リゼットの野望─もう一度愛を囁いて─ 3
異世界から召喚したという女主人を得たリゼットは、侍女として最高の仕事をこなす充実した日々を過ごしていた。
右も左も分からないという女主人である奏のために、時には噂の人物を探りにくる貴族たちを撃退し、時には奏を諫めるために騎士団に混じってみたり、時には奏に懸想する騎士に発破をかけたりもした。
リゼットは侍女になった理由を置き去りにしてまで、奏のために身を粉にして快適な生活を維持することに努めた。
そんな折、奏からある相談を受けたリゼットは、金稼ぎのために侍女仲間のツテをフル活用して入り込んだ兵団へ出向いていた。
入り口あたりで捕まえた兵団長に話をつけて、奥の厨房で仕事をしているジーンを発見した。目聡く気付いたジーンが声をかけてきたので、そこからは順調に事が運んだ。恋人へ贈り物をしたいという奏の希望どおり、ジーンに厨房の助手として雇ってもらうことができた。
「……変な噂を聞いた。召喚が行われたなんて冗談みたいな噂だ」
リゼットが慣れた手つきで野菜を斬り刻んでいるとジーンがこっそりと声をかけてきた。
「私は知りません。どうしてそんな話を振るんですか」
「カナの黒髪は異質だ。関与してるんじゃねぇのか」
「政治については分かりかねます」
白を切るリゼット。ジーンは黙って作業を続ける。
しばらく黙々と作業していたリゼットは、思うところがあって手を止めた。
「ジーンさん。いつ振られたんですか?」
「それは手を止めてまで聞くことか」
それもそうだ、とリゼットは手を動かす。
「ついに振られたと聞いたので気になりました」
「誰がそんな……」
「コンラートです」
「あのお喋りが」
ジーンが舌打ちした。
「長年の恋が実らなくて残念ですね」
「同情か。珍しいじゃねぇか」
「私も初恋が実らなかった口ですよ。気持ちの行き場のなさは知っています」
「へえ。おまえにもそんな女らしいところがあったんだな」
リゼットは包丁を取り落とした。ジーンはそれほど長い付き合いというわけでもないのに、リゼットの女らしくない部分を見透かしていた。
「危ないじゃねぇか」
「あ、いえ。少々、動揺を……」
侍女としての仕事に慣れてきたリゼットは昔の自分をおいそれと出さなくなった。最初の目標は達成したわけだ。それなのに気付けば侍女の仕事の醍醐味を味わい、辞めるに辞められなくなっていた。
侍女という仮初めの姿は心地がいいけれど、身近な人間を騙しているという後ろめたさが少しばかりある。それは奏が嘘をついていて苦しんだ様を間近で見ていたからだ。
本当はもう侍女を辞めて婿探しに集中するべきなのだ。それが分かっているにも関わらず、奏を言い訳にして侍女を続けている。
その理由をリゼットは薄らと察していて、でも認められずにいた。だから、ジーンの何気ない言葉が突き刺さる。女らしくないと思われることが初めて重くのしかかった。
「動揺させるようなこと言った覚えはないぜ」
「まあ、そうですね……」
リゼットは曖昧に微笑んだ。
「そうか。ところで余裕があるならそっちの肉も切ってくれ」
「肉切りはジーンさんの仕事ですよ」
「どんな腕してるんだか、リゼットの切った肉は味の染み込みが早い。侍女なんか辞めて俺のところへ来てくれ」
「侍女の仕事をなんだと思っているんですか。そんな簡単に辞められるようなものではないですよ」
「へえ。こうやって俺のところに来てるのは、サボリじゃないのか」
ジーンの言い草に頭にきたリゼットは包丁を構えた。ジーンに向けて振り下ろす。
「おい!」
「避けないで下さい」
目の据わったリゼットがジーンを狙う。
「こんな狭い厨房で包丁を振り回すな!」
「厨房が狭いのではなく、ジーンさんが幅を取っているだけです」
「なんでそんなにいきり立ってる。カナが驚いてるじゃねぇか」
