もう一度あなたに 8
ヴァレンテが意識を失った後、ジェナはどうしていいのかわからずに立ち尽くしていた。
ヴァレンテは「寝ていれば直る」といったが出血が酷い。そんな状態のヴァレンテをほうっておけるはずもなかったが、手当てをしようにもジェナの手元には何もないのだ。
ジェナが途方に暮れていると部屋に誰かが入ってきた。ジェナがはっとして顔を上げるとニコニコしながら見覚えのある青年が近づいてきた。
「ジェナちゃん。お困り?」
「……ええ」
「だよね! 三号も困ったもんだよね! 女性に手当てさせるだなんて! 本当に鬼畜やろうだわ!」
青年はヴァレンテを罵倒するとテキパキと手当てを始めた。口笛を吹きながらだったが手馴れているようだった。
「はい! 完了!」
「あの、ありがとう」
「いえいえ! これは三号に恩を売るチャンス! くくく、何を要求してやるかなぁ」
ジェナは面食らった。青年とヴァレンテの関係がわからない。
「ジェナちゃんは怪我ない?」
「ないわ」
「おお! それは良かった! 三号もやるじゃーん」
「ねぇ。その三号って何?」
「あ、三号ってのは宰相のことだよ。俺の中では三番目に怖い相手ってことだね!」
青年はヴァレンテを怖がっているようだが、さきほどの戦いぶりを見ていたジェナは不思議だった。
たぶん青年はヴァレンテより強いはずだ。それなのに怖いという。ヴァレンテのどの辺が怖いのか疑問だった。
「ヴァレンテって怖いの?」
「ちょーっとジェナちゃん! 三号が怖いかって? 三号の腹黒ぶりを知らないの? 拷問が趣味なんだって!」
「え? 拷問が趣味の人なんかいるの?」
「ここにいるじゃん! ジェナちゃん、三号に気を許しちゃ駄目だよ!」
ジェナはヴァレンテの趣味が拷問だとは信じられなかった。腹黒については思い当たる節がある。直感でそんな気はしていた。
「あなたはヴァレンテと知り合いみたいだけど騎士なの?」
「うんにゃ。王様の下僕だよ! 宰相はまあなんつーか、マブダチ? 主に暗躍するときにつるんでみたりしてるかなぁ」
「友達には見えないわよ」
「ん? ジェナちゃんはマブダチの意味がわかんの?」
「日本語でしょ? シェリルが教えてくれたわよ」
「へ? もしやジェナちゃんはシェリルちゃんの姉妹なの?」
「そうよ。あ、これ言ったらいけなかったわ」
ジェナは貴族の令嬢という設定になっている。日本語を話しているようだから油断してしまった。
「ああなるほど。三号が召喚のこと根掘り葉掘り聞いてきたのなんでかなって思ってたけど、ジェナちゃんのためかぁ」
「……あなたもしかして日本から来た人?」
「そうだよ! シジマでっす! よろ!」
「日本人? 見えないわ」
「諸事情につき詮索ご無用!」
ジェナは納得した。ヴァレンテがあまり会わせたくない精神的に疲労する相手とはシジマのことだ。
「ヴァレンテがあなたに会わせたいっていっていたわ」
「そうなんだ? なんだろね」
シジマはヴァレンテからジェナのことは聞いていないようだった。ジェナが会いたくないといったことが原因だろう。
「ところでジェナちゃんはどうやってきたのかな?」
「さあ? 私にもわからないわ」
「どゆこと?」
ジェナはシジマの疑問に答えるようにこれまでのことを語った。ヴァレンテが会わせようとしたくらいだ、話せば何かわかるかも知れない。
「ふーん。なるほどねぇ」
シジマが腕を組んで考え込んでいた。
「なんだと思う?」
「これは俺の推測なんだけどさ。家族の絆がなせた技! なんじゃないかと思うわけよ!」
「私は普通の人間よ。そんな神業は無理よ」
「そういうのとは違うって! なんつーか、想いっていうか。繋がりっていうのかなぁ」
要領を得ないシジマの言葉にジェナは困惑した。
「結局どういうことよ」
「ジェナちゃんは三号からどこまで聞いてる? その、召喚とかについてだけど……」
「シェリルが召喚されたことは聞いているわよ。なんでそんなことになったのかまでは知らないけれど、シェリルが何かに巻き込まれたってことだけはわかるわね」
ヴァレンテはシェリルが呼ばれたといっていた。とすると呼んだ人間が確実にいるはずだ。
その相手がどういうつもりでシェリルを呼んだのか。一方的にシェリルを召喚したとしたらとんでもないことだ。
「う、やべぇ……」
シジマが頭を抱えた。それからジェナを横目でチラリと見ると観念したように言った。
「ごめん! シェリルちゃんを召喚したの俺!」
「なんですって!?」
ジェナは目を吊り上げた。シジマがジェナの剣幕に後ずさる。
「いったい何のためよ!?」
「ドラゴンの花嫁にするためだよ!」
ジェナは耳がおかしくなったと思った。ドラゴンは架空の存在だ。そんなものの花嫁なんてありえない。
「身代金誘拐? それともシェリル自身が目的なの? ドラゴンなんて適当なこといってどういうつもりよ!」
「本当にドラゴンいるんだって! ここは異世界なんだから信じてよ!」
シジマはなおも言い募る。ジェナは異世界ということを失念していた。
それに少し前に見たこともない獣に襲われた。それならドラゴンがいても不思議はないかも知れない。
「……ドラゴンに花嫁って意味がわからないわ」
