第132話
ゼクスの話を聞く前にリントヴェルムがどうして話もたいというので、奏は神妙な面持ちで耳を傾けた。
『そなたは私の花嫁になるのは嫌か?』
リントヴェルムの声は懇願の響きが強い。
「リントヴェルムが嫌なわけじゃないよ。でも好きな人は裏切れないよ」
『そなたにも相手がいるのか……』
リントヴェルムが悲しそうに言った。優しいドラゴンだ。相手がいれば引き離すような真似はしないのだろう。
「花嫁がいないと滅びるって本当?」
『もう私以外にドラゴンは存在していないだろう。これだけ長く眠って現れないのならば、この先も期待はできない。待ってはみたが無駄に終わったようだ』
リントヴェルムが長い眠りについていたのは新たなドラゴンの出現を待っていたからだ。いつか何処かで新たな命が生まれる。そんな期待を抱いて長い間待っていたのだろう。
『懐かしい色を持つそなたならば花嫁として迎えたいと思ったのだが……』
「懐かしい?」
『祖父の花嫁と同じ髪の色だ』
リントヴェルムはその人を思い出したのか楽しそうに笑った。
『彼女は押しかけ女房だった。祖父は突っぱねたのだが、結局は彼女を迎え入れた』
「へぇ。私と同じ黒髪って珍しいね」
『別の世界から落ちてきたようだ。そういえば友人と一緒だった。王族と結婚してから疎遠になって寂しそうしていた。会いに行けばいいと思ったのだが、なにやら事情があるようで二度と会えないと悲しんでいた』
その話に奏はひっかかりを感じた。どこかで聞いたような話しだ。
「その人はリントヴェルムのお祖母さんじゃないんだ?」
『彼女は祖父の後妻だ。祖父は祖母を忘れられなかったはずだが、どうして彼女を迎え入れたのか、分からない……』
「そっか。リントヴェルムはその人が好きだったんだね」
『姉のような存在だった。私は小さく彼女が泣いる姿を見ているだけだった』
「お祖父さんとは不仲だった?」
『いいや。祖父はセイラを愛していた。父と私の手前、隠してはいたようだが、あれだけ溺愛していれば気づかないはずがない』
奏はリントヴェルムの口から飛び出したセイラの名前に驚いた。
「……セイラさんっていうんだ?」
『そうだ。彼女はなんというか想像力が逞しい女性だったな。ドラゴンが優しいことを証明すると息巻いていた。祖父には時々会いに行っていただけだから、セイラがそれをどう証明しようとしたのか分からず仕舞いではあったが、楽しそうに私に語っていたな』
もう少しでひっかかりが何か分かりそうな気がするのに、すっきり出てこない感じが気持ち悪かった。とりあえずもう少しだけリントヴェルムの話を聞いてみることにする。
「セイラさんはなんて?」
『ドラゴンに人間の花嫁がいたら怖がられない。私はセイラが自分のことを言っていると思っていたのだが、運よく殺されなかっただけと悲しそうにしていた』
「……他には?」
『そうだな。謎めいた言葉をちりばめた創作をしていた。誰も理解できないようなものを作る理由をずっと不思議に思っていたが、同じ異世界からきた人間に理解させたかったようだ。もしかしたらそなたの事だろうか?』
ひっかかっていたものが解消されたのに、今度は胸がもやもやとしてしまった。
リントヴェルムの知っているセイラは〈ドラゴンの花嫁〉の創作者で、セラのモデルとなった人だった。
リントヴェルムの祖父の下へ何のために向かったのかもわかった。たぶんドラゴンの生け贄として覚悟をしてきたのだろう。
しかし、リントヴェルムの祖父はセイラを殺さず、花嫁として迎えたわけだが、それは本当にセイラがいうとおり運が良かっただけかもしれない。
〈ドラゴンの花嫁〉が史実に基づいていたことを考えると、ルカのモデルになった人物はセイラの友達で間違いなさそうだ。
王族と結婚したというのも〈ドラゴンの花嫁〉のルカと一緒だった。セイラはセラと違って幸せな花嫁としてドラゴンの元へ赴いたわけではないが、結果的にはセラと同じドラゴンの花嫁として幸せになっている。
