第157話
ついにリントヴェルムをセイナディカの国民に披露する日がやってきた。準備段階で何もしてこなかった奏は、ゼクスとリントヴェルムが並び立つ横でガチガチに緊張していた。
キリキリする胃を宥めているとゼクスが国民に向かって言葉を発した。
「すでに聞いている者もいるだろう。セイナディカにドラゴンがいることは事実だ。そしてここにいるリントヴェルムはそのドラゴンであり、我々の国セイナディカを古の頃から守り続けていた」
奏は国民の反応が気になり固唾を飲んでいた。
ゼクスは続けて国民の意思を問う。
「ドラゴンが地震を引き起こしたことも事実であり、なおかつ国を存続させるために生け贄を差し出したことも事実だ。その事実を知ったうえでドラゴンを受け入れられるか否か、皆にはそれを問いたい。どんな結果になろうと皆の意見に従おう」
ゼクスの真摯な言葉は国民にどう伝わったのか。城を埋め尽くさんばかりの国民の視線がゼクスを捕らえていた。どの国民も何も言葉を発しない。恐ろしい静寂がその場を支配していた。
奏は息を飲んだ。誰も言葉を発しないがその瞳は雄弁だった。誰もがドラゴンに悪意を持ってはいなかった。すでに受け入れているという確固たる意志が伝わってくる。
ゼクスはフッと息を大きく吐き出した。国民の意思がゼクスに伝わったのだ。
「感謝する」
短い一言だった。ゼクスの心情を表した言葉に国民は沸いた。ゼクスを称える言葉を次々に叫んでいる。そしてゼクスの隣に佇むリントヴェルムを見て国民はさらに沸いた。
リントヴェルムは国民に受け入れられたことを悟ると微笑んだ。その微笑みは誰もが魅了される威力があった。
にこりともしないゼクスが隣にいるとその相乗効果はすごいものがあった。
ゼクスと酷似しているリントヴェルムの微笑みは、常に怜悧な美貌を崩すことがないゼクスが微笑んでいるかのような錯覚までもたらした。国民はまるで国王の微笑みまで見たようにうっとりとため息を洩らしていた。
「前例のないことだが、ドラゴンをよりよく知ってもらうために、今日一日間だけだが城を開放することにした。これでドラゴンに興味を持つ者は誰でも話しかけられるだろう」
ゼクスがそういうと国民がポカンとしていた。そしてワッと声を上げる。思い切った決断だ。
「といってもドラゴンは実に臆病な生き物だ。あまり大勢に詰め掛けられても怯えてしまうだろう。それを踏まえた行動を願いたい」
城の開放は一日だけだ。どれほどの人間がドラゴンを見たいと思うことだろう。それを見越してゼクスは国民への自粛を願った。
「それからドラゴンは特定の者としか会話ができない。ドラゴンと会話できるかどうか挑戦するのもまた一興だろう」
ゼクスは国民への自粛を呼びかけつつも煽るようなことを言う。ほんとうにゼクスがどこまで計算しているのか謎だ。
「ああ、それから言い忘れていたがドラゴンに触れることは禁ずる。死にたくなければ試そうとは思わぬことだ」
そして爆弾を落とした。国民がざわめく。これでよほどの勇者でもない限りドラゴンに近づきたい人間はいないだろう。
結局のところ、城を開放してドラゴンと話せるようにするとはいってもそれは建前ということなのだ。
国民はゼクスに一喜一憂させられてさぞや迷惑しているだろうと奏は思ったが、国民の反応はそれほど悪いものではなかった。
ドラゴンと話すも話さないも自由。国民を蚊帳の外へ置かない国王への感謝がそこにはあった。
「さてドラゴンについてだが、現在はこうして人型をとっているが、これが真実の姿ではないことは皆もわかっていることだろう。むやみに本来の姿をさらすことは歓迎すべきではないが、セイナディカの民が知らぬでは話にならない。そこでドラゴンの勇壮な姿を皆に披露しよう」
