リゼットの野望─もう一度愛を囁いて─ 1
師はリゼットに苦言を呈した。
「そんなことでは結婚は夢のまた夢。婿を連れてくるまでは顔を見せるんじゃない」
「む……」
「リゼット。そんな顔をしても駄目だ」
リゼットの師はセイナディカで名を轟かせた将軍であった。公爵家の所有する庭に勝手に家を建て、山に入り込んだリゼットを遊ばせている内にいつのまにか修行をつけていたという変わり者でもある。
「師よ。なにゆえ結婚などと……」
「それはだな。リゼット血を継ぐ愛くるしい子供をこの手に抱きたいからだ!」
リゼットは顔を顰めた。師は結婚の素晴らしさを延々と語る。リゼットがどんなに嫌がったとしても。それは出会った瞬間から変わらない師の悪い癖だった。
師は若くして愛する妻を失った。失意のあまり将軍を辞したほどだ。
だからなのか、リゼットに結婚を勧めまくった。かなり鬱陶しく。小さい頃からリゼットは結婚の素晴らしさを聞かされ続け、殆ど洗脳されていた。そのせいでリゼットは結婚を夢見る少女になった。一時期は。
ところが両親の微妙な夫婦生活を垣間見て思った。結婚は師がいうほど楽しそうではない、と。
元々頭の回転が速いリゼットはこうして師の洗脳を自力で解いた。師は洗脳するつもりで結婚を勧めたわけではない、と言うが、リゼットは疑っていた。
その疑いは今回の師の発言で確定的となった。師は己の欲望のためにリゼットを結婚させたいのだ。
リゼットは不快な気持ちだった。将来は師と結婚しよう、と思っていたからだ。
「師よ。子供が欲しいなら己を抱け。それで済む」
「俺は妻一筋! リゼットは抱けない。残念だ」
通算十五回目の玉砕。師の心は一人だけのものなのだ。
リゼットは不毛なやり取りに嫌気がさしてきた。もとより師を愛しているから結婚したいわけではなかった。結婚を素晴らしいと説くなら己が実戦しろ、とそれだけの気持ちしかなかった。
「師よ。もし婿を連れてきたらどうするのだ?」
「もちろんギタギタに伸してやる。可愛いリゼットを孕ませる野郎には鉄槌を下す。それで死んでも構わん」
「ふむ。では、師より強い婿がいるな」
無謀な挑戦である。師はセイナディカ随一の騎士。将軍を辞す時などは騎士たちが涙の川を作ったという逸話がある。
そんな師を打ち負かすような猛者が果たしているのか。
リゼットは思い描いた。もし師を倒せる猛者がいたらどうなのか、と。
結論はあっさりと出た。そんな猛者がいたら惚れる。
「師よ。しばしの別れだ。次に会う時は師が驚くような婿を連れてこよう」
「それは楽しみだ。俺をぶち殺すような活きのいい奴を頼む」
「むろんだ」
こうしてリゼットは両親の反対を無視して入り浸っていた山を下りた。
★★
リゼットが下山して屋敷にいると聞きつけたゼクスは、いち早くフェデル家を訪問した。フェデル公爵に面会を申し込み、やつれた公爵を目にして痛ましげな表情を浮かべる。
ゼクスは王となってからリゼットと会う機会が減った。それでもリゼットを気にかけていた。成人しても女性らしくなるどころか、野生動物のように手がつけられないリゼットを心配していた。
しかし、二年ぶりとなる再会だが、フェデル公爵を見るにつけ、リゼットは女性としては欠片も成長していないようである。
「心中を察する」
「ああああっ……」
フェデル公爵が泣き崩れた。大貴族とは思えぬ姿である。
「リゼットが山を下りるとは心境の変化でもあったのか。それとも……」
ゼクスは不安に駆られた。リゼットが動く時はろくな事がない。フェデル公爵の様子も普段からは考えられない異常さだ。
フェデル公爵はリゼットを溺愛している。どんなにお転婆だったとしてもたった一人の愛娘なのだ。
そのフェデル公爵はリゼットのこと以外では、重鎮として政治を担っているやり手である。こんなに弱った姿を他人に見せることなどない。
それは例え王であろうと、ゼクスが甥であろうと関係ないのだ。
「……リゼットが婿を探すと」
「婿? それは恐ろしいな……」
ゼクスの眉間に皺が刻まれた。フェデル公爵が取り乱した理由。これは大惨事の予感しかしない。
「もうどうすればいいのか……」
フェデル公爵が嘆きを口にした。
