理想は兎も角、好きな相手も見つからないし、コンラートみたいに体当たりしてくれる人もいないという苦渋。
侍女をしているうちに女らしさが身についてきたらしく、リゼットにも女としての矜持が僅かながらに芽生えていたのだった。
「そりゃ、めでたいな。で、俺はぶちのめされるわけか」
「素直にぶちのめされてくれるか?」
「簡単にぶちのめせると思うんじゃねぇ」
ジーンはそう言うと隣のテーブルに座った。コンラートを呼ぶと鍛え上げられた腕を見せつけるように腕まくりをする。テーブルに肘をつけるとコンラートを促す。
「酔っ払い相手ならこれで十分だろ」
「腕相撲か」
ジーンと同じように腕まくりをしたコンラートが口角を上げた。コンラートも酔いが回っているらしく、ジーンの挑戦を受けて立つ気満々である。
「剣で勝負しないんですか? つまらないです」
残念そうに呟くリゼット。ジーンはそんなリゼットの頭をぐしゃぐしゃに掻き回す。
「そこで大人しく観戦していろ。俺は結婚の条件ごときでぶちのめせる男じゃないぜ」
「恥かかないように頑張って下さい」
「……言ってくれるじゃねぇか」
火のついたジーンが好戦的な表情を浮かべる。厨房で肉ばかり切っているジーンの初めての顔。リゼットの胸がざわめいた。
「三本勝負だ」
「おう」
二人の男が火花を散らした。野次馬の人だかりから声援が飛ぶ。
「食わせ者のリゼットによく求婚なんてしたな」
「そこがいい。俺に似合いだろ」
軽口を叩いている間に一本目の勝負がついた。勝者はジーンだ。
「コンラートは色恋に興味がないんじゃなかったのか?」
「まさか。興味を惹かれる女がいなかっただけだ」
「リゼットは普通じゃないからな」
「ああ。だからこそ求婚した。いきなりで驚かせたようだが満更でもないようで安心した」
二番勝負は力の拮抗で中々勝負がつかなかった。ところが、コンラートが求婚時のリゼットの様子を話した途端にジーンが敗れた。
これで互いに一勝ずつ。次が勝負を決める最後の戦いとなる。
「リゼットはこんな勝負じゃ、俺の望む返事はくれないだろう」
「そうですね。やはり真剣勝負は斬り合いですから」
「ま、そういうわけだ。負けても俺は譲らない」
コンラートの宣戦布告。ジーンはジロリと睨みつけると、勝負を降りるように腕に込めていた力を緩めた。
「馬鹿らしい。勝手に俺を巻き込むんじゃねぇ。リゼットが誰と結婚しようが俺には関係ないことだ」
「やっぱり真剣勝負をするか」
「あぁ!?」
ジーンの目が吊り上がった。
「ジーンさんは振られて機嫌が悪いんですね」
「そんな昔のこといつまでも引き摺らねぇ。……ったく、酔っ払い相手になにやってんだか」
ガリガリと頭を掻いたジーンはおもむろにリゼットを抱き上げた。
「今日は仕舞だ。……コンラート。もし万が一、俺がリゼットに惚れるようなことがあったら真剣勝負してやる」
「俺には分が悪い勝負だ。可能性があるなら別だが……」
「俺の気持ちは簡単には動かないぜ」
「だろうな。ジーンを待っていたら結婚できずに終わりそうだ」
コンラートは肩を竦めるとジーンに抱かれているリゼットに耳打ちした。耳を掠めたコンラートの唇がくすぐったくて身を竦めるリゼット。赤くなりそうな頬を両手で押えているとジーンが低い声でコンラートを牽制する。
「リゼットを口説くなら俺のいない余所でやれ」
「持ち帰るくせに邪魔してないと言えるのか」
「持ち帰りじゃねぇ。保護だ。酔っぱらい同士で帰って、明日の朝に後悔しないようにしてやっているだけだ」
勝負の間に酔いが冷めてきたリゼットは、ジーンの言葉の意味をやっと理解した。持ち帰るモノが違ったということに気付いて、ジーンが何を問題にしているのか悟る。
「ジーンさんはいつから私の保護者になったんですか?」
「カナにも言ったが、兵団に出入りしている限りは守ってやる。野獣どもの巣窟にいていい女じゃねぇからな」
「はっ! これが番犬!」
リゼットは異世界語を思い出した。恋人を番犬呼ばわりされたと奏が立腹していた。