国民が固唾を飲んだ。ドラゴンの姿は噂できくだけで実際の目にしたことがあるわけではない。誰もが本当のドラゴンを知らないのだ。そのドラゴンが本来の姿を国民の前に晒すという。国民が興奮は否が応でも高まった。
国民が見守る中、リントヴェルムは微笑みを称えたまま空中に浮いた。驚く国民の頭上を天高く舞い上がる。そして圧倒的な光を放った。国民が目を細めてドラゴンの姿を追った。
光が収束した。そこに巨大なドラゴンがいた。漆黒の鱗がキラキラと瞬き、それと同時に天からひらひらと花びらが国民へと降り注いだ。
その幻想的な光景に奏は見惚れた。どんな仕掛けをしたのかわからないが、その花びらが尽きることはなかった。
「セイナディカを守る神獣だ。我が国に希望を与えるだろう」
ゼクスの言葉はセイナディカにドラゴンを受け入れるという宣言に他ならなかった。
こうしてドラゴンは国民に暖かく迎え入れられることになった。
◇◇◇
大円団に終わったリントヴェルムのお披露目に奏の興奮は冷め遣らなかった。とくにリントヴェルムが本来の姿になったときの演出は素晴らしかった。
「はぁ。なんかすごく感動したよ」
「それはよかったです。頑張った甲斐がありました」
リントヴェルムをどう披露するか腕の見せ所だとリゼットはかなり頑張ったらしい。
別行動をしていた奏はどんな苦労があったのか知らないが、そこには並々ならぬ苦労があったようだ。涙なくしては語れない。とくにマガトは身を削って尽力したという。
「リントヴェルムのあの笑顔は反則だよね! あれで落ちない国民はいないでしょ!」
「そうなんですよ! あの笑顔をリントヴェルム様が会得するまでの道のりは険しかったですからね!」
「そんなに大変だったの?」
「ええ! それは主にマガト様が! 本当にマガト様が己を犠牲にしなければありえませんでした!」
リゼットがマガトの努力を思い出したのか涙を拭っていた。
「犠牲って大袈裟じゃない?」
「いいえ! 本当に大変だったのですよ! なにしろリントヴェルム様は笑うことはおろか表情を動かすのも一苦労だったのですから!」
人型になれていないリントヴェルムはたしかに表情は豊かではなかった。鉄扉面の時のゼクスとそっくりだ。
そこからあのとろけるような微笑を引き出したとすれば、それは奇跡に近い。
「どうやったの?」
「それはもう色々としましたよ。最後はやはりマガト様を頼るほかなかったのですが……」
リントヴェルムを披露するにあたってリゼットが最初に考えたのが、リントヴェルムの微笑みを国民に向けさせようということだった。
微笑むのはゼクスでもかまわなかったが、ゼクスがいまさら微笑んだところであまり効果は期待できないとリゼットは踏んだ。
国王の威厳を保ちつつ、ゼクスの擬似笑顔も堪能できる機会はそうはない。リントヴェルムがゼクスに酷似している点は最大の演出効果を生むとリゼットのカンは告げていた。利用しない手はない。
そこでリントヴェルム微笑み作戦は決行された。まずリゼットが着手したのはリントヴェルムの表情を引き出すことだった。
最悪うっすらとでもいいから笑みをみせてくれないだろうかという消極的な考えはなかった。蕩けるような笑みを引き出す。それがリゼットの最終目標であり妥協はない。
しかし、リントヴェルムの表情はなかなか動かなかった。前途多難。リゼットはそこでマガトを頼ることになった。
そこからはとんとん拍子でことが運んだ。あまりのあっさり加減にリゼットは少しだけ自信をなくした。
リントヴェルムとはずいぶんと仲良くなったと思ったのだが、マガトの前に屈した。やはりマガトにはかなわないと思った瞬間だったという。
