もう一度あなたに 9
ヴァレンテは抱き込んだジェナの身体が震えていることに気づいた。「嫌ではない」というジェナの答えに気をよくしたヴァレンテだったが、それはジェナの強がりに過ぎなかったようだ。
怪我を負ったヴァレンテに気遣っただけなのだろう。ヴァレンテが口を開くたびに妙に過剰な反応をしていた。
「ジェナ。やはり別の──」
「いいって言ってるでしょ!」
ジェナに言葉を遮られたヴァレンテはあっけに取られてジェナをマジマジと見た。といっても背中からではジェナがどんな顔をしているかまではわからない。
しかしよく見るとジェナの耳が真っ赤に染まっていた。ヴァレンテはどうやらジェナは照れているだけだと判断した。思わず表情を緩めたがニヤニヤとしているシジマと目があって憮然とする。
「……何を見ている」
「なんも!」
シジマが肩を竦めた。これ以上はヴァレンテをからかうつもりはないようだ。
「まずはジェナにセイナディカの現状を説明しましょうか」
ジェナには知る権利がある。ヴァレンテはシジマがシェリルを召喚するに至った経緯を語った。
ジェナは大切な妹を取られたのだ。包み隠さず話すことが誠意になるかどうかはわからないが、ヴァレンテに語らないという選択肢はなかった。
ヴァレンテが語り終えるとジェナは詰めていた息を吐き出した。とても信じられないのだろう。ヴァレンテでさえ当初は信じられない思いが強かったのだ。当事者でないジェナが懐疑的だったとしても仕方ないことだ。
「どうしてシェリルだったの」
もっともな疑問だったが、それについてはヴァレンテに答えられることはなかった。シェリルが選ばれた理由について答えられるのはシジマだけだろう。
「俺が選んだわけじゃないんだよ。これはリントヴェルムだって知らないことなんだけどよ。ドラゴンには番つーのがいるらしいんだ。たぶんシェリルちゃんはドラゴンとすごく相性がよかったんじゃないかって話」
「番か。それは伴侶と置き換えてもいいか?」
「まあ人間的にはそういうかなぁ」
ドラゴンはどちらかといえば動物に区分される生き物のようだ。番という言葉にヴァレンテは思い当たることがあった。
〈ドラゴンの花嫁〉で語られているからだ。ドラゴンは伴侶を得られなければ狂うという話だった。
もしかしたらそれは物語として作られたことではなく真実なのだろう。
物語は時として真実が織り込まれていることもある。とくに〈ドラゴンの花嫁〉についてはセイラという女性の体験が軸となって作られた物語だった。
伴侶が得られなかったドラゴンが狂うことはないのだろうが、伴侶を欲する衝動がとくに大きいのだろう。
それは必死に伴侶探しをするリントヴェルムを見ていればわかる。数百年もの長い眠りについてまで諦めない。それほどの執念は狂っていると同意義ともいえた。
「んでさ。こっからは推測なんだけどよ。ジェナちゃんもドラゴンと相性がいいんじゃねーかな。やっぱシェリルちゃんと姉妹だしね。だからジェナちゃんのシェリルちゃんと会いたいって気持ちと呼応して引き寄せられたんじゃねーかって」
「それは自動的に召喚されたということになるのか?」
「たぶん。召喚の通路っていうか、あれは次元の通路なんだけどよ。王様がもう花嫁は呼ぶなっていうから俺は閉じたんだよ。そんときにちょっといじったんだけどそれが原因かも?」
「……何をした」
ゼクスはたしかにシジマに二度と召喚がなされないように処置を依頼していた。召喚の門は破壊されたとはいえ、召喚に本当に必要なものがドラゴンの血とするならいつ事故が起こらないとも限らない。そんな懸念があったのだ。
ヴァレンテはシジマがきっちり仕事を果たしたものだと思っていたが、シジマは何かしでかしたらしい。こんなことならまかせっきりにするべきではなかったと後悔した。
「設定を変えたんだよ。最初は召喚でドラゴンの花嫁に必要な力が備わるようにしてたんだけどよ。それじゃシェリルちゃんの二の前になっからさ。かわりに言語翻訳機能をつけたんだ。そんときにちょっと血を使ったんだよ。んで、なんかのタイミングでジェナちゃんの感覚といい感じにリンクしたんじゃないかなって」
「なぜそんなマネをした」
「仕方ねーじゃん。そうじゃないと設定が変えられないんだからよ。設定は取り外しできないんだよ」
シジマが何故そんな力をもっているのかは不明だが、一ついえることはジェナが偶発的に召喚されてしまったということだ。
シジマが新たに設定したという言語翻訳機能によって、ジェナと意思疎通ができるようになった。
そうなると最初にジェナが現れた時の事はどういうことなのだろうか。
そして何故、ジェナはヴァレンテの前に出現したのか。それこそ謎めいていた。
「ジェナが召喚されたというのは間違いなさそうだ。最初は言葉もわからなかったからな」
「そうなんだ? そういやジェナちゃんもすぐに帰れたって言ってたね」
