誰よりも愛しい君が舞い降りた日 2
「あ、美少女。やっぱりシェリルに似てるね」
「その節は姉がお世話になりました」
リントヴェルムの膝に座ったリシェーラが深々と頭を下げた。
「なんか動じてないね。リシェーラちゃんは」
「それはもちろん。夢に見たから大体のことは理解してるの」
「そうなんだ。じゃあ、リントヴェルムが呼んじゃったけど良かったんだ。誘拐しといてなんだけど」
「誘拐なんてそんなこと……。あっ! 姉は誘拐されたことになってるわ」
「だよねぇ……」
奏がリシェーラと会話を弾ませている間、リントヴェルムは固まっていた。膝に愛しの花嫁乗っているというのに口を挟めずにいた。
「おい。固まってないで話かけろ」
見るに見かねたマガトがリントヴェルムをせっついた。
「だが……」
「また消えられるぞ」
「そんなっ!」
リントヴェルムは怯えた。二度と長い眠りにはつきたくない。
「ドラゴンさん。私は消えたりしないわよ。両親と兄にはお嫁に行くって伝えてあるわ」
「「「「え?」」」」
全員の目がリシェーラに向けられた。リシェーラはそんな視線に答えるように話だす。
「二人の姉が行方不明になってから夢を見始めたの。どこかの国で幸せそうにしている二人の夢を。何度も見ている内に私もあんな風に愛されたいって。私は身体が弱いから結婚は諦めてたわ。だって、迷惑になるから。でも、同じように諦めてる人が夢の中にいたの。この人なら私の気持ちを受け止めてくれるかなって。そんな風に思っていたら目の前にいたからびっくりしたわ」
リシェーラははにかみながらリントヴェルムを見上げた。リントヴェルムはその笑顔の儚さに胸を突かれる。
「ジェナの時と同じですね」
宰相が感慨深げに呟いた。
「ジェナ姉さんは後悔していたから。シェリル姉さんが行方不明になったのは自分のせいだって。だから、真っ先に飛んでいっちゃったの。シェリル姉さんの元に。シェリル姉さんが幸せだったからジェナ姉さんの夢は終わったけど、また飛んでいっちゃったわ。素敵な旦那様を見つけたから」
「こんな年上のおじさんでガッカリしましたか?」
「ふふっ。おじさんには見えないわ。義兄さんって呼んでもいいわよね」
「もちろんです」
宰相に笑顔を向けるリシェーラ。リントヴェルムは義理の兄妹の何気ない会話でさえ我慢ならなくなる。リシェーラを引き寄せると宰相を威嚇する。
「私の花嫁に近寄るでない!」
「心が狭いですよ。嫉妬は分かりますが……」
「駄目よ。ドラゴンさん。私の家族を蔑ろにしちゃ」
「……すまぬ」
リントヴェルムは項垂れた。
「私、勝手にドラゴンさんのお嫁さんになるって決めたんだけど、殺されちゃうかしら」
「誰がそんな殺すなどと!」
「カナデお姉さんは殺されかけたでしょ。私はもっと弱々なのよね。子供が生めないくらい。……やっぱり迷惑かしら」
リントヴェルムを見上げるリシェーラは悲しそうだ。
「迷惑などではない」
たとえ子供は望めなくてもリシェーラは花嫁だ。リントヴェルムが待ち望んだ。
「あのう。盛り上がっているところ悪いんだけど、リントヴェルムの力を譲渡すれば解決じゃない?」
奏が恐る恐る会話に割り込んできた。
「……リシェーラに耐えられるかどうか」
「でも触ってるよ?」
「これは力を抑えているからだ。意識せずに触れたらリシェーラが粉々になる」
「うわぁ。それはマズイよね」
人間とは儚いものだ。リントヴェルムが細心の注意を払って触れているからこそ壊れずにすんでいる。けれど、それも長くは維持できない。リシェーラがドラゴンの力を受け入れなければ。
「やはり肉体の脆弱さは影響を与えるものなのですね」
「しかり。カナデ以上にリシェーラは虚弱ゆえ、過ぎた力を毒になる」
「かといって何もしなければ花嫁にするのは難しいのでは?」
リントヴェルムはうなり声を上げた。欲する花嫁がこうして目の前にいるというのに、どうにもできない歯がゆさに。
「……なあ。その譲渡ってヤツは一度にやらなきゃ駄目なもんか? 弱いなら慣らしてやればいいんじゃねえか?」
