第123話
スリーは奏を抱いたまま立ち上がろうとしたが、不意に動きを止めた。
奏は、どれだけすごい騎士でもこの体勢から立ち上がるのはやはり無理があったのか、と思ったが、スリーの険しい表情にただならぬものを感じて不安そうに見つめる。
「カナデ。ここでじっとしていて」
奏はスリーの膝から下ろされた。スリーは立ち上がると抜刀する。
いきなりの緊迫した空気に奏は身体を強張らせた。何が起こったのかと固唾を呑んでいると、森の奥から人相の悪い、明らかに普通とは言い難い男達が姿を現した。
奏を見てニヤニヤと笑っている。
「そこの女を置いていけ」
奏は、男達から気持ち悪い視線を向けられて顔を顰めた。身体の隅々を舐めるように這っていく視線がたまらなくて、スリーの影に隠れるように移動する。
奏の前に立ちはだかったスリーが低い声で男達に警告する。
「お前たちが触れていい女性ではない。去らなければ斬る」
それを聞いた男達がざわめきだした。
「おお! お嬢様ってやつか! 思わぬ収穫になりそうだな!」
「お頭が好きそうな女だ。前の女は壊れたから丁度いい」
「いや、よく見れば綺麗な肌をしているぜ。可愛がってから売ろう!」
男達が口々におぞましいことを言う。舌なめずりまでしている。捕まれば酷い目に合わされると奏はゾッとした。
聞くに堪えない言葉にスリーが反応した。
「見逃そうと思ったが死にたいらしい」
本来なら捕縛するべきところを遠征中だからなのか、スリーは男達が去るなら見逃そうと考えていたようだ。
ところが男達の言葉はスリーには看破できなかった。スリーの怒りに火がついた。
しかし男達は意に介した風もなく相変わらずニヤニヤと厭らしい笑いを浮かべている。相手は一人とスリーを舐めてかかっていた。
「ぎゃはははは! 騎士風情が一人で女を守れるか! 死ぬのはてめぇだ!」
「死んだら身包みはいで害獣の餌にしてやる!」
男達はジリジリと包囲網を狭めてきた。スリーを囲んで逃げられないようにしてから始末しようという魂胆だろう。
(これがいわゆる山賊なのかな)
奏はスリーを取り囲む男達をじっと観察した。人数は八人。どの男達もギラギラとした雰囲気を醸していた。服とは呼べないような襤褸を纏い、手には鉈のような刃物を持っていた。
スリーを包囲して勝利を確信している男達は、スリーの背後にいる奏を獲物として捉えている。
けれど、奏はスリーが負けるとは露ほども思わず、安心感から暢気に考え事をする余裕さえあった。
最初はあまりの気持ち悪さに震えたが、スリーの頼もしい背中を見ていて、捕まる心配をする必要はまるでないと信じられた。
「スリーさん。殺しちゃうの?」
「いや。生け捕りにする。根城を吐かせて一網打尽にしないことには犠牲者が増えそうだ」
スリーは戦争を経験しているから、必要ならば人を殺すことを躊躇ったりはしないだろう。
奏は甘い考えだとわかっていてもスリーに人を殺して欲しくないと思う。スリーの考えを聞いて安堵した。
「すぐに片付けるから待っていて」
スリーの頼もしい言葉に奏は頷いた。
「女を前で格好つけたい馬鹿はさっさと殺そう」
「いつまで余裕にしてられるか見物だ」
あくまでも自分たちの優位を疑わない男達は、スリーの言葉を虚勢として捉えた。最後のあがきだと嘲笑う。
スリーはそんな男達を一瞥した。多勢に無勢というのに動揺さえしないスリーに男達は苛立ち、それを皮切りに男達が一斉にスリーに襲い掛かった。
スリーは剣を構えた。迎え撃つかと思われたが、スリーは地面を蹴ると男達の前に躍り出た。居を突かれた男達が慌てる。
右往左往する男達の動きをスリーは冷静に見て剣を振るった。一瞬の出来事だった。スリーに斬られた男達が次々と倒れていく。
