第124話
宰相の予言めいた言葉とは裏腹に、遠征隊は途中で進路を妨げられるようなこともなく順調に進んでいった。
心配していた害獣との接触もほとんどなく、城を出発して十日後にしてようやくドラゴンのいる東の森の入り口にたどり着いた。
遠回りをしたわりには予定より早い到着だった。途中、遅れを取り戻すために駆けたことが功を奏したようだ。
「ここからは歩くことになる」
ゼクスの声は硬い。それもそのはず東の森は地震によって酷い有様になっていた。馬で行くことは難しそうだ。人が歩くにしても困難と思われる状態だった。
奏はその惨状に顔を強張らせた。木々は倒れ、地面には大きな亀裂が無数に刻まれていた。
隆起して盛り上がった土が今にも崩れそうになっている。そんなところをどうやって進んでいけばいいのだろか。
「安全を確保しながら進め」
先頭の騎士が足場を確認しながら進んでいく。
その後ろを奏は辿っていったが、不安定な斜面に足を取られて滑り落ちそうになる。奏のすぐ後ろを進んでいたスリーが咄嗟に支えてくれたが、生きた心地はしなかった。
近くに裂け目が見える。滑り落ちたら死んでいた。
「俺が抱えていこうか?」
「大丈夫だよ」
進んでいくのもやっとの状態で人を支えながらは難しい。それはアリアスに支えられながら進んでいるシェリルを見ていればわかることだ。
「……手を出して」
「でも」
「落ちるなら一緒に」
生きた心地がしなかったのはスリーも同じだったと思い至り、奏は素直に手を差し出した。スリーの手に力強く握られて少しだけ不安が遠のく。
こんなところで怖気づいている場合じゃないと気合を入れる。ドラゴンはこの先にいる。会う前に死ぬなんて冗談じゃない。
「緊張している?」
「少しだけ。あと不謹慎だけどドラゴンを見られると思うとドキドキする」
まるでファンタジーのような世界にいる。自分のことばかりで余裕のなかった奏だったが、ファンタジーを体言したドラゴンという生き物をこの目で見ることができると興奮していた。
「俺は違う意味でドキドキするね。カナデは進んで生け贄になりそうだから」
生け贄になることは奏以外の誰もが反対している。その筆頭がスリーだった。
生け贄は最終手段と説明しても納得することはなかった。
リゼットやゼクスとグルになって、事ある毎に説得をしてくる。ときには懐柔するようなことを言われたが、嫌味を言われたのはこれが初めてだった。
「そんなことないけど……」
「はっきり否定して欲しいよ」
スリーの強い語気に奏は一瞬息をつめた。それでもスリーの欲しい言葉は言えない。
「スリーさん。ごめんなさい」
「仕方ないね。俺は後を追うことにするよ」
「え? 駄目!」
「カナデは忘れているようだけど、俺の役目は最初から決まっているから」
奏はハッとしてスリーを見る。そして、セヴィーラの護衛に課せられた役目を思い出した。
「で、でも、私はセヴィーラじゃないからスリーさんはそんなことする必要ないよ」
「シェリル様の代わりに生け贄になるというなら、実質的にカナデがセヴィーラといえなくもないよ。生け贄として召喚されていないという経緯はこの際関係ない」
呼び名など形ばかりであり、現在生け贄候補は二人存在する。シェリルがセヴィーラとされているのは、生け贄にするために召喚されたという事実があるからに他ならないが、奏がセヴィーラと呼ばれないのは、まるで期待されていないが所以だった。
それは奏の不自然な行動とゼクスの思惑があったからだが、奏の事情は知られるわけにいかないため、セヴィーラの交代はなされた。
生け贄候補が二人いるにも関わらず、セヴィーラと呼ばれる存在が一人だけという不自然な状況になっている。
結局はどちらもセヴィーラには違いないのだが、期待薄の奏は生け贄から除外されていた。