セイナディカではいつからこんな悲しいことを続けているのか。セイラのように無事でいられた人は何人いるのだろうか。
奏はやりきれない思いで苦しくなった。リントヴェルムでなければ、奏もドラゴンの生け贄として悲しい末路をたどっていたかも知れないのだ。
セイラは自分の体験を元に、ドラゴンが生け贄を要求するばかりの悪いものではないということを示したかったのだろうか。
「リントヴェルムがいいドラゴンで良かったよ。そうじゃなかったら今頃、生け贄まっしぐらだったね」
『どうも納得できないのだが、ドラゴンが生け贄を要求するとはどういうことだ? そんなことを要求するドラゴンがいたなど聞いたことがない。いったいセイナディカは何がしたい?』
「え? だって王族の伝承で生け贄を捧げたって」
リントヴェルムに生け贄を否定されて奏は戸惑った。
『伝承? どんな伝承かは知らないが、生け贄を捧げられたところで追い返すだけだぞ』
「追い返す? ドラゴンって肉食じゃないの?」
たしかゼクスの話しでは生け贄になった人間の骨が洞窟にはあったはずだ。生け贄ではないとするなら誰の骨なのか。
『肉も食べはするが、木の実や果物を食べれば十分だ。それに人間など食べるわけがない。そもそも意思疎通できない人間と交流はない。か弱い生き物をどうこうするなど矜持が許さぬ』
リントヴェルムが不機嫌そうに言った。どうも色々と誤解がありそうだ。
「木の実や果物で足りる? その大きい身体を維持できるとはとても思えないけど」
『身体の大きさは力の大きさに比例する。力を解放した状態ではこの形が一番いいというだけで、力を凝縮すれば小さくなることもできる。私は苦手だが人型になろうと思えばなれる』
「へぇ。なんか面白いね。食事は力に関係ないんだ」
奏はドラゴンの不思議な生態に興味を覚える。
『寝ていれば力は蓄えられる。食事は力の維持というより娯楽だ』
「じゃあ最悪、食べなくても生きていられるんだね」
『そうだ。そうでなければ長い年月を生きることはできなかった。眠っている間に干からびていただろう』
「干からびるって洒落になんないよ」
ドラゴンは普通の生き物とかなり異なるようだ。そうなると生け贄の話はドラゴン側から出たわけではないということだ。
「生け贄は人間が勝手に決めたことみたいだね」
『そうなるだろうな。しかし、生け贄を捧げる理由には疑問が残るだけだな』
ドラゴンの側になんのメリットも発生しない。ドラゴンに形ばかりの生け贄を送って人間が得をするようなことでもあるのだろうか。
「あ、それじゃあ、伝承で人間が逃げたとかいうのは追い返されたからかな」
ゼクスは「逃げた生け贄もいた」と言っていた。必ずしも犠牲者が出たというわけではなさそうだ。
「リントヴェルム。ここに人骨があるってきいたけど」
『あるぞ』
やっぱりあるのかと奏は肝を冷やす。
「生け贄の犠牲者ってわけじゃないのかな」
『祖父の時代にはもうあったな。私が遊びに行っていた頃にすでにあった』
リントヴェルムの祖父の時代ということは相当昔だ。ドラゴンの寿命が長いことを考えると想像もつかない程、遠い昔ということになりそうだ。
「元からここにあったってことだね。リントヴェルムはずっとここにいたわけじゃないんだ?」
『祖父が生きている間は別の場所にいた。父が亡くなって祖父の言葉を思い出したからセイナディカに来た』
祖父との思い出の場所だから来たというわけではないという。リントヴェルムは何か目的があってセイナディカに来たのだった。
「何を思い出したの?」
『セイラは友人を愛していた。その友人が治める国を守って欲しいという遺言を思い出した』
「リントヴェルムはセイナディカを守ってくれていた?」
『……いや。特に何もしていない。むしろ破壊してしまった。セイラに叱られてしまうな』
