誰よりも愛しい君が舞い降りた日 1
永遠に眠り続けることに苦痛はなかった。最後の希望を胸に抱いていたから、まどろみの中で焦りを感じることはなかった。
それがある日を境にジリジリと身を焦がす痛みを伴い始めた。
リントヴェルムは初めてできた人間の友と語り合いながらも、心は何処か遠くに飛んでいっているように目を細めた。
「俺の話ちゃんと聞いてるか?」
「すまぬ。聞いていなかった……」
憂い顔のリントヴェルム。話を右から左へ流されたマガトは肩を竦める。
「愛しの君のことを考えてたのかよ」
「あれは夢だったのだろうか……」
「幻の女なら諦めたらどうだ。お前がその気になれば女なんていくらでも──」
「忘れられぬ!」
リントヴェルムはマガトの言葉を遮った。我慢ならないと怒り狂う。
「だったらボケッとしてるな。やることならいくらでもあるだろうが」
「だが、手がかりなど……」
「人間なら情報収集なんか一つの手だろうが、リントヴェルムは別の方法で探せるんじゃないのか? ドラゴンの力がどんなものか知らんが」
そう言われたリントヴェルムは思案する。力を使えないことはないが、その力をどこへ向かって使えばいいのかが分からない。
何しろリントヴェルムの探している人物はいきなり現れて、そして一言だけ発して消えてしまった。「またね、ドラゴンさん」と言って笑った極上の微笑みは、リントヴェルムをあの一瞬で虜にしたのだ。
「ああ、こちらにいらっしゃいましたか」
リントヴェルムがマガトと二人角を突き合わせて、ああでもないこうでもないと意見交換をしていると、セイナディカの宰相がやってきた。
「あんたか。で、何を企んでるんだ?」
「ご挨拶ですねぇ。企んではいますが、リントヴェルムに耳寄り情報を持ってきたというのに、扱いがなってませんよ」
マガトが宰相相手に軽くジャブを浴びせると、涼しい笑顔でいなした宰相は、リントヴェルムが欲しがっていた情報をチラつかせた。
「さっさと言いやがれ」
「リントヴェルムのお探しの方は十中八九、ジェナとシェリル様の妹君のようです。リシェーラ様と言うそうです。良かったですね」
耳寄り情報どころの話ではなかった。これが本当のことだとすると、どんなに探しても見つからないはずだ。リントヴェルムはこれでもセイナディカ中に神経を張り巡らせて探ったのだ。必死に力を使って。それなのに一年たっても手がかりらしい手がかりは、見つかることはなかったのだ。
「王妃の血族か。……見つかったことは嬉しく思うが、隔てられた世界ではどうにもならぬ」
リントヴェルムは意気消沈した。力があるドラゴンにも出来ないことがある。異世界から花嫁を連れてはこられない。
「そう落ち込むことはないですよ。一度はこちらの世界に渡られたのですから、希望は持ちましょう」
「希望など……」
同族の花嫁を諦めた。人間の花嫁ならと希望を抱かなかったといえば嘘だが、やはり種族の違いというのは簡単に乗り越えられるものではないのだ。
諦めの悪さから一度は失態を犯した。たまたまセイナディカの王が寛容だったからこうして世話になり、ドラゴンに恐怖を持っていた人間と共存する未来を描けるようになったが、花嫁となると勝手が違う。
「私のジェナが言うには、リシェーラ様はお体が弱いそうです。その身体で貴方の元へ現れたのですよ。気持ちはこちらに、いえ貴方の元にあるのでしょうね」
「……そうだろうか」
「ジェナは私恋しさに世界を渡りましたよ」
会話の端々で惚気る宰相。羨ましいというよりは鬱陶しい。
「宰相の奥方は姉妹に会いたかっただけだろう」
「そうですね。私はついでです。けれど、リシェーラ様は二度目の再会を仄めかしたのでしょう。だったら勝算があります」
「勝算……?」
リントヴェルムは目を眇めた。国を裏から牛耳っているという黒い噂が絶えない男は何を考えているのだろうか。
「カナデ様のお力を借りましょう」
「カナデか。面倒なことに巻き込むとあの男が黙ってはいない」
本来ならリントヴェルムの花嫁となるはずだった奏は、ドラゴンと真っ向勝負も辞さないという国でも指折りの騎士と結婚した。今は新婚生活の真っ只中である。邪魔をしようものなら狩られかねない。
「カナデ様なら面倒ごとが大好きです。既に話は通してありますので、直ぐにでも対応してくれるでしょう。それにリーゼンフェルトのことなら心配は無用です。カナデ様にメロメロで尻に引かれているので鶴の一声で無力化できます」
リントヴェルムは顔を引き攣らせた。奏が聞いたら抗議しそうである。それでも動き出した宰相を止められるものは誰もいないだろう。
「カ、カナデに何をさせようというのだ」
「それはカナデ様が来てからということで……ああ、カナデ様が来てくれたようですよ」
「もうか……」
宰相はいつ奏に話を通したというのか。聞いたばかりのリントヴェルムは素早い対応を不審がった。
「久しぶりだね、リントヴェルム!」
宰相を追及する前に奏が元気な顔を見せた。半年ぶりだったが変わりなく健やかのようである。
「すまぬ。身重のカナデに無理を言ったようで……」