マガトの何気ない疑問にリントヴェルムは目を見開いた。そんな解決策があったとは。
「そんなことに気付かぬとは……」
「できるならそうしてやれ。優しくな」
リントヴェルムはゴクリと唾を飲み込むとリシェーラを見つめた。
「優しくしてね」
リシェーラの微笑みに眩暈がした。こんな美しい人を穢すのか、と思うと躊躇する。
「……や、優しく出来ぬかも知れぬ」
「それでもいいわ」
「いや、やはり駄目だっ!」
リントヴェルムは髪を掻き毟った。混乱で我を失っているとマガトに頭を小突かれる。
「お前は何をしようとしてやがる。そんなに狼狽えるようなことかよ」
「す、少しずつ流し込まなければ……」
「さっさとやれ」
マガトは力の譲渡がなんたるかを知らないから気楽に言っている。力の譲渡とは即ち、
「あっ。シェリルと同じように口から入れるんだ」
理解した奏がポンッと手を打った。マガトが面白そうに口角を上げる。
「ああ。口からな。少しずつ吸ってやれ」
「な、吸ってどうするのだ!?」
「流し入れるんだったか。どっちでもいいけけどな」
肩を竦めるマガト。後は勝手にやれとばかりに席を立つ。
「結婚が決まったら教えろ。俺もさっさとレオナに求婚したいぜ」
「マガト。帰ってしまうのか?」
「嫁の前で浮気すんな。俺は馬に蹴られたくない」
謎の言葉を残してマガトは去って行った。リントヴェルムは途方に暮れた。
去って行くマガトの背中を視線で追っていると、リシェーラに腕を引かれる。
「本当に浮気?」
「浮気ではない」
「良かった。あんな素敵な人が恋敵なんて困るわ」
リントヴェルムはどうやら誤解されているようだ、と苦悩の表情を浮かべた。
ドラゴンという種族は多情である。人間のように一人だけを愛することはない。常に複数恋愛が普通なのだ。
しかも性別を選ばない。マガトをどうこうするつもりはないリントヴェルムだったが、側にいたいと思うのはドラゴン特有の感情によるところが大きい。一度気に入ったら離したくなくなるのだ。
けれど、ドラゴンが滅びに向かうにつれ、意識も変わった。ただ一人を愛することをリントヴェルムは当然のように受け入れていた。
だから誤解は困るのだ。さてどう説明したものか。悩みどころだ。
「リントヴェルムが早くしないから浮気を疑われるんだよ。ほら、リシェーラちゃんが待ってるよ」
上手い言葉が見つからずにいたリントヴェルムの背中を押したのは奏だった。
「ほ、本当によいのか? ご両親に伝えたというが反対はされなかったのか?」
リントヴェルムは最後に念押しした。一度力を受け入れてしまえば、次に譲渡可能となるのはずっと先になる。リシェーラの身体を思えば、そう何度も同じことはできないのだ。
「大反対されたわ」
「そ、そうか。譲渡はできそうにないな……」
思った通りの展開だ。ドラゴンとの結婚を賛成してくれるわけがなかった。
「でも押し切ったわ。結婚できなきゃ、死ぬって言って」
「そこまで!?」
リントヴェルムは感動に打ち震えた。そんなに求められていたなんて。
「リシェーラちゃんはそんなにリントヴェルムが好きなの?」
「はい。愛してます」
「へえ。どこに惚れたの?」
「可愛かったので」
根掘り葉掘りリシェーラの気持ちを聞き出す奏に賛辞を送っていたリントヴェルムだったが、最後の言葉に撃沈した。「可愛い」はないではないか。
「リントヴェルムは可愛いよねぇ」
「はい」
二人は気持ちを通じ合わせて楽しそうにしている。
「……お気の毒に」
宰相が哀れんだのか、リントヴェルムの肩にそっと手を置いた。リントヴェルムはもの悲しくなった。
しかし、そんなことくらいで落ち込んではいられないと、リントヴェルムは自身を鼓舞した。女性からこんなに求められて応えないなんて男が廃る。
「リシェーラが望んでくれるなら結婚しよう。大事にする」
「はい。喜んで!」
リシェーラが歓喜の声を上げた。大輪が咲くような笑顔にリントヴェルムは「もう可愛いでもなんでもいい」と打ち震えたのだった。