第143話
リントヴェルムが近隣国を牽制していた力を消した。とたんに騎士達がほっとしたように身体の力を抜いた。そうとうな圧力を感じていたらしい。
『私が目覚めたことはすでに近隣国に知られているだろう』
「では迅速に行動する必要があるな」
『城へは最短の道を使え』
リントヴェルムの示す城へと続く道はすぐに分かった。今まではリントヴェルムの巨体に隠されていたが、リントヴェルムが人型となったため丸見え状態だ。
「境界線で待機している騎士に連絡しろ」
「とっくに連絡済みだ。すぐに合流する」
アリアスはゼクスに言われる前に行動していた。
リントヴェルムの力に耐え切れなかった騎士達は境界線で待機していた。そのまま置いて行くわけにもいかない。
「待機人数は多くない。俺が残って後を追わせるからゼクスは先に行け」
「いや。アリアスは先に行ってくれ。俺は最後の仕上げをする必要がある」
「……暗殺者は連れて行くぞ」
アリアスはゼクスを最後まで残すことに反対のようだったが、シジマを監視下に置くことで妥協した。
「げぇ、冗談じゃねー! 一号となんか行けるか! 俺がストレスで禿げたらどうすんだ! ただでさえ色が抜けちまったのに!」
「それって漂白?」
「ちっげーよ! せめてブリーチっていえねーかな、カナデは!」
「ブリーチしたの?」
「こっちにそんなもんねーよ! 人体実験の副作用だっての!」
シジマの髪と瞳が灰色になってしまった理由は強烈な体験からの拒絶反応だった。
人間はストレスによって身体にいろんな不調を起こす。ドラゴンの血を死にかけた状態で投与され続けた結果、命は助かったが心身に影響を及ぼした。
シジマの変化は髪と瞳だけではない。黄色人種特有の黄色い肌の色も白人と見間違うくらいに白くなっていた。外見からはもう日本人といえる特長はまるでなくなってしまった。
そして心は十六歳のまま成長していない。どれだけ長い年月を生きても成熟することができなかったのだ。シジマが外見年齢に比べて幼く、行動がチグハグに感じるのはそのせいなのだ。
「灰色の髪ってカッコイイと思うけど」
「そうかぁ。ジジイっぽくねーかな?」
シジマは灰色が気に入らないようだ。奏が誉めても珍しくシジマは乗ってこなかった。
「灰色っていってもキラキラしているから年寄りって感じはないよ」
「キラキラ?」
「光に反射すると銀髪まじりに見えるよね」
「うっそ! 俺ってそんな感じになってんの? へぇ、なんかいつの間にか成長してるし、驚きだわ!」
「自分の成長に気づいてなかったの?」
シジマは生きることに必死だったせいか自身の成長に気づいていなかった。頓着しない性格なのだろうが、どこにいても落ち着ける場所はなかったということだ。
「十年か二十年かよく覚えてねーけど、ちっとも成長してねーって気づいてからはどうでもよくなった。ドラゴンが長生きだってことは知ってたから俺も同じかって! まさか五百年とかありえねーくらい長く生きる羽目になるとは思ってなかったけどな!」
「ちょっとは気にしようよ。身長が伸びないのは気にするのに」
「それを言うんじゃねーって! 小さいままおっさんになる想像しちまったぜ!」
恐ろしいことを想像させるなと怒鳴るシジマはやはりまだ十六歳という感覚でいるのだろう。成長をはじめたことに戸惑いのようなものを感じていた。
嬉しい反面、この先のことを考えると不安なのだ。特に身長については伸びる気配がないので嫌な想像しかできないのだろう。
「十六歳なら大丈夫でしょ。これから伸びるよ!」
「マジでそう言えんのか? 嘘ついたら針千本飲ますぞ!」
「あはは! 約束しようか?」
小学生のようなことを言うシジマに奏は小指を立てた。シジマがいそいそと小指を絡ませようと近づいてくる。
ビシッ!