「何言ってるのかな。リントヴェルムの花嫁なら私だって一緒に探すつもりだったんだから。あ、つわりは殆どないから平気だよ。家にいるとスリーさんが過保護で困るから息抜きにもなるしね」
奏を囲い込む騎士の嫉妬深さは健在のようである。
「カナデ様が元気そうで安心しました」
「ジェナさんはつわりが重いみたいだから大変だね」
「ええ。今日は一緒に来たがったのですが、無理をさせたくなかったので置いてきました。宥めるのに苦労しましたよ」
ここ最近になっておめでたが続いている。それぞれ結婚の時期は違っていたが、子供が生まれるのは同じ頃らしい。
「そっか。妹さんに会いたいよね」
「そうですね。会わせてあげられるならどんなにいいかと。何しろシェリル様は王妃になられてから忙しいらしくて、中々顔を合わせる機会もなくて寂しいようです。私には言ってくれませんが……」
宰相が珍しく憂い顔を見せた。腹黒宰相も奥方には弱いようだ、とリントヴェルムは微笑ましく二人の会話を聞いていた。
「シェリルも王様のこと言えないよね。働くのが好きな夫婦は困りものでしょ」
「いえ。国としては喜ばしいことです。後は世継ぎが生まれてくれれば申し分ないですね」
「ははっ。そればっかりは出たとこ勝負でしょ」
「おかしいですねぇ。あれほど部屋に籠もっていたというのに、どうしてゼクス様は決めてくれなかったのでしょう」
「王様だって計算出来ないことがあるんだよ。でも、そろそろ二人のおめでた報告が聞きたいな。きっとすっごい可愛い赤ちゃんが見られるよ」
同意するように頷くリントヴェルム。王族は大層美形が多く、セイナディカの王ゼクスも同様に美形だった。さらに王妃となったシェリルも王の隣に立って遜色のない美しさであった。その二人の愛の結晶が可愛くないわけがない。
「……マガトは結婚せぬのか?」
ふとした疑問がリントヴェルムの口をついた。めでたい話を聞いていたせいだ。
「リントヴェルムの嫁さんが見つかったらな」
「どういうことだ」
「お前が友人を作らないからだ。俺が結婚なんかしたら寂しくて泣くだろうが」
「そんなことは……」
セイナディカにある太古の庭。そこにリントヴェルムは居を構えてから人々と交流も盛んになった。けれど、友人らしい友人は作れずにいた。話すこと自体は力加減に慣れて異種族交流できるようになったのだが、如何せん一人でいる時間が長すぎて深い付き合いまでは難しかったのだ。
セイナディカの人々がリントヴェルムを神のような存在と位置づけているせいでもあった。
マガトは口が悪いけれど、セイナディカの人々のように一線引くことはなかった。だから今でもこうして付き合いが続いている。リントヴェルムにとっては唯一無二の存在なのだ。
「泣くよな?」
「泣く……かも知れん」
リントヴェルムはフイッと目を反らした。マガトは揶揄っているだけなのに、本当に泣きそうだから恥ずかしくて堪らない。
「冗談だ。拗ねんな」
「拗ねてなどいない」
何百年も生きてきて、齢二十を越えたばかりの若造に頭が上がらない。リントヴェルムは悔しさというより、自分の中に奇妙な感覚に身を委ねた。こんな風にやり込められるのも悪くないと。
「やっぱりマガトに死ぬまで面倒をみて貰ったらいいよ。リントヴェルムは」
二人のじゃれ合いを見ていた奏が楽しそうに笑った。
「そうかも知れぬ」
「勘弁しろ。ドラゴンは節操がないのか」
マガトが嫌そうな顔をした。ひょんなことから女装する羽目になった。その事を思い出したらしい。
「残念ながらマガトは娶れぬな」
「おいっ!」
「冗談だ。マガトには待たせている女人がおるだろう。私のことはいいからさっさと結婚するのだな」
「俺のことはいい。それよりカナデ様はどうやってリントヴェルムの嫁を連れてくる気だ?」
マガトに問われた奏が頭を掻いた。
「それなんだけど、単純にリントヴェルムが名前を呼んだらいいんじゃないかな」
「そんな簡単なことで」とリントヴェルムは目を見開いた。
「シジマが前にそれっぽいこと言ってたから、リントヴェルムの探してる子はドラゴンの番なんじゃないかなぁ、と。ジェナさんもそんな感じで宰相さんに惹き付けられたみたいだし、名前が分かったんなら呼ぶきっかけになるでしょ。名前って大事なんだよ」
「ふむ」
奏の言い分はもっともな気がした。ドラゴンの番については、はっきりしたことは言えないが、そういった事例がなかったわけではない。
大概の場合は出会った瞬間に互いに惹き付けられて結ばれる。稀ではあったが。
「リントヴェルムは一目惚れしたんでしょ。シェリルもすぐに王様に懐いたし、ジェナさんなんか出会ったばかりなのに積極的だったみたいだし、そういうのって運命的だよね」
「運命……」
そんなものは信じた事がなかった。けれど、死を目前にして運命を切り開いた奏に言われると、信じてもいいような気持ちが湧き上がってくる。
「私の声に応えてくれるだろうか」
「駄目元で呼んでみたら?」
奏のダメ押しにリントヴェルムは覚悟を決めた。
「リシェーラ……私の元へ……」
リントヴェルムは膝の上に重みを感じて視線を下げた。
「こんにちは。ドラゴンさん。やっと呼んでくれたわね」
ニコニコ笑顔の花嫁がそこにいた。