誰よりも愛しい君が舞い降りた日 3
リシェーラの愛らしさにリントヴェルムは毎日浮かれていた。譲渡も少しずつ進んでいる。
「リシェーラ。苦しくはないか?」
「ん。平気。もっとして……」
可愛いおねだりに悶絶するリントヴェルム。毎日リシェーラの甘い唇を堪能できるだけでも幸せだというのに、ねだられたら堪らない。
「今日はこのくらいで」
「どうして? 譲渡以外でしてくれないの?」
「なっ……」
もちろんしたい。リントヴェルムは飢えていた。愛する者がいない苦しみは計り知れず、心を淀ませていたから。
だが、我慢しなければならない。すべての力を譲渡するまでは。
「触れれば力は流れていくのだ。もう少しで譲渡が終わる。それまでは……」
不満そうなリシェーラを宥める。譲渡が済めば我慢などしない。
「ふうん。リントヴェルムは譲渡が済んだらリシェーラちゃんを食べるのかぁ。いやらしい……」
「なんとでも言うがいい! リシェーラは私の花嫁なのだ! 当然、美味しく頂く!」
リントヴェルムは開き直った。奏はこう揶揄ってくるが、花嫁に何をしようがリントヴェルムにはその権利がある。
「大体、カナデも食われただろう。あの男に」
「そうだった。それで愛の結晶を宿したわけだしね」
愛おしそうに自分の腹を撫でる奏。いつもは悪ふざけばかりする時とは違い、この時ばかりは表情が柔らかかった。
「カナデはいつまで城にいるのだ? そろそろ帰ってはどうだ。きっとあの男が痺れを切らせて攻めてくる」
「まさかぁ。いくらスリーさんでも城攻めなんかしないから」
「あの嫉妬深い男ならやりかねん」
奏は知らないのだ。嫉妬に狂った男がどれだけ厄介か。
「冗談はさておき。まだ帰れないんだよね」
「何かあるのか?」
リントヴェルムは首を傾げた。奏の協力で無事にリシェーラと結婚できることになった。もう奏の助言は必要ない。
「ちょっと気になることがあって」
「リシェーラに関係することか?」
「関係してるよ。リシェーラちゃんのご両親が可哀想だなって。なんせ姉妹全員がこっちに来ちゃってるから。それに、セイナディカが姉妹をさらった極悪非道の国みたいに思われるのも嫌だしね」
花嫁を得られた喜びでリントヴェルムは失念していた。これから家族になろうとする姉妹は、経緯はどうあれ二度と故郷に帰れないのだ。いきなり世界を渡ることになり、あちらの世界では行方不明扱いになっている。いきなり娘を奪われた親はさぞかし辛いことだろう。
それぞれが伴侶を得て幸せにしているからといって、家族を忘れているわけではない。別れも告げられず、幸せに暮らしていることも伝えることはできない。姉妹はどれだけ心を痛めているだろう。
それを思うとリシェーラと結婚できる喜びで浮かれている場合ではない。
「リシェーラは別れを告げてきたというが、そもそも夢でどこまでこちらのことを知ったのだ。カナデの事も知っていたようだし……」
「夢で色んなことを知ったわ。カナデお姉さんの大冒険とか、リントヴェルムの可愛いところとか。シェリル姉さんがメロメロになってたり、ジェナ姉さんが宰相さんを口説いてたり。最初は戸惑ったけど、段々違う世界の話なんだなって」
リシェーラは思いのほか事情に通じていた。元々思い切りがいい性格なのかも知れないが、夢に見ただけでリントヴェルムに元へやってきた意志は凄いものだ。
「兄たちには夢の話をしたの。信じてなかったけど」
「まあ、そうだろう」
「ドラゴンに嫁入りなんて頭がおかしくなったと思われたわね。姉さんたちが行方不明になったから壊れたんだって」
エディントン家の姉妹は美人姉妹で有名だった。その内二人が誘拐された事件はテレビで話題となった。次はリシェーラが誘拐される可能性に両親と兄は警戒していた。警察にも身辺警護を要請するという徹底ぶりだったという。
「証拠があれば姉さんたちが誘拐されたんじゃないって説明できたんだけど……」
「夢だけでは説明にならぬな」
「そうなの。でも私まで消えちゃったら兄さんたちが発狂しかねなくて。だから本当のことを言ったのよ。そうしたら南京されたわ。どうしたらリントヴェルムに会えるのか分からなかったし、呼んでくれまで大変だったのよ」
「どうして早く呼んでくれなかったの」と目を潤ませるリシェーラ。リントヴェルムも呼びたくなくて呼ばなかったわけではないのだが……。