奏の心配するような視線が突き刺さってくる。リゼットは渋々と包丁を下ろした。
「サボリなんて言うからです」
「だったらなんで兵団に入り浸ってる」
「厨房の手伝いですが」
「給料払ってないのにか?」
リゼットは咄嗟にジーンから目を背けた。いつもはしない失態を犯したと気付いたのは、ジーンが目の前に立ってからだ。
「俺の手伝いは次いでか。兵団に何の用があるか知らんが、後ろめたいことでもありそうだな」
「そんなものありません」
「目を背けておいて白々しい。……そんなに知られたくないか。若い連中と遊び歩いてることは知ってるぞ」
「え?」
「それが理由じゃないのか?」
「いえ」
問い詰められたリゼットはきっぱりと否定した。確かに数人の兵団員と懇意にしている。婿探しにあたって情報を収集するために。
「だったら他に理由があるんだな」
リゼットはギクリと身を強ばらせた。今日のジーンはいつもとは違っていた。こうやってリゼットのやることに文句をつけてきたことはないはずなのに。
「ジーンさん。まだ作業の途中です」
「ちっ」
舌打ちしたジーンが作業に戻った。同じように作業を開始したリゼットはホッと息をついた。ジーンは当初からリゼットが兵団に来ることをよく思っていなかった。何しろ兵団の独身率は騎士団より高いため、リゼットの身を心配していたのだ。
実は鍛えられているリゼットが襲われても十分対処できること知らないジーン。追及されても説明できないから、色々と後ろめたいリゼットである。
だから、リゼットは侍女になってから培った処世術でジーンの追及を躱す気でいた。しかし、そう言っていられない事態に発展していくことになるのだった。
★★
兵団一の情報通コンラートと密会するための酒場にやってきたリゼットは開口一番こう言った。
「兵団随一の猛者は誰ですか!?」
心からの叫びにコンラートは驚きもせずに答える。
「ジーンだ」
「そんなこと聞きたくありませんでした!」
リゼットは婿探しと称して騎士団を物色していた。それなりに強い男は大勢いたのに、リゼットの眼鏡に適う人物はどんなに探しても見つかることはなかった。
奏に言った「ドラゴンのように強い厳つい猛者」というリゼットの好みは半分冗談だったが、せめて自分を倒せる強さの猛者を婿にと考えていた。ところが、騎士団にはそんな強者はいなかった。
ゼクスが許可をくれないので直接確かめることはできなかったリゼット。それでも騎士たちの世話をしながら訓練を観察していると粗ばかり目についてしまった。気付いたら指導までしてしまう始末で、それが騎士たちに認められたせいで奏には騎士団を裏から牛耳っていると勘違いまでされた。騎士たち個人の強さを把握しているという意味では牛耳っているといっても過言ではないのだが。
そうして騎士団の中には婿となりうる相手はいないと諦めたリゼットが次に目をつけたのは兵団である。奏の助言もあり、何の気なしに手伝っていた厨房から範囲を広げて、兵団内部へスルリと潜入することが出来た。
しかし、兵団は騎士団のように訓練場を持たず、個々で鍛錬することが多いため、リゼットは婿探しに躓いていた。そこで登場したのが情報通のコンラートである。彼と知り合ったリゼットは酒飲みのコンラートに付き合うことを条件に個々の強さを教えてもらうことになった。
ただし、リゼットの真の目的を話していないため、回数ばかり重ねることになった。それをジーンに咎められたのだ。
あの後、なんとかジーンを煙に巻くことは成功したけれど、いつまた追及されるとも限らない。というわけで、リゼットは真の目的が明るみに出る可能性を考慮している余裕はなくなり、こうやって出会い頭にコンラートへ疑問をぶつけるに至った。
そして、半分予想していた答えは、リゼットにとっていたく気に入らないことだったというわけである。
