第146話
太古の庭は鬱蒼とした森に変貌していた。もう庭と呼べない。
奏が以前に訪れた時は、これほど木々が生い茂ってはいなかったはずだ。
「ノエルさんの畑にお邪魔した時は、こんなんじゃなかったけど……」
ノエルの野菜畑を見学に来た時、太古の庭はごくごく普通だった。野菜のサイズは普通ではなかったが。
『……どうやら私の力が流れていたようだ』
「リントヴェルムの力?」
『ドラゴンの力は自然に大きく影響する』
リントヴェルムの力は地下通路を通じて太古の庭に少しずつ流れていた。
どうりで太古の庭の木々が異常に発達していたはずだ。
「野菜が巨大化したのも力の影響だったんだね」
近隣国を牽制するためにリントヴェルムが力を使ったことで、地下通路を流れる力も増えた。
太古の庭どころか周辺にまで影響を及ぼしたのだ。
「太古の庭が森になっちゃったのはリントヴェルムが来たせいかな?」
『いや地下通路で力を使ったからだろう』
遠く離れた場所から洞窟を破壊するだけの力を振るったため、太古の庭が活性化した。
洞窟と通路を全て全壊させるだけの力を使ったのだ。影響が大きくても仕方ないだろう。
「ノエルさんの畑が心配だなぁ」
太古の庭がこんな調子だ。畑の野菜はとんでもないことになっていそうで怖い。
もはや収穫不能になってはいないだろうか。
「ノエルが収穫できないというなら騎士に収穫させるか」
「え、収穫って結構大変だったよ」
奏は収穫の苦労を思い出した。
次の日は筋肉痛でまともに動けなくなった。
騎士は普段から鍛えているからそんな心配はなさそうだが、野菜の巨大化があの時以上なら騎士達は相当の苦労を強いられそうだ。
「アリアスが陣頭指揮を執るはずだ」
「そっか。嬉々として収穫しそうだよね」
ゼクスはアリアスの性格を熟知している。
それにノエルが困っているといえば、アリアスが協力を惜しむことはない。
ノエルの作る野菜は新鮮で美味しい。
異世界の料理をまだ追及したりないアリアスは、野菜の確保に奔走するだろう。
「それにしても太古の庭が他と異なっていた理由がドラゴンの力だとは。セイナディカはドラゴンと縁が深いようだ」
「とばっちりから始まってね」
「そうだな。始まりは決していいとは思えないが、悪いことばかりではない」
「そうかなぁ。王様は前向きだね」
セイナディカはドラゴンに散々な目に合わされてばかりいる。
生け贄は誤解だとしても殺戮事件があったり、地震で町や村が消滅してしまった。
そして、シェリルは召喚されて二度と故郷に帰ることはできない。
どう考えてもいいと思えるようなことなどではなかった。
「お陰で俺はシェリルに出会えた。それにドラゴンの恩恵を一番受けたのはカナデだろう」
「え?」
「今、お前が生きていられる理由はドラゴンの力があるからだ。セイナディカにドラゴンが存在しなければ、神がお前を送って遣しはしなかったはずだ」
ゼクスが言ういいことは個人的なものばかりだ。
奏は、国から見たドラゴンがどういった存在であるか、ということしか念頭になかった。
それはすでにセイナディカが第二の故郷になっていたからだ。
「そんな風には思わなかったよ。うん。王様のいうとおりだね。悪いことばっかりじゃない」
「セイナディカはそろそろドラゴンとの関係を変えていく必要があるだろうな」
伝承を知る王族や貴族はともかく、国民の間ではドラゴンの恐怖は風化しつつある。
セイラとシジマの努力の甲斐もあって、ドラゴンの悪いイメージも払拭されていた。
小さい頃に〈ドラゴンの花嫁〉を聞いて育った大人が、自分達の子供に同じようにおとぎ話を聞かせる。
それが積み重なってついにドラゴンは、おとぎ話の世界だけの存在となった。
きっとドラゴンが本当に存在していることを知る人間は少ないだろう。
だからこそ、ゼクスは今ならドラゴンとの関係を新しく築くことができると考えていた。
「王様。リントヴェルムに得になることって何?」
「花嫁を得られる」
「どうやって?」
「リントヴェルムの花嫁を大々的に募集する」
「ええ!? そんなことして大丈夫なの!」
リントヴェルムの存在を明らかにするなど大胆すぎはしないだろうか。
しかも国が主導するという。大規模な行事になりそうだ。
「まあいきなりは無理だが、人型で慣れたところで本来の姿をみせればそれほど混乱もないだろう」
「いやいや。そんな簡単じゃないでしょ!」
「まずはリゼットで試す」
「お、王様はそんな恐ろしいこと考えていたの!?」
リゼットは伝承を知るからこそドラゴンを恐れている。
しかも生け贄の誤解はまだ解けていない。
奏が生け贄になることに猛反対していた。
遠征隊が出発間際、スリーではないが「ドラゴンを狩る」といいかねないほど、憤っていた。それこそ「ドラゴンを憎んでいる」といっても過言ではない。
そんなリゼットにリントヴェルムを会わせたらどうなるか。下手をすれば血を見る。
「リゼットが平気なら大概は大丈夫だろう」
「そうだけど王様は確実にリゼットに嫌われるよ!」
「少しリゼットとの関係を見直す必要がある。ちょうどいい機会だ」