「リントヴェルム様のマガト様への愛は本物です」
「そうだね……」
リゼットの力の入り具合に奏は何も言わずそっと相槌を打った。リントヴェルムがマガトを愛しているかは微妙だったが。
「マガト様のお陰でリントヴェルム様の表情は格段に向上したわけです! ですが、そこからあの蕩けるような笑顔を引き出すまでが上手くいきませんでした。そこでマガト様はある決断をしたのです!」
「うん。それで?」
「あ、実はですね! カナデ様がいない間にリントヴェルム様の元に花嫁様が現れました! 事後報告で恐縮ですが……」
「え? そうなの? いつの間に……」
知らない内にリントヴェルムは花嫁を見つけていたらしい。怒涛の展開に驚くばかりだ。
「ですが、花嫁様は去ってしまわれました。リントヴェルム様の悲しみはいかほどか……」
「ええ!?」
出会ってすぐに別れたというのか。いったいリントヴェルムは何をした。
「どうしてそんなことになったの?」
「そこが謎なのです。リントヴェルム様は花嫁様の名前すらご存知ではありませんでした。リントヴェルム様の話しを聞けば夢うつつといった様子なので、花嫁様はもしや存在しないのではと思ったのですが、ヴァレンテ様がそうではないとおっしゃるのです」
「宰相さんが? リゼットはその花嫁に会ってないんだ?」
「ええ。私はその場にはおりませんでした。ですが、ヴァレンテ様がおっしゃるには時期がくればもしやということもありうると……」
「なんだろうね」
謎めくばかりだ。しっかり者の宰相がいうならリントヴェルムの花嫁は本当に存在するのだろう。
「というわけでリントヴェルム様の笑顔を引き出すために花嫁様を想像するという試みをしたのですが無理でした。花嫁様を思い出して一瞬だけ笑顔にはなるのですが続きませんでした。お別れになった悲しみが強すぎたのです」
「そうだよね」
理想の花嫁が現れたというのに今は離れ離れになっているのだ。リントヴェルムが悲しくなって笑顔を保てないのは当然だろう。
「そこでマガト様は苦渋の決断をしました!」
「それで?」
「信じられないことに上手くいきました。リントヴェルム様はそれでいつでも微笑みを絶やすことはなくなりました」
「なにしたのかな、マガトは……」
花嫁を凌駕するような想像をどうやってマガトがリントヴェルムにさせたのか興味深い。しかもマガトは苦渋の決断だったという。マガトにとっては嬉しくないことをしたのだろう。
「マガト様が女性だったら花嫁様と一騎打ちですかね!」
「ん? まあ、そうなるのかな」
ドラゴンは一夫多妻制。そうなることは十分ありえる。
マガトが女性でなかったことは花嫁にとっては行幸だろう。セイナディカは一夫一妻制。誰が花嫁でも悲しい結末だ。
それにマガトが女性だった場合、リントヴェルムが他の女性に目を向けるとは思えなかった。マガトが男性でもあの溺愛ぶりだ。それは間違いないはずだ。
「ふふふ。花嫁様には申し訳ないのですが、もうしばらくはマガト様がリントヴェルム様を独占ですねぇ。リントヴェルム様はどのようなマガト様を想像していらっしゃるのでしょう。あの蕩けるような笑顔を引き出すマガト様の女性像! いったいどんな美女なのでしょうね!」
「はい? 女性像? って、マガトの!?」
マガトがリントヴェルムに想像させたのは自分の女性像だという。それはたしかにマガトにとっては苦渋の決断だったろう。
しかも成功してしまった。なんて想像をリントヴェルムにさせたのか、といまごろ自分のことを呪っているに違いない。
「尊い犠牲でした」
「あ、うん。そうだね」
結果的にリントヴェルムのお披露目は大成功だった。マガトの小さくない犠牲に奏は心の中で合掌したのだった。