もう一度あなたに 5
ジェナとの会話は楽しかった。騎士時代の話に発展してしまったときはヴァレンテも内心で軌道修正するべきか迷ったのだが、その話のお陰でジェナの信用を得られたようだ。
終始警戒している様子を見せていたジェナもときおり笑顔を見せてくれるようになってヴァレンテは一安心していた。
「さて部屋の用意は整ったようですが食事の準備はもう少しかかりそうです」
「お世話をかけまして……」
「そんなにかしこまらないでください。シェリル様のご家族なら歓待するのは当然ですからね。本来ならこんなところに押し込めていては問題があるのですよ」
ジェナは未だに執務室からでていない。ジェナの存在はヴァレンテしか知らず、肝心のゼクスに話すことさえ出来ていない。そんな中ではジェナをおいそれと連れ出すわけにもいかなかった。
ヴァレンテはこっそりと部屋の準備をさせ、食事も部屋へ運ばせる段取りをしたがこのままというわけにもいかないと思案した。
(まったく……。ゼクス様が籠もってしまわれるから話が進みませんよ)
シェリルと蜜月に突入してしまったゼクスを邪魔するわけにもいかず、ヴァレンテはタイミングの悪さに嘆息した。
最悪ゼクスには事後承諾で動くことはできるがシェリルの家族のことだ。あまり勝手なことはできない。
「ジェナ。これから部屋へ案内しますが途中で誰と会おうと何も話さないでもらえますか?」
「わかったわ」
「それから部屋は私の部屋と続き部屋です。何かあればすぐに呼んでください」
シェリルに会わせる前にジェナに何かあっては問題だ。知り合ったばかりの男の部屋と隣り合う部屋など用意するべきではなかったが、備えておくためにはやむを得ない選択だった。
ジェナが未婚かどうか確かめてはいないがどうしようもない。ジェナを他人に任せるわけにはいかないのだから。
「ヴァレンテが隣にいるのね。心強いわ」
ジェナはヴァレンテの気も知らず安心しきっているようだった。ヴァレンテは信頼されてきたようで嬉しく思う反面、男としてはまるで意識されていないと少しばかり落胆した。
ジェナは美しい女性だ。ヴァレンテは惹かれてやまない。会話をしていて安らげる存在に出会えるとは思っていなかった。
ただジェナはヴァレンテよりずいぶん若いように見える。口説いたとしても相手にはされないだろう。
そう思うと気が重かった。いずれは誰か別の人間に世話を頼むことになる。その際は護衛もつくだろう。ジェナの存在が公になれば引く手あまたになるはずだ。
ヴァレンテはジェナが既婚者であればいいと思った。もうすでに誰かの物なら諦めがつく。
これから誰かと恋仲になって、それを見せつけられるくらいなら最初から誰の物にもならない位置にいて欲しいと願わずにはいられなかった。
ヴァレンテは虚しい思考をいったん止めた。ジェナには何も確認していない。先走りが過ぎた。
「食事は私の部屋で一緒にとりましょう」
「うれしいわ」
ジェナがはにかんだ。ヴァレンテはぎくりとした。この笑顔はまずい。
「ジェナ。あなたは結婚していますか?」
「していないわ」
「恋人は?」
「いないわ」
「なんてことだ」とヴァレンテは天を仰いだ。
結婚もしていなければ、恋人もいないとは。これでは男どもが入れ食いだ。
いくらセイナディカでは合意がなければ裁かれるといっても、若い男がそんなことで止まるわけがない。
ジェナが襲われる危険性が非常に高まった。
「結婚していることにしてください」
「え?」
「ジェナは魅力的すぎます。相手がいないと知れたら口説かれますよ。襲われることはまずないと思いますが……」
ジェナをシェリルの姉妹であることを公表すれば問題はない。ジェナを害することはすなわちゼクスを敵に回すことだからだ。
しかし今の段階ではジェナが何者であるか広めるわけにはいかない。
そしてヴァレンテが必死にジェナの存在を隠そうとしても無駄なのだ。どこかから必ず洩れる。なにしろ宰相が自ら世話を焼くなどありえないからだ。
ジェナの存在については明日にでも噂が駆け巡っていくだろう。
「この国ってそんなに危険なところ? 私程度の容姿でそんなに口説かれるわけないわ」
ジェナはまるで自分の魅力をわかっていないようだった。
たしかにシェリルのような美貌というわけではないが、ジェナは本当に綺麗だった。
むしろシェリルと違って高嶺の花という印象が無い分、口説きやすいだろう。手に入れられる可能性があるほうが男としては行動をおこしやすい。
ジェナはそんな男の心の機微などわからないのだろう。ヴァレンテが魅力を語っても信じることはなさそうだ。
「ジェナの国ではどうかわかりませんが、セイナディカではあなたは注目の的ですよ。それこそ、ひっきりなしに口説かれると思ってください。とくに騎士は注意が必要ですよ。本気で口説きにきます。攫われたくなければ一人にならないでください」
「ええ!?」
ヴァレンテは大げさに言い募った。さすがに攫われることはないが、騎士がこぞって口説きにくるはずだ。
せめて騎士団の見合いパーティーが済んでからジェナがきたのなら良かった。
リゼットの入れ込みようなら騎士の半数は恋人もしくは想い人ができて、ジェナを口説こうとする騎士は減ったはずだ。
しかし見合いパーティーはまだ先だ。企画段階でしかない。そんな騎士が飢えた状態でいるときにジェナを見かけたらどうなるか。火を見るよりあきらかだった。
「とにかく誰かに聞かれたら結婚していると言ってください」
「恋人がいることにしても駄目なの?」
「恋人では弱いですね。ジェナに会いにこないとわかれば別れを強要されます」
「でもそれなら結婚だって一緒でしょ」
「セイナディカでは既婚者に手を出せば裁かれますよ」
あくまで表向きだが。逃げ道はいくらでもある。しかしジェナにそれをいうほどヴァレンテは馬鹿ではない。
とりあえず既婚者なら安心だとジェナに信じ込ませる必要があった。
「……それなら会いにくる恋人がいればいいのよね?」
「そんな相手がどこにいるのですか」
ジェナは異世界からやってきた。仮に本当に恋人がいたとしても会いにこられるわけがない。
「ヴァレンテは奥さんいるの?」
「そんなものいませんよ」
「じゃあ、恋人は?」
「私のようなおじさんは相手にされませんから当然いませんね」
ヴァレンテは若い頃もそれほどもてたためしがない。年齢が進むにつれてさらに女性からは見向きもされなくなっていった。
時々寄ってくる女性はいるが、それは宰相という地位に目がくらんだ貴族の女性ばかりだ。
もはやヴァレンテは結婚することを諦めている。
「おじさんって年じゃないでしょ?」
「三十五歳は立派なおじさんだと思いますが……」
「ヴァレンテって三十五歳なのね。もう少し若く見えるわね」
ジェナの目にはヴァレンテはおじさんと映っていないようだった。
「ジェナは何歳なのです?」
「二十五よ」
十歳も違っていた。ヴァレンテは口説くことはおろか、ひそかに想うことも罪悪に等しいと感じた。
「ねえ。ヴァレンテが恋人ってことにしてくれない?」
「なんてことをいうんですか」
「嫌?」
「そんなことはありませんが……」
「じゃあいいじゃない。誰かに聞かれたらそういうわ」
ジェナがにっこりと微笑んだ。その微笑にヴァレンテは完全にやられた。
美しく若い恋人が、例えフリであったとしてもできたことに複雑な思いを抱きながらも、ジェナを拒否することはできなかった。