「リシェーラちゃんは呼ばれたらこっちに来れるって思ったの?」
リントヴェルムも同じような疑問を持っていた。強大な力があるとはいえ、ドラゴンに世界を渡らせる力はない。
「呼ばれたら飛んでいけるって。そんな風に感じていたわ。ジェナ姉さんだって気持ちだけで世界を渡っちゃったんだし」
「さすがに気持ちだけでは渡れぬだろう。……ドラゴンの番である事が原因かも知れぬが、別の可能性も否めない」
「別の?」
「今回の件、使者は何もしておらぬようだ。宰相の細君が渡った時に召喚を疑ったようだがはっきりとはせぬ。ならば、遙か昔よりこの世界に落ちてきた人間が多数いることを考えると、二つの世界はどこかに繋がりがあるやも知れぬ」
召喚が可能になった時代より前は、天空から人間が落ちてくるということがあった。色々な要因が重なって二つの世界は渡りが可能な状態になったのだろう。
偶然なのか必然なのか、ドラゴンの血に反応した姉妹は、惹き付けられて世界を飛び越えてしまった。
「……やっぱりイソラのせいかな」
「神か。私を目覚めさせる原因でもあったな」
同族が生まれるという淡い期待を抱いて、長い眠りについたリントヴェルムは、血族の誕生と共に目覚めるはずだった。
ところが、奏の保護者である神は、死にかけた奏を心配するあまり加護を与えてしまった。その加護の力に触発され、リントヴェルムは長い眠りから覚めた。
覚醒後、新たなドラゴンが誕生した気配はなく、使者が訪れるまでは次の眠りに入る準備をしていた。手違いで目覚めてしまったようだ、と。
しばらくして人間の花嫁は得られるようだと期待を胸に待ち続けた。結局はぬかよろびさせられただけだったが。
「私を召喚にねじ込んだから不具合があったんじゃないかな」
「可能性は否定できない」
不具合についてはいまさら検証は不可能。ただ言えることは、神の力で目覚めたリントヴェルムがいたから、ドラゴンの番は世界を渡ることになったのだ。
「それじゃ、イソラには尻拭いしてもらうかな」
「は?」
「安易に力を使ったら駄目だったんだよ。だから協力してもらおうかなって」
「神はカナデのためにしたのだろう」
「そうなんだけど、そのために悲しむ人を作っちゃったから……」
奏は思った以上にリシェーラの家族のことを気に病んでいた。自分だけが幸せになろうとしないのはいいことだが……。
「カナデお姉さん。うちの両親のことはそんなに気にしないで。兄たちが家族を増やしたら大騒ぎでそれどころじゃなくなるから。兄たちは本当にやんちゃなの」
「それとこれとは別だよ! 美人姉妹が行方不明なんて大事件なんだから!」
奏が鼻息も荒くリシェーラの肩を掴んだ。言い出したら聞かないのだ。
「イソラにはメッセージムービーを届けさせる!」
「そんなことできるの?」
「どうにかしてもらう」
リントヴェルムは神に激しく同情した。奏を助けたのが運の尽きだろう。
「じゃあ、さっそく。あー、テステス。イソラ、聞える? 聞えたら返事して。……むううう。返事なし。イソラの薄情者め」
『……誰が薄情だ』
「わーい。イソラと繋がった!」
奏の顔がパッと明るく輝いた。神と無事に交信できているようだ。
『何の用だ。帰る気で呼んだわけじゃないだろ』
「うん。イソラのせいで誘拐犯の一味になったからお使い頼もうと思って」
『……神を使うか、この野郎。まあいい、誘拐犯は何をやらせる気だ』
「ある家族にこっちの映像を送って欲しいんだよ。できる?」
しばしの沈黙。神は熟考の後、重い口を開いた。
『なんだ。結婚報告か』
「惜しいな! おめでた報告だよ!」
『そりゃ、おめでとう』
「感動が薄いなぁ」
『子供が無事に生まれるまで安心できん。お前は粗忽だからな』
「お母さんっ!」
『誰がおかんだ!』
奏はケタケタと笑った。神相手でもいつもの調子で揶揄うらしい。
「送って欲しいのは私の映像じゃないよ」
『例の姉妹か?』
「イソラ知ってたの?」
『どうやら二つの世界の境界に綻びがあったらしい。落ちる人間はごく稀にいたが、たて続けだったから別の神が動いた。もうこういうイレギュラーはないはずだ。……映像の件だけどな。俺の一存じゃ、決められない。ペナルティーが増えるのは勘弁だからな』
「ペナルティーって?」
『……こっちの話だ。また、連絡するから待っとけ』