貴族などは特に顕著だった。彼らの中ではシェリルを生け贄として早く事態を収拾するべきという考えが根強い。奏の存在はほとんど忘れさられていた。
今後、奏の存在が思い出されるようなことがあるとすれば、それはシェリルを生け贄にして、なおもドラゴンの脅威を取り除くことができなかった場合に限られるだろう。
しかし、生け贄候補二人のどちらが生け贄になったとしてもスリーが役目を放棄することは難しかった。
奏が生け贄になるなら当然スリーが役目を担うことになるが、シェリルが生け贄となる場合はゼクスがその役目を課されるわけだが、さすがに王を生け贄と共に失うわけにはいかない。
そうなるとスリーがゼクスの代わりに役目を果たすことになるのだ。
「……そんな話し聞いていないよ」
奏はスリーに課された役目の重さを受け止めきれずに声を震わせた。どっちに転んでも誰かが生け贄になるという選択肢を選ぶことになれば、スリーが生きて戻ることはない。
淡々と事実だけを告げたスリーはそんな奏を痛ましげに見つめる。
「だったら生け贄にはならないで」
スリーの懇願に奏は頷けなかった。国を犠牲にするか個人を犠牲にするか。考えるまでもなかった。
ただ、一人だけの犠牲ではすまないと聞いて心は揺らいだ。スリーを犠牲にはできない。彼はこの国に必要な存在だから。
「スリーさんは前に私の願いは叶えるって言ってくれたよね?」
「……何を言うつもりなの」
スリーは奏の言わんとするところを敏感に察知して苦渋に満ちた声を吐き出す。その声からは聞きたくないという気持ちが伝わってくる。
それでも奏に言葉の先を促してしまうスリーは優しすぎた。
「たとえ私が生け贄になってもスリーさんは生きていて欲しい」
「シェリル様が生け贄になったらどうするつもり?」
「王様が後を追わないように私が一緒に逝くよ」
シェリル一人を犠牲にして生きていくつもりは最初からなかった。
生け贄になる人間に配慮するために護衛に課された役目は、単純に言えば死出の道連れだ。それならばその役目は誰に変わろうが問題ないはずだ。
「どうしてカナデは生き急ぐの。死にたくないと泣いていたじゃないか」
「死にたくはないよ。でも命の大切さを知っているからみんなには生きていて欲しい」
「カナデを犠牲にしておめおめと生きていけるわけがない!」
奏を失って生きてくことに苦痛を感じるとスリーは激情のままに吐露する。
それは聞いた奏はうっとりと微笑んだ。そこまで愛されていると思うと嬉しさが溢れてしまう。
「スリーさんは前提から間違っているよ。私は死なない予定でドラゴンに会いに来ているんだけど」
「それなら、なぜ生け贄を撤回しないの」
「保険かな。そのぐらいの意気込みでいないと怖いから」
死にたくはない。生け贄になんかなりたくない。怖い。そういう感情が行動を鈍らせてしまう。
なら最初から崖っぷちにたってしまえばいいと考えた。逃げられないように自ら退路を断った。そうしないと今にも逃げ出しそうだったから。
「どうしてそこまで……」
「セイナディカが好きだからかな。こんな優しい国が滅んで欲しくはないよ」
いきなりやってきて事情も話さずにだましていて、それでも優しい人達に支えられて生きていくことができた。
あまり役に立たないかもしれないが、恩返しをするには十分な理由だった。
犠牲を強いられているとは思っていない。奏は最後まで足掻く気満々だった。
そのあたりをスリーはまるで理解していない。ここで納得してもらおうと奏は意気込んだ。
「スリーさんこそ忘れているの? デートの約束をしているでしょ!」
「そうだね。逢引の約束をしていたね」
「あ、逢引って響きがイヤらしいよ」
「そう言ったほうが照れるカナデを見られるからと助言をされてね」
そんな助言をする人間は一人しかいない。
「リゼットは本当にぶれないね」
「奏が生け贄になればリゼットは後追いをしそうだよ」