シジマはうーんと唸ると言った。
「ジェナちゃんが最初にきた時、まだ召喚が可能だったんだよな。とするとあれか、意識だけきちゃった感じか? 次元の通路ってそんな簡単に通ってこれるもんじゃねーはずなんだけどなぁ」
ジェナが何故召喚されたのかシジマにすらわからないらしい。首を捻っていた。
「本当にお前が召喚したんじゃないんだな?」
「してないって。っとに、信用ねーな!」
「信用できないことばかりしているからな」
「うぐっ。反論できねぇ」
結局ジェナが本当に召喚されたかどうか、わからずじまいだ。
ヴァレンテは思考を切り替えることにした。わからないことをいつまでも悩んでいても仕方ない。
それよりヴァレンテは確認しておきたいことがあった。それはジェナの今後の人生を大きく変えることになる。
「シジマ。ジェナは帰れるのか?」
「……本当に次元の通路を通ってきたなら無理だよ。あれは一方通行。帰れるのは俺だけ」
シジマの声には苦悩が滲んでいた。能天気な男には珍しい反応にヴァレンテは驚く。
「お前だけ?」
「そういう風にしたんだってさ」
召喚については謎が多い。ゼクスと二人で召喚について文献を漁っていた時にも多くの謎に直面した。
そもそも王家に召喚方法が伝わっている理由さえはっきりとしないのだ。
シジマが語ることはその謎をさらに深めるばかりだった。
「誰がだ?」
「知んね。二百年だか三百年ぐらい前にいきなり俺の前に現れてよ。どうやら俺がこっちに落ちる原因作ったヤツらしいんだ。最初は帰れねーみたいなこと言ってたんだけど、二度目に会ったとき責任とって俺が帰れるようにしたからって言われてさ。一方的に言うだけ言ってろくに説明もしねーでどっか行っちまった」
「何故帰らなかった」
「……帰ったってしょうがねーだろ。俺はもう半分人じゃなくなったんだぜ。しかも何百年もたった後に言われたって無理じゃんよ。帰ったって俺に居場所なんかねーよ。浦島太郎じゃねーか!」
シジマには帰る手段があった。それにもかかわらず帰ることはできなかったのだ。
ヴァレンテはシジマが何に憤っているのか察した。
これなら「帰れない」と言われた方がマシだったのだろう。下手に帰る手段があるものだからシジマは苦痛を強いられてきた。
「ねぇ。浦島太郎って?」
それまで黙って聞いているばかりだったジェナがポツリと言った。シジマに同情しているのか悲しげな声だった。
「帰ったら何年も未来だったって話だよ」
「……そう。あなたも帰れないのね」
「うう。ジェナちゃん! 俺を慰めて!」
シジマはそういうや否やジェナの足元に縋り付いた。
ヴァレンテは咄嗟にシジマを蹴り上げた。吹き飛ばされたシジマが恨めしそうに見ている。
「この鬼畜ヤローが!」
「……ジェナに触るからだ」
「ジェナちゃんは三号のもんじゃねーだろ! ん? いや三号のもんになんのか? なんってこった!」
ヴァレンテはシジマの立ち直りの早さに呆れた。
そして、シジマの言葉に目を見張る。ヴァレンテが気になっていた疑問は、シジマが解消してくれそうだ。
「ジェナが俺のところへ落ちてきた理由を知っているのか?」
「三号は言い方がいやらしい! ってか、ジェナちゃんは俺のものって顔してるじゃねーか!」
シジマが髪を掻き毟って地団駄を踏んで悔しがっていた。自分でいったことを認めたくないのだろう。
「で、どうなんだ?」
「たまたまだっての! リントヴェルムか、俺のどっちかがいれば、ジェナちゃんは三号のところなんかに来なかった!」
「それは運がなかったな」
「ぐぬぅ。勝ち誇ってんじゃねーよ!」
シジマが認めなくてもジェナはヴァレンテのもつドラゴンの血に惹かれたということだ。ヴァレンテにとっては運がいいどころの話ではない。それこそ運命を感じた。
「なるほど。とすればシェリル様はゼクス様の番になるわけだな」
「そうだよ! くっそ! あの時に退いてなけりゃ、シェリルちゃんは俺のものだったのに!」
シジマは悔しそうに言うがシェリルはどっちにしろ、シジマのものにはならなかったはずだ。シジマはシェリルをリントヴェルムの花嫁にするために召喚したのだから。シジマはそのことをすっかり忘れているようだが。
「ドラゴンの血か。そんなもの意識したことはなかったが……」
「三号は王様の次に濃いんだよ。……三号が相手なんてなんかの間違いだっての!」
「負け惜しみか?」
「三号は可愛いジェナちゃんに相手にされると本気で思ってんのかよ!」
ヴァレンテは痛いところを突かれた。シジマに言われるまでもない。
そんなことは重々承知していた。夢ぐらいみさせろ、と思わずにはいられない。
「……ジェナには相応しい相手がいずれ現れる」
「へ! そうだぜ!」
「それはお前ではない」
ジェナが別の相手を選んだとしてもシジマだけはありえない。
シジマが選ばれることなど我慢ならない。それならば、何としてでも自分がジェナを手に入れる。