公爵令嬢にあるまじきお転婆ぶりに、兄のようにリゼットを見守るというか、お目付役のようになっていたゼクスは、山に入り浸り始めた当時を振り返ってこう言った。
「メイエリング前将軍と出会ったのが運の尽きだ。リゼットはもう……どうにもならない」
これを聞いたリゼットの父フェデル公爵は絶望で死にたくなった。
リゼットは公爵家一人娘。リゼットが婿を連れて来なければフェデル家は終わる。
貴族にありがちな政略結婚はフェデル公爵の頭にはなかった。いや、想像することができなかったのだ。リゼットを政略結婚させるのは、男に子供を産ませるようなもの。もちろん、冗談で言っているわけではない。
フェデル公爵を絶望の淵に追い込んだゼクスは、今にも息絶えそうなフェデル公爵を哀れんだ。リゼットをどうにかしなければならない、という使命感に燃えた。伊達に長い間共に過ごしていない。リゼットの将来を純粋に心配していた。
そして、仮にリゼットが結婚できなかった場合に起こるフェデル家の悲劇を思うと心を痛めるのだった。
フェデル家を襲う悲劇。それはリゼットが女当主としてフェデル家を継ぐということ。すなわち、フェデル家の終焉を意味する。
「本当になんとかならんのか!?」
フェデル公爵に縋られたゼクスは黙考した。どうにもならないと手をこまねいていたら、それこそ大惨事まっしぐらである。
「……リゼットは婿探しの方法を言っていたか?」
ゼクスは情報収集を開始した。リゼットを攻略するには出来る限りの情報が必要だ。
「知らん! あ、いや。世界最強の男がどうとか……」
ゼクスは天を仰いだ。リゼットの基準がメイエリング前将軍であることを忘却の彼方へ追いやっていた。
「婿は諦めるんだな」
現在、メイエリング前将軍を超える男はゼクスの知る限りいない。辛うじてメイエリング前将軍に挑めるとしたらゼクスの義兄であるアリアスだけだ。
しかし、そのアリアスはリゼットの眼鏡には敵わないだろう。あの二人が結婚することなど万に一つも有り得ない。
何しろ二人は同じ師を持つ弟子同士で、リゼットは兄弟子であるアリアスを打ち負かそうと常に付け狙っている。そして、アリアスはそんなリゼットは片手で捻っていた。ほとんど相手にしないのだ。
アリアスにおちょくられているリゼットは、例え全人類が滅んでアリアスと二人取り残されたとしても惚れることはないと断言できる。故に世界最強の男を婿に迎えることは不可能なのだ。リゼットが妥協でもしない限り。
「ゼクスはリゼットが可愛くないのか!」
「ただの可愛いイトコならこんな問題は生じない」
「リゼットがあんな風になってしまった責任はゼクスにもあるだろう!」
ゼクスはため息をついた。これを言われると反論できない。
「もちろん責任逃れはしないつもりだ」
リゼットが山に迷い込み、メイエリング前将軍と出会ってしまったきっかけはゼクスにあった。
その時ゼクスは小さなリゼットの子守を任されていた。それなのに目を離してしまい、リゼットは行方不明になった。大慌てで捜索していると迷子のリゼットを抱っこしたメイエリング前将軍とばったり出会ったのだ。
小さな頃から大物の片鱗を見せていたリゼットは周囲の心配もなんのそので、可愛い寝息をたててメイエリング前将軍の腕の中に収まっていた。
無事にリゼットが見つかってほっとしたゼクス。けれど、それからは思い出す度に自分を責める日々を送っている。
あの日、山でリゼットを遊ばせなければ普通の令嬢として結婚していたものを、と。
「だったらゼクスが婿になってくれ」
「婿にはなれん。王家を失墜させたいなら構わんが……」
「責任云々では済まないな」
せめてゼクスに兄弟がいたなら話しは違った。誰か一人をリゼットの婿にすれば済んだ話だ。リゼットは反発するかも知れないが、本当に結婚が厳しいとなれば、フェデル公爵は最終手段もいとわなかっただろう。
「仮に俺と結婚してリゼットが大人しくなったとしてもフェデル家は存続しない」
「ううっ……」
フェデル公爵が項垂れた。自分でも分かっているのだ。ゼクスとの結婚は夢物語だということを。
「リゼットが自力で最強の婿を連れてくることを祈ろう」
こうしてリゼットは野に放たれた。
後にゼクスは、頭痛の種となるリゼットに散々振り回されることになるのだった。