「ジーンは気に入らないか?」
「気に入ってくれないのはジーンさんです」
「ロゼリアには先日振られている。もう気持ちを伝えたらいいだろう」
「気持ちとはなんでしょうか?」
リゼットは首を傾げた。もちろん惚けているわけではない。
「ジーンに気に入られたいんじゃないのか……」
「私を兵団から追い出したいらしいんです。ジーンさんがそんなに強いというなら戦っても勝ち目はありません」
「誰と誰が戦うって?」
「私とジーンさんです」
目を見張るコンラート。リゼットはどこか得意げにしている。コンラートの驚愕はリゼットには伝わっていなかった。
「話が見えん。ジーンに気に入られたいのか、戦いたいのかさっぱりだ」
「ジーンさんに気に入られていないから追い出されそうなんです。戦って勝ち得ればジーンさんを黙らせることが出来そうなのですが、兵団の皆さんは実は騎士以上の強者ばかり。そんな兵団の中でも随一の猛者がジーンさんとなれば、私は太刀打ちなどできません。黙って追い出されるしか……」
「まず戦おうって理屈がおかしいだろう」
そう言いながら肩を揉み出すコンラート。呆れ果てて疲れたという様子だ。
「そういえば、私はまだ侍女でした」
「侍女を辞める予定でもあるのか?」
「いえ。辞めるのは時期尚早です」
「リゼットは侍女らしからん。最初から奇妙な女だったが……」
事情通のコンラートは人間観察に優れているところがあった。リゼットの正体は見抜いていないようだが、こうして酒飲みに付き合わせるからには薄々は感づいているかも知れなかった。
「まだ兵団にいたいのでコンラートがジーンさんをぶちのめして下さい」
「俺はそこまで強くない。なんで兵団に拘る。リゼットは教える気はなさそうに見えるが……」
「はい」
「じゃあ、理由は話さんでいいから俺の嫁になれ」
求婚すると同時にコンラートの指がリゼットの指に絡んだ。コンラートに初めて口説かれたリゼットは驚きのあまり固まった。
「ジーンより弱い男は論外か?」
「……どうしてジーンさんと比べるんですか」
「違ったなら別にいい。リゼットを取り合ってジーンと決闘なんて洒落にならんからな」
リゼットは他人には滅多に見せることのない純粋な喜びを表情に出した。すると、コンラートは顔を赤らめて、咳払いをする。
「そんないい笑顔を見せるな。求婚の返事と勘違いするだろう」
「コンラートさんがジーンさんをぶちのめしたら結婚を再考してもいいです」
「再考か。一度は俺との結婚生活を想像してくれたって?」
「してみました。コンラートは優秀な情報屋なので悪くないと思いました」
コンラートは二十八歳。年齢的には丁度いいし、リゼットの考えていることを先読みして言葉を返してくれるので、一緒にいて楽なのだ。
いつもは情報をつまみに飲んでばかりいる印象が先立つコンラートだけれど、深酒をしているところは見たことがない。酒癖もかなりいいほうで、酒場に時々出没する看板娘泣かせの破落戸をさりげなく撃退していたりする。
突然の求婚には驚いたものの、少し嬉しく思うリゼットだった。何しろ、周りはリゼットを高嶺の花と勘違いしていて近づいてこない。リゼットだって一線を引いているというのに、奏に出会ってから寂しく思うようになった。ほんの少しの変化だけれど。
「だったらジーンをぶちのめしてみるか」
「やるのですか!?」
「リゼットは男の戦いに滾る女か。理想が強い男ならさもありなん」
コンラートは肩を竦め、同時に弄んでいたリゼットの指を離す。
「今日は飲むか。……求婚の返事は次に頼む」
「ジーンさんをぶちのめすのを楽しみにしています」
「……善処する」
多大な期待に苦笑するコンラートと、戦うと聞いてワクワクと胸を躍らせるリゼットはその日、二人してへべれけになるまで飲み続けたという。




