リゼットの野望─もう一度愛を囁いて─ 2
「女らしくなるには何を学ぶべきだ?」
リゼットにこう言われたゼクスは歓喜した。メイエリング前将軍の機転による作戦らしいが、リゼットが結婚を本気で考えている証拠である。
「フェデル公爵夫人には聞いたか?」
「母か。鬱陶しいから話をしていない。どうせ屋敷に缶詰だ。己はそんな窮屈な生活は望まん」
公爵令嬢として覚えることは山程ある。小さな頃からリゼットは母に追い回されていた。きちんとした教育を身につけさせようとする母に。
「俺に相談したところで同じだ」
「己が知りたいのは女のことだ。淑女教育などではない」
「……リゼットは女のはずだろう」
「性別はな。だが、肉体が成長しても中身は女になりきれていない。器は導いてはくれんらしい」
苦笑するリゼット。女らしさの欠片もないことはよく分かっていた。
婿を得るなら多少なりとも繕わなければならない。
ところが身近にいるリゼットの手本とする女は母である。それは当然なのだが、リゼットはそれが気に入らなかった。口うるさい女は手本にならない。
「リゼットはどんな女になりたいんだ?」
「可愛い女だ」
「抽象的だな」
「師が推奨した。可愛い女とはどんなものだ?」
想像がつかなかった。知っている女といえば母と屋敷の侍女のみ。参考にするにしても年老いた女ばかりだ。
「少なくともそんな荒々しい言葉遣いはしない」
「言葉遣いか。……屋敷の侍女のような話し方は女らしいのか?」
「女らしいというよりは丁寧だな。リゼットは見習うべきだろう」
「ふむ。では侍女になろう。働き口を探せ、ゼクス」
ゼクスが呆気に取られた顔をした。リゼットは何か間違ったか、と首を傾げる。
「取り敢えずは言葉遣いを正そうと思ったんだが……」
「いや、それでいい。働き口は……王宮でいいだろう」
「ほう。王宮か。あちらなら可愛い女のいい手本がいそうだ」
リゼットはほくそ笑んだ。王宮には洗練された淑女がいる。侍女もしかり。王宮に勤めるからにはきちんとした身分の者ばかりだ。当然のように淑女教育が施されている。
「リゼット。くれぐれも問題を起すな」
「むろん。……なあ、ゼクス。王宮なら騎士どもが溢れているだろう。物色しても構わんか?」
「騎士なら構わない。が、剣はおいていけ。挑もうとするな」
「なぜ? 戦ってみなければ強さなど分からんだろう」
「物色するなら女らしさを極めてからにしろ」
「心理だ。では、女らしさを極めた後、己に相応しい婿をこの手で吟味する。それでいいな、ゼクス」
リゼットの宣言にゼクスが苦い顔をした。迷惑をかけている。それでもリゼットには譲れないことがあるのだ。
(ゼクスが婿になってくれれば話しは早いのだがな……)
誰も知らないリゼットの秘密。女らしさを身につけるより前にリゼットは初恋を済ませていた。その相手がゼクスだと知ったら父親が結婚を画策しそうなので、リゼットは口を噤んでいた。
そして、リゼットが望む婿を得られた時、初恋は初恋で終わらせて正解だったことに気付くことになる。それはもう少し先の未来の話。
★★
リゼットの手本となる侍女はゼクスが選んだにしては年若い少女だった。侍女歴は長いようだが、キラキラとした微笑みはリゼットを戸惑わせた。
「よろしく頼む」
「よろしくね」
少女はいきなりリゼットの手を握った。友好的な関係を築こうとしているらしい。
「リゼットは侍女見習いから始めるんだけど、何が得意?」
「何とは?」
「侍女の仕事は基本的に三つよ。化粧や髪結い、服装・装飾の選択と管理、品物の買い出し。後は臨機応変に動けることが優秀な侍女の条件ね」
リゼットは仕事の内容を聞いて頷いた。これでも公爵家の令嬢なので仕事の内容は把握していたが、今は身分を偽っているため黙って言うことを聞いている。
「得意分野は機動力だ」
「じゃあ、買い出しね」
熟練の侍女というものは一を聞いて十を知る。リゼットは侍女にあるまじき発言をしたが、少女は理解しているかのように言い切った。
「ところで君の名を聞いていない」
「あ、そうだったわ。あたしはパメラよ」
「パメラか。お、私はリゼットだ」
「己」と言いそうになったリゼットは慌てて言い直した。口調は直ぐに変えられるものではないけれど、出来るだけ不自然がないように装う必要があった。
ゼクスには目立つことを禁止されている。注目を引く口調は慎むべきだろう。
「リゼットは武家の出身なの?」
「まあ、そのようなものだ」
「口調が硬いのはそのせいね。侍女になろうとする理由でしょ」
「全くもってその通り。パメラは賢いな」
どういうつもりでゼクスが年若い少女パメラを選んだのか、リゼットは大いに納得した。パメラは聡く、それでいて余計なことを言わない。さりげに事情を聞いてくるあたりはゼクス好みの侍女だ。
「あたしはまだまだだけど、ここの侍女は優秀なのよ」
「見習うには好都合」
「ふふっ。じゃあ、早速仕事よ。あたしたちの担当は王の婚約者の一人よ。粗相のないようにね」
リゼットは目を見開いた。ゼクスに婚約者がいるなんて聞いていないし、まさかいきなり大物を担当させられるとは思ってもみなかった。
「私のような新参者が王の婚約者を担当?」
「習うより習えよ。リゼットは何もしなくていいから黙って私の仕事ぶりを見ていて」
「承知した」
ゴクリと唾を飲み込むリゼット。それを意気込みと捉えたパメラが肩の力を抜くように言う。
「リゼット、気楽にね」
この時のリゼットの心境は気楽ではなかった。ゼクスの婚約者を見たら何をしでかすか。自身の粗忽さを振り返って、気持ちの整理をつけるのに必死だった。
まだ初恋は引き摺っている。二年間、ゼクスに会っていないにも拘わらず。
だから、ゼクスの婚約者をきっと値踏みする。ゼクスの隣に立つべきではないと判断を下した場合、容赦なく排除する自信があった。
そんなリゼットの心境など知らないパメラは、黙り込んだリゼットを後ろに従えて、件の婚約者の元へ向かった。
「失礼いたします」
パメラは仕事になるとガラリと雰囲気が変わった。出来る侍女という雰囲気を醸しつつ、ゼクスの婚約者の身の回りの世話をしていく。
淡々としながらも美しい所作で仕事をこなすパメラをじっと観察するリゼット。見習うべきことは山のようにあり、それを目に焼き付けていった。
仕事を覚えることに集中していると、ゼクスの婚約者のことは頭に入ってこなかった。一応は値踏みをしたが、それなりに合格点を叩きだしたので、様子を見ることにする。
それからリゼットは侍女の鏡であるパメラを見本にして、メキメキと頭角を現すことになる。気付いたらパメラが霞んでしまう程の躍進ぶりを見せた。
三ヶ月が過ぎた頃、リゼットは侍女が板につき、ゼクスを悩ませていた荒々しい言葉使いも美しく洗練された口調になっていた。
ただし、パメラが普段使うような女らしい口調を取得することは出来なかった。故にリゼットはいつでも敬語を使うようになった。使い分けに四苦八苦しているとうっかり元の口調が出てしまうため、敬語一本に絞れば誤魔化せるという理由もないとは言えないが。
そして、侍女として普通に振る舞えるようになったある日、久しぶりにゼクスから呼び出しを受けたリゼットが待ち受けていたものは、婿探しの転機となる助言を与えてくれる女主人との出会いだった。