第135話
夕食を終えてのんびりしていると奏の疲れはピークに達して、こっくりこっくりと船を漕いでいた。
ゼクスとリントヴェルムに通訳をするのはとても疲れた。何しろゼクスは難しいことばかりリントヴェルムに質問するからだ。
途中でリントヴェルムをからかって遊んだりもしたが、脱線した分取られた時間は思いのほか長かったようだ。
「もう休んだら?」
「うん。疲れた」
奏の瞼は、ほとんど閉じかけていた。スリーに言われて天幕に移動しようと思うが、疲れすぎて動く気力が湧かなかった。
明日も確実に疲れるはずだ。早く休まなければと思うものの身体は動いてくれない。
グズグズしているとスリーに抱き上げられる。
「……スリーさん、影響のせいで具合悪いんじゃないの?」
「こうしていると元気になるよ」
ドラゴンに近づく人間は最小限にするためスリーは護衛を外れていた。長い時間、接触していない。他の騎士達と同様に苦しかったはずだが思ったよりは元気そうだ。
今頃ゼクスは騎士達を癒しているのだろうか。また不機嫌になっていそうだ。
「リントヴェルムに力を抑えてもらうように言えばよかったかな」
リントヴェルムから聞く話に夢中になっていて思いつきもしなかった。今からでもお願いにいったほうがいいだろうか、と考えていると、スリーが立ち止まる。
「……少しドラゴンと話せないかな?」
「大丈夫だと思うけど何を話すの?」
「カナデを花嫁にすることを諦めてくれないから説得しようかと」
確かにリントヴェルムは諦めていないが、奏は説得できそうな材料を見つけた。スリーが説得するまでもないのだが、スリーに話すのは時期早々だろうと口を噤む。
「人の恋人を横から奪うなんて反則でしかないね。納得しないなら狩るだけだよ」
「それはやめて。リントヴェルムは優しいドラゴンだから話せばわかるから」
「ドラゴンは一夫多妻制なんだって?」
誰かがスリーに余計なことを言ったらしい。声が怒っていなかったから油断した。これはそうとう怒っている。
「リントヴェルムの花嫁さんは別に用意するから心配しないで」
「どうやって?」
まだリントヴェルムに聞いていない。奏が考えていることが不可能という可能性もある。それを考えるとスリーに話すわけにはいかないだろう。期待だけ持たせても仕方ない。
「明日わかるから」
「言えない?」
怒っているスリーはしつこい。眠気が襲ってきて朦朧としている奏はスリーを黙らせることにした。物理的に。
スリーの首の腕を回して唇を奪う。冷え切った唇が引き結ばれた。
「……スリーさん。私、すっごく眠いんだよね」
「仕方ないね」
スリーは誤魔化されてくれた。天幕に向かって歩みだす。
(明日はリントヴェルムを説得するから、今日はもう簡便して……)
スリーの怒りは解けていない。それを感じつつも奏は眠気に勝てず、いつの間にか眠りに落ちていた。
◇◇◇
翌朝。奏は、熱い何かに巻きつかれているような感覚に目を覚ました。何だろうと身体を動かそうとするが身動きが取れない。ぼんやりとしていると耳元に熱い息がかかる。
「ほあぁ!」
ビクッと反応すると、今度は耳元で色気のあるため息が漏れ聞こえる。
「ほぎゃ!」
「おはよう」
奏は完全覚醒した。熱いと思ったのはスリーの身体が巻きついていたからだ。羞恥のあまりスリーを引き離そうと暴れるが、さらに巻きつかれた。顔に血が上る。
「な、なんで、一緒に寝ているの!?」
「それはカナデが俺の腕の中で眠ってしまったからだね」
そんな理由はないだろう。久しぶりに言葉が通じないスリーが出現した。
「天幕に連れて行ってくれるだけで良かったのに」
「それはカナデと離れていると俺が弱るから無理だね」
「でも巻きつかなくたって!」
「ごめんね。それは俺がカナデを堪能したかったから」
知らぬ間に堪能されていた。
「もう元気じゃない!」
「そうだね。でも今日はとても大事な日だから」
「え?」
「俺はドラゴンを狩るという大役を──」
「ごめんなさい。それだけはやめてあげて!」
昨日リントヴェルムを説得できる理由を話さなかったことを根にもたれていた。スリーの機嫌はとってから眠るべきだった。
「手っ取り早くていいと思ったんだけどね」
「王様に怒られる……」
ゼクスはリントヴェルムの価値を重要視している。勝手な真似をしたら怒られる程度ではすまない。
「それじゃ仕方ないか……」
スリーは残念そうだ。本気でリントヴェルムを説得しないと狩られかねない。
「必ず説得するから!」
「狩るからいいんだよ? 無理はしなくても」
「狩らないでぇ!」
「ははは。冗談だよ」
冗談は無表情をやめてから言って欲しい。怖いだけだ。そしていい加減に巻きつくのをやめて欲しい。
「うう、巻きつくのはシンランだけにして」
「シンランは置いてきたから俺が代わりだよ」
「シンランが恋しい」
ここにシンランがいたら楽しい行動で笑わせてくれたに違いない。間違ってもスリーに巻きつかれて窮地に立たされたりしなかった。
「こんなところで変な気分になったら困るよ」
「たしかにそれは困るね」
スリーがサッと離れた。と同時にバサリと天幕の入り口がゼクスによって開けられた。間一髪で言い訳が苦しい体勢を見られなかった。
「カナデ。起きているか」
「起きているよ」
「リントヴェルムが待っている。スリーと来い」
「スリーさんも一緒?」
「お前が暴走しないように監視させる」
昨日は話を脱線ばかりさせていた。肝心の使者について何一つ話をしていない。
ゼクスが監視要員として誰かを必要としている。それは分かるのだがが、よりによってスリーを指名するとは。人選ミスだ。
「スリーさんは暴走するよ!」
「なぜだ」
「昨日リントヴェルムを狩るって息巻いていたから!」
「それは本当か?」
ゼクスの視線を受けてスリーが答える。
「それはありえません」
「それならいい」
完全な裏切りだ。スリーは昨日と言っていることが違う。
「スリーさんを連れて行ったら大変なことになるよ!」
「往生際が悪いな。さっさと来い」
ゼクスは奏を一瞥すると天幕を出て行った。奏はスリーに抗議の視線を向けたがスッと顔を逸らされる。
「スリーさんは来ないでよ!」
「王の命令だよ」
スリーは素知らぬ顔で命令を強調する。
「そんなの適当に誤魔化すから! リントヴェルムを狩られたら困るよ!」
「ゼクス王にもいったけどそんなことはしないよ」
「目を逸らしておいて信用なんかできないから!」
「仕方ないね。さ、いくよ」
「あ、ちょっと! うぐぅ」
奏は米俵でも持つようにスリーに担がれた。腹部が圧迫されてうめく。そしてスリーに体よく運ばれてしまった。