形勢は逆転した。スリーの攻撃から辛うじて逃れることができた男が動揺で叫ぶ。
「こんなに強いなんて聞いてねぇ! 女は諦めるから見逃してくれ!」
スリーに打ちのめされた男は敗北を悟って逃げようとする。倒された仲間を置き去りにして逃げようとするが、騒ぎを聞きつけた騎士達が駆けつけて男を捕縛した。
「おやおや。逃げる根性がまだ残っているようですね」
スリーに足の腱を切られた男の一人がズリズリと這いずって逃げようとしていた。騎士と共に駆けつけた宰相が男の足を踏みつけた。男の絶叫が響き渡る。
「一人で片付けてしまうとは流石称号持ちの騎士ですねぇ」
「しょ、称号持ちだと!?」
騎士たちに捕縛された男達が驚愕する。
スリーの外見から称号を持つほどの強さは感じられない。仕方ないとはいえ、残念に思えて奏は苦笑した。
スリーがもう少し強そうに見えれば無用な争いは避けられたのかも知れない。
「生け捕りにできてよかったですよ。どうやら倒木は故意のようですし、先ほどの言葉は聞き捨てなりません。黒幕がいそうですから締め上げなければいけませんかねぇ」
宰相が笑顔で「拷問は面倒なんですよ」と男達が震え上がるようなことを言った。
宰相の正体は実のところ拷問官ではないのだろうかと奏はうっかり想像してしまった。あまりにも似合うのでそれ以上の想像は自粛する。
奏ははたっと気づく。まさか宰相はこれを見越して遠征についてきたのではないかと。しかし、その考えは宰相に読まれていた。
「カナデ様。私は拷問をするために遠征に同行したわけではありませんよ。そうは見えないかもしれませんが、私も昔は騎士だったのですよ」
「ええ!?」
「そんなに意外ですか?」
宰相は騎士と同じ格好をしている。いまさらながらに気づいた。腰に吊るした剣はお飾りではなかった。
「そ、そういえば殿を務めるって……」
「今回は宰相として同行したわけではないので」
宰相はゼクスやアリアスと共に先頭を駆けていたはずだ。ということは相当強いのではないかという考えに至って驚く。
どうやらアリアスがブルーリールを無双していたすぐそばで、同じように戦っていたようだ。
「カナデ様を驚かせてしまいましたか。隠していたというわけではないですが、私は元々宰相になる予定はあったのですが、騎士になる予定はなかったのですよ」
宰相が騎士になったのには複雑な事情がありそうだ。いつでも笑顔の宰相は不愉快そうな顔をしていた。
アリアスと犬猿の仲であることも騎士時代に原因があるらしい。そのあたりのことは宰相があまりにも嫌そうにしていたので聞くことは難しかった。
「さて倒木の撤去は完了しましたのでそろそろ移動しますよ。またしても遅れたわけですが、どうも邪魔をされているような気がして仕方ありませんねぇ」
「さっきの山賊の人が言っていたこと調べるの?」
「山賊ですか? 彼らはそういうものとは違うと思いますよ」
「え、じゃあ、ゴロツキ?」
「そうともいえますが、雇われた傭兵でしょうね」
奏の中で傭兵のイメージが崩れ去った。もっと格好いいと勝手に想像していた。まさか山賊と変わらないなんてがっかりだ。
「カナデ様のおっしゃりたいことはわかりますよ。彼らは厳しい現実に山賊まがいの行為を行っているのですから、間違えてしまうことは仕方ありません」
セイナディカから戦争が絶えて平和になったことによって傭兵の仕事が極端に減ってしまった。
戦争をするばかりが傭兵の仕事というわけではないにしろ、やはり実入りのいい仕事であったのだ。
平和になった国で細々と仕事を探すことは難しく、他国へ流れることができずに留まった一部の傭兵は、気がつけば略奪行為などを繰り返すようになっていた。
依頼を探すより確実だからだろう。
嘆かわしい現実に宰相は頭を悩ます。問題はドラゴンばかりではない。