「番犬? なんだそりゃ」
「恋人の後ろで不貞の輩を牽制するという意味らしいです。異世界にもれっきとした騎士がいるようです。恋人限定ということですが」
「恋人限定なら俺は違う。厨房の戦力に何かあったら問題になるから気にかけてるだけだ」
ほろ酔いのリゼットは軽口を叩いただけなのにジーンは真面目な顔をして取り合わなかった。それが無性に気に入らなかったリゼットは、少し前までのやり取りを逆手にジーンを責める。
「ジーンさんは別に私の結婚に反対しているわけじゃないんですよね。それなのに真剣勝負を放棄する気でいます。万が一なんて口から出任せを言わないで下さい」
「その話はコンラートとしろ」
「これは二人だけで解決する話ではありません。ジーンさんの逃げ腰が私の結婚の障害になっています」
「俺が逃げ腰で何が悪い。結婚なんて二人で決めるもんだろうが」
普通の結婚ならそうだ。二人もしくは双方の両親の承諾があれば結婚できる。しかし、リゼットには越えなければならない壁があった。それを打ち崩すためには真剣勝負をしないわけにはいかない。
「私には師がいます。結婚を認めさせるには倒すしかないんです」
「倒す? リゼットが強さに拘ってるのはそのせいか……」
「分かっていただけたなら倒して下さい」
「待て。俺が挑んでどうする。やるならコンラートだろう」
リゼットはハッとする。酔っているせいか話が大分逸れてしまった。ジーンを打ち負かしたコンラートが師に挑むという話だった。
「なあ、リゼット。そもそも俺は求婚の返事を貰っていない。話の感じだと承諾と受け取れるが……」
酔いが冷め始めたコンラートが話に割り込んだ。いつの間にかジーンと二人きりでいるような気になっていたリゼットは、困惑しているコンラートに視線を向ける。
「ジーンさんをぶちのめしたら結婚します」
「だそうだ」
コンラートは落ち着いた様子で頷いた。これは決定事項なのだと諦めの境地らしい。
「なんでそんな話になってやがる」
「ジーンさんが兵団一強いからです。師は最強なのでジーンさんに勝てない人には無理です」
「そんなもん戦わずに説得しろ」
「それができないから行き遅れているのですよ!」
リゼットはジーンの胸の中で泣き崩れた。ギョッとしたジーンは慌ててリゼットをコンラートに託す。
「な、なんとかするから泣き止んでくれ」
「師は話を聞かない人です! どうやって倒すのですか! ジーンさんを倒せないのに!」
コンラートの胸を叩きながらリゼットは喚いた。酔っ払いは箍が外れやすいとはいえ、滅多に動じないリゼットの錯乱ぶりに二人の男は呆然自失となる。
「……師を倒せる人ならいます。五年もすればアリアスも師を超えます。でも、アリアスと結婚なんて想像するだけで生き地獄。己は生涯独身か……。それも人生かも知れん」
アリアスと結婚したら毎日遊ばれる人生。それを想像したリゼットは頭を掻き毟った。独白の最後には元の口調に戻る始末だ。
「……提案なんだが、俺がコンラートを鍛えるってのはどうだ?」
リゼットは泣きはらした顔を上げた。ジーンの言葉は天啓のように聞えた。
「ならば、己と勝負だ」
「あのなぁ。なんでお前と勝負せにゃならん」
「実力を確かめるために決まっている」
ジーンが兵団最強というのは話に聞いただけで、本当のところは誇張されているだけかも知れない。リゼットの心には常に不安がつきまとっていたから、否定的な考えばかり浮かんでしまう。だから自らジーンの実力を確かめないことには先へ進めないのだ。
「臆したか、ジーン。貴様はその程度か。小娘相手に情けない」
「おいおい」
すっかり口調が戻ってしまったリゼット。しかし、挑発に乗るようなジーンではなかった。
「リゼットはそれが地か。酔っ払いの戯言で済ませてやるから正気に戻れ」
そういってリゼットの涙を拭うジーンの手の優しさに、いつの間にか眠りに誘われたリゼットは、今日のこの失態を取り戻すために翌日には完全復活を遂げていた。