ゼクスはリゼットに甘すぎる。
リゼットが好き勝手できる背景にその甘さがあるのだが、今までたいして問題にならなかったのは、国を左右するような我が儘をリゼットが言わない、と信じていたからだ。
この先もリゼットがゼクスの信頼を悪用するようなことはまずないだろう。
しかしそれとこれとは話しが別で、いい加減ゼクスもリゼット離れしようと画策しているようだ。
それはシェリルの存在が大きな影響を及ぼしていることは間違いなかった。
「王様がそう決めたならもう反対しないよ」
「リゼットには荒療治だが反応を見るのにはうってつけだ。まずはリントヴェルムの正体を明かさずに会わせる。折を見てリントヴェルムにはドラゴンに戻ってもらえばいいだろう」
「いきなり修羅場にならないならなんでもいいよ」
リントヴェルムを「ドラゴン」と言って紹介しないだけマシだった。
ドラゴンに戻ったときにどうなるかわからないが、少なくとも人型のリントヴェルムは受け入れられるだろう。
なにしろゼクスに似ている。リゼットは食い付きそうだ。
「騎士団には口止めをしてある。奏はうっかりと口を滑らせたりするな」
「う、自信がないけど頑張る」
油断をしたら間違いなく口を滑らせそうだ。ゼクスが釘を刺してくれて良かった。
「……噂をすればなんとやらだ」
「うわぁ、リゼットが来ちゃったの?」
遠征隊の帰還を聞きつけて、奏を迎えにリゼットが小走りでやってきた。
「カナデ様! ご無事ですか!」
「うん。無事だよ。ただいま、リゼット!」
「お帰りなさいませ。うう、良かったです。生け贄にならなくて」
リゼットを相当心配させてしまったようだ。五体満足かどうか、身体に触れられ無事を確認される。
「どこも欠損はありませんね」
「齧られてないから」
『私は齧らぬ』
「ドラゴンは退治されたのですか?」
「退治はしていないよ。大人しかったから和解したよ」
『私は退治されるようなことをしていないのだが……』
「どうしてですか!? 生け贄を要求するような生き物を野放しですか!」
「それは誤解だったんだよ。後でちゃんと話すからリゼット落ち着いて」
リゼットは王族だからドラゴンの血は濃い。
リントヴェルムの声が聞こえていないと、わかっていても悲しげな声で反論したリントヴェルムにハラハラした。
リゼットを宥めてから、さてどうやってリントヴェルムを紹介しよう、と思っているとゼクスが何食わぬ顔で、リントヴェルムの紹介をはじめる。
「リゼット。リントヴェルムだ。紹介しておこう」
「カナデ様と同郷の方ですか?」
「え? 違うよ」
「黒髪なのでそう思ったのですが……」
「リントヴェルムはマガトと同郷だ」
「マガト様? どちらの方です?」
マガトは兵団だがリゼットとは面識がないようだ。
それにしてもゼクスは、しれっととんでもない嘘をつく。マガトと打ち合わせ済みならいいが……。
「ジーンさんと一緒にいる橙色の髪の人だよ」
「兵団の方ですね。異国からいらしたのですか。とても目立つ人ですね」
マガトの派手さにリゼットが驚いていた。
そして、リントヴェルムがセイナディカにない色を持っていることに納得した。
派手なマガトと同郷なら珍しい色もありうると思ったのだろう。
「リントヴェルムは話せないがマガトとは意思疎通が可能だ。城に滞在中はマガトも一緒だ。リゼットは時々様子を見てやってくれ」
「わかりました」
マガトが城に滞在とは初耳だ。
これは絶対ゼクスの独断に違いない。ゼクスに言われたらマガトに拒否権はない。
「それにしてもリントヴェルム様は素敵ですね。ゼクス様に似ていらっしゃるように見えるのは気のせいでしょうか……」
「他人の空似だ」
リゼットの指摘に奏はギクリとしたが、ゼクスは動じていない。
本気でリゼットを騙そうとしているゼクスは肝が据わっていた。
「リントヴェルムはセイナディカに花嫁を探しにきた」
「まああ! リントヴェルム様なら引く手数多ですよ!」
リゼットの顔が輝いた。こちらから言うまでもなく動いてくれそうだ。
「ああ、そうだな。……そうなるとマガトにも花嫁が必要か。騎士団は独身率が高い。どうにかしたいが……」
ゼクスが何食わぬ顔で言う。
リゼットを誘導しているが、わざとらしく聞こえないところはさすがゼクスだ。
重要な懸案事項に頭を悩ませている王という図式が完成している。
「それならゼクス様! 合コンをしましょう!」
「合コン?」
「異世界で開かれるというお見合いパーティーです! それも庶民のための!」
なぜか合コンがお見合いパーティーにランクアップした。
合コンはただの親睦会に過ぎないが、考えてもれば見合いパーティーも独身男女の親睦の場と思えば間違ってはいない。
リゼットが嬉々として計画を進めてくれるなら、細かいことは気にしなくてもいいか、と奏は口を閉ざした。
「それはいい。リゼット、頼めるか?」
「お任せください!」
こうして大規模な合コンが開かれることになった。
「王様って、詐欺師だよね……」
「何か言ったか、カナデ」
ゼクスの笑顔が眩しい。
その笑顔に宰相の姿がダブったが、それは言わぬが花だろう。