リントヴェルムは申し訳なさそうだ。けれど、それは故意というわけではない。
「そういえば力の影響がある場所に人を住まわせないって約束があったみたいだけど……」
それも不思議ではあった。人間と交流のないはずのドラゴンはいったい誰と約束をしたというのだろうか。
『祖父が王子と交わした約束だ。セイラの友人と結婚したという王族ではないだろうか』
「王子がセイラを生け贄に差し出したのかな」
『そうかも知れないし、違うかもしれない。祖父は王子にセイラを返してはいないからなんともいえない』
推測だがリントヴェルムの祖父はセイラを返しに行ったのではないだろうか。そこで王子とどんな話し合いをしたのかは分からないが、セイラが生きていることは王子も承知していて、ドラゴンに身柄を託したのではないのだろうか。
生け贄が人間側の決めたことなら、王子がセイラを生け贄にしたかどうかはともかく、セイラが生きて戻ってくることに不都合を感じたはずだ。
生け贄はドラゴンに捧げられなければならない。そんな思惑がどこかにあった気がした。
ドラゴンがどんな生き物か知っていれば、生け贄を捧げることに何の意味もないことは分かるはずだ。あえて生け贄を捧げるメリットがあるとすれば──、
「そういうこと。生け贄って体裁が欲しかったんだ」
そうとしか考えなれなかった。
『それはどういうことだ?』
「王家の伝承でドラゴンは恐ろしい生き物だって伝えられているんだよね。実際に大勢の人が殺されているって聞いた。王家はドラゴンに生け贄さえ捧げておけば襲ってこないと人々に知らしめたかったんじゃないかな。きっとドラゴンはいいように使われたんだよ。本当はそんなことしなくても人間を襲ったりしないのに……」
そんな勝手な都合で生け贄にされた人々がいる。奏は悲しい現実に悔しさを滲ませる。
『……実際にドラゴンは大勢の人を殺したんだろう?』
「事情があったんじゃないかな。本当なら人間を襲ったりしない。そうだよね?」
伝承のドラゴンは満身創痍で復讐を果たした。復讐するだけのことを人間がドラゴンにしたのだ。
『王家が生け贄を捧げようした理由はわからなくはない。それが必要だったからだろう。ドラゴンがまた人間を襲うかもしれないという恐怖は根強かったのだろう。いつまたドラゴンが襲ってこないとも限らない。そんな恐怖が続けばどうなると思う?』
「それはキツイね。ずっとおびえ続けないといけないから」
『そうだ。王家もそう判断したのだろう。生け贄を捧げればドラゴンは襲ってこない。そうすることで安寧を人々に約束したのだ』
セイナディカを襲った悲劇は人々の心に根強く記憶されている。だから、王家の嘘に人々はすがってしまったのだ。
「生け贄にされた人達はどうなったの?」
王家のついた嘘はまやかしだ。人々の安寧のために犠牲を強いられた生け贄達が無事であったとは思えない。
『王子はドラゴンの生態を知っていたのだろう。送ったところでどうこうならないと知っていた。生け贄は帰ってこなければそれでいい。あとは逃げようがどうしようが』
「セイラは押しかけ女房になって二度と帰ることはなかった。友人に会えないのは悲しかっただろうね」
セイラにとって友人は、ただの友人というわけではなかったはずだ。
異世界に落ちてきて、たった一人の同じ故郷を持つ友人だ。二度と帰ることのない故郷を一緒に語ることもできない辛さは、一人きりになってしまったセイラに悲しみを与えただろう。
けれど、リントヴェルムの祖父によって、セイラは新たな人生と喜びを得たのだ。
「セイラの作った物語は、ドラゴンが優しい生き物だって証明できたと思うよ」
『そうだといい。セイラも創作した甲斐があっただろうな』
セイナディカに語り継がれている〈ドラゴンの花嫁〉は、この先もずっとセイラの想いを人々に届け続けていくだろう。