「それは絶滅を防ぐためにやむを得ずというか……」
「ドラゴンってトカゲでしょ。どうして人間のシェリルが必要なのよ」
「トカゲじゃないから人間でも大丈夫ってことで!」
「トカゲじゃなくても無理でしょ」
ドラゴンがどんな生き物にしろ人間とどうこうなるなど無理なはずだ。異世界だから可能という考えはジェナにはなかった。そんななんでもありの世界があるなんて信じられない。
「ううっ。ジェナちゃんにどう説明すればいいんだぁ!」
冷静すぎるジェナにシジマはお手上げというように叫んだ。するとその叫びに反応するようにベッドからヴァレンテのうめき声が聞こえた。
「……さっきから何を騒いでいるんだ。五月蝿くて寝てもいられない」
ヴァレンテが身体をベッドから身体を起こした。顔色はよくないが少しは回復したようだった。
「五月蝿くしてごめんなさい……」
「ジェナが謝る必要はありませんよ。どうせシジマが騒いでいるだけでしょう」
ヴァレンテが断言するとシジマが食ってかかった。
「ちげぇよ! 俺はシェリルちゃんを召喚した理由をジェナちゃんに説明してんの!」
「勝手な真似を」
ヴァレンテが舌打ちした。一度は戻ったヴァレンテの口調はあっという間に逆戻りしていた。怪我の具合が良くないのか不機嫌そうだ。
「いやだってジェナちゃんがなんでこっちにきたか知りたいっていうから……」
シジマがもそもそとヴァレンテに言い訳していた。ジェナはシェリルの召喚と自分がここにいる理由に接点があるのかとシジマに詰め寄った。
「あなた! まさか私も召喚したの!?」
「ち、ちがうって!」
「じゃあどうして召喚が関係するのよ!」
「いや順番っていうか。とにかく推測だけど召喚の通路に関係ある気がすんだって!」
シジマがしどろもどろに説明をはじめたがジェナにはさっぱり理解できなかった。ジェナはイライラとしていた。こっちの世界にきてから誰もまともな説明をしてくれない。
部屋をでてすぐに恐ろしい目にあったということもあってジェナは精神的に追い詰められていた。
「もうこんなところ嫌よ! 帰りたい……」
「ジェナちゃん……」
シジマが困ったというように頭を掻いた。ジェナがヒステリックになってもうろたえるだけだった。
そんなシジマに呆れたのかヴァレンテがジェナを宥めるように言った。
「はぁ。まったく。シジマが先走ってくれたおかげでジェナを怒らせたじゃないか」
「面目ないっす」
「詳しいことはシェリル様と会った後にでもと思ったが、こうなったらはっきりさせておくしかないな」
ヴァレンテは乱れた髪を掻きあげた。起き上がったものの身体が辛いのだろう。動くのも億劫そうだ。
ヴァレンテがジェナを見た。ジェナはヴァレンテの琥珀色の眼に射抜かれて動揺した。手当てされているとはいえほとんど半裸の男が辛そうに熱い息を吐き出している様は壮絶に色気があった。
「……横になっていなくてもいいの?」
「そんな状態で話などできるものか」
ヴァレンテはシジマの変わりにジェナに話をする気でいるようだった。ジェナはようやく真相を知ることができると喜ぶ気持ちにはなれなかった。
ヴァレンテに無理をさせたくはなかった。ヴァレンテはジェナを守るために怪我をしたのだから。
「話は怪我が治ってからでも……」
「こんなもの騎士なら怪我をしたうちにはいらない」
「三号は宰相じゃん」
シジマの突っ込みにヴァレンテは睨むことで答えた。睨まれたシジマが黙った。
「それにジェナは俺の怪我が完治するまでいられるかわからないしな」
ヴァレンテの言うとおりだった。ジェナがいつまでいられるか。それこそ誰にもわからないことなのだ。
「でも辛そうよ」
ジェナが心配していえばヴァレンテは一瞬虚を突かれた顔をした。それから何かを思案するように黙った。
「……そうだな。支えが必要だ」
ヴァレンテの怪我は背中だ。何かに凭れるということはできない。ジェナは支えと聞いてクッションがないかと部屋を見回した。しかしそんなものはどこにもなかった。他に何かないかと考えているとヴァレンテがジェナを手招いた。
ジェナがヴァレンテの側によるとヴァレンテはベッドに座るように促した。ジェナは疑問に思いながらもベッドの縁に腰掛けた。するとヴァレンテが背後からジェナに覆いかぶさってきた。ジェナは動揺に身体を跳ねさせた。
「ぐっ……」
ジェナが暴れたせいかヴァレンテの傷に響いたようだった。ヴァレンテが苦痛の声を洩らした。ジェナは慌てて身体を縮こまらせた。
「三号なにジェナちゃんにイヤラシイことしてんだよ!」
「黙れ。お前をかわりにしてもいいんだぞ」
「気持ちわりーこというんじゃねぇよ!」
シジマが嫌そうな顔をしていた。ジェナは振り向かなくてもヴァレンテがシジマよりさらに嫌そうな顔をしているとわかった。恐ろしく不機嫌な舌打ちをしたからだ。
「ジェナが嫌なら別の方法を考える」
「い、いいわよ」
ジェナは動揺に振るえながらも答えた。ヴァレンテはジェナを支えがわりにしているだけだ。ジェナはヴァレンテに他意はないと思い込もうとした。
しかしヴァレンテが喋るごとに吐息が耳元を掠めていく。ジェナは心臓の音が激しくなっていくことを止められなかった。