奏とシジマの小指が触れ合う寸前、スリーがシジマの手を叩き落とした。
「おいいぃ! 二号! 神聖な誓いをじゃますんじゃねー!」
「神聖? 身長が伸びることなど有り得ない。誓う必要はない」
スリーが不愉快さを滲ませた声で言った。シジマはスリーの暴言に驚いていた。
「二号に三号が乗り移った!?」
「なにそれ」
「いや。ちょっと意外つーか。二号に精神攻撃をされるとは思わなかったぜ!」
スリーの嫉妬時における主な攻撃は殺気を飛ばして圧力をかけることだ。相手に対して言葉で不快感を表すことは少なかった。
「カナデに近づくな」
「いや~ん。私ってば愛されてる!」
シジマが身悶えて気持ち悪い女言葉で叫んだ。この手の冗談がスリーに伝わるかは微妙だ。
「お前など愛してはいない」
案の定シジマの冗談はスリーには通じなかった。
「二号は堅物かよ! 冗談も通じないとは!」
「そうなんだよね。スリーさんって真面目だから、からかっても面白くないよ」
「そんなこと言っても好きなくせして!」
「うんまあ。そこも好きだけど」
「誰が惚気ろと言った!」
言わせておいて文句を言うなと言いたい。シジマが「リア充爆発しろ」と叫んだ。
しばらくシジマと話をしているとアリアスがシジマの首根っこを掴んだ。シジマを連れて行くかどうかでゼクスとひと悶着あったらしく殺気立っている。どうりでシジマとの会話を邪魔されないはずだ。
「おい! くだらない話をしているな! 行くぞ!」
「ぎゃああ! 一号、放しやがれ!」
「五月蝿い!」
アリアスの拳がシジマの腹部にめり込んだ。シジマの身体が九の字になり崩れ落ちる。
「ちょっとアリアス! 乱暴しないで!」
「こいつが暗殺者だって分かっているのか? どいつもこいつも情けをかけやがって!」
アリアスの怒りが爆発した。苦悶の表情で呻いているシジマにゾッするような冷めた視線を投げつける。
「調子に乗るな! 俺はゼクスほど甘くない。少しでも舐めた真似してみろ。すぐにでも殺してやる!」
アリアスの剣幕にシジマの顔が青褪める。
「……何もしない」
「死にたくなければ口を継ぐんでいろ。てめぇの言動は不愉快なだけだ」
そう言ってアリアスは殴られてすっかり沈んでいるシジマの首を締め上げる。
だらりと抵抗せずに締め上げられているシジマが不憫になり、奏はアリアスを窘める。
「アリアス、そんな言い方はないと思うよ」
「カナデ。お前は殺されかけた自覚がないのか? このガキは平気で人を殺す。お前と同じ平和な国に育ったからといって安心するな。こいつの性根は捻じ曲げられた。そこを理解しろ」
アリアスの厳しい言葉に奏は黙った。アリアスの言うことは正論だったからだ。
「お願いだからシジマに乱暴はしないで」
「それはこいつ次第だ」
シジマが何をしたか分かっているつもりだった。だが、認識が甘かったと痛感させられた。
アリアスはこれでも怒りを抑えている。「ゼクスのように甘くない」と言いながらもシジマに生き残りの選択を与えていた。
アリアスに任せる不安はあったが、譲歩したアリアスにこれ以上言うべきことはなかった。あとはシジマ次第だ。
「……待機組がすぐに合流する。俺は先に行くがお前はゼクスと一緒にいろ」
アリアスはそれだけ言うとシジマを連れて行ってしまった。奏ははぁと息を吐き出した。アリアスの本気の怒りに触れて緊張して身体が強張っている。
「アリアスが本気で怒ったところ初めて見たな」
いつも怒っているように見えて実際は言葉がきつかっただけだ。アリアスにとっては怒っているうちに入らなかったということだろう。
「俺も初めて見たよ」
「え? スリーさんも?」
「ああ。普段は殺気を放つこともないよ」
アリアスは温厚とは言いがたい性格だが、感情をコントロールすることには長けていた。こんなことでもなければ短気な性格であると勘違いしたままだった。
「アリアスって口が悪いから怒っているようにしか見えないんだよね。冷静に諭されていた時のほうが怖いっておかしいと思う」
「そうだね。カナデはアリアス様の警告は心に留めておいて。暗殺者はそう見えなくてもかなり危険だからね」
「心配させちゃったのかな」
「アリアス様は情に厚い人だからね」
アリアスは暗殺未遂を軽く考えていなかった。奏はシジマの境遇に同情してしまったが。
アリアスはあれでも一国の将軍だ。簡単に警戒を緩めたりはしないだろう。
ゼクスは飴、アリアスは鞭。よくできた兄弟だった。