「そんなことになったら王様だって発狂しかねない……」
「ああ、ならシェリル様も危ないね。ゼクス王がいないと生きにくいはずだから」
芋ずる式で死にそうな関係者一同が想像できてしまった。
「アリアス様はどうかな。あれでいてゼクス王を気にかけているからもしかしたら……」
「縁起でもないこと言わないでよ」
アリアスがゼクスの後を追うようなことがあったら大変だ。アリアスを信奉する騎士団は弱体化する。そして誰もいなくなったという図式が完成しそうだ。
「誰か残るかな」
「あ! 宰相さんがいる。絶対一人でも生き残るよ」
「そうだね。生き残りそうだ」
誰も残らないという不安な未来に希望を見出した。
「お二人とも疲れ知らずで結構ですね。その調子でいきましょう」
まるでゾンビか何かのようなしぶとさを見出された宰相が微笑みながら言った。話しを聞かれていたようだ。
「それにしてもリーゼンフェルトは無駄な心配ばかりしていますね。生け贄など必要ないということがわかっていないようです」
「え?」
訳知り顔で話す宰相を奏は怪訝そうに見た。ドラゴン相手に心配無用とはいかに。
「わざわざ騎士団の精鋭を集めたのですよ。ドラゴンなど一捻りでしょう」
やけに簡単にいっているが、そもそも精鋭を集めたところでどうにかできるなら今までの苦労はなんだったのか。
ゼクスが必死に生け贄を回避することに頭を悩ませていたことは、宰相なら当然知っているはずだ。
ゼクスは心労が過ぎて時々シェリルに無理難題を吹っかけていた。それで結婚話が拗れてしまったこともある。結果的にシェリルが結婚を承諾したから良かったが。
「あの、それは無理がありすぎるんじゃ……」
「アリアス様は一人でドラゴンを狩るといきまいていますよ」
アリアスが殺る気になっていることはいいとして、他がついていけるかは別だろう。スリーも微妙な顔をしている。
「リーゼンフェルトは気概が足りません。だからアリアス様に後れをとるのですよ」
宰相はアリアスの肩を持っているというより、面倒くさいからアリアスに丸投げするつもりなのだ。
アリアスを誉めているようで表情が裏切っている。忌々しそうに誉め言葉を駆使する人を初めてみた。かなり無理をしている。
「アリアスが嫌いなのに無理はしないほうが……」
「嫌いですが役に立つ人材です。リーゼンフェルトはカナデ様にあれこれ言う前に行動しなさい」
珍しく宰相は少し苛立っているようだ。スリーを矛先に当り散らしている。
「アリアスと何かあったのかな?」
「どうだろう」
奏はこっそりとスリーに耳打ちする。スリーも困惑していた。八つ当たりされている自覚があるようだ。
「ところでリーゼンフェルトはカナデ様と別れる予定でもあるのですか?」
「……いいえ」
宰相の微笑みが戻った。しかし、スリーに突っ込んだ質問をして、すぐに答えが返らなかったことが不快というように眉を顰める。
「これだからアリアス様が暴走するのですよ。仕事を忘れてカナデ様を口説きに行こうとするアリアス様を押しとどめるなど、面倒意外のなにものでもないのですよ!」
思い立ったら即行動というアリアスの手綱を握っている宰相は疲れきっていた。
「本気だったんだ……」
アリアスのことだから冗談のようなものだと思っていた。本気で好かれていると思っていなかった。
「カナデ様はアリアス様がどんなに口説こうと靡かないでください。それからリーゼンフェルトはアリアス様に隙を見せないように」
宰相はアリアスが虎視眈々と狙っていると忠告してくる。「面倒くさい三角関係はごめんです」と宰相は口をすっぱくして言い募った。
奏は、そんな心配は無用とばかりに頷いたが、宰相はスリーをチラリと見て嘆息していた。それがどんな意味を持つのか、このときの奏は理解していなかった。
そして後になって深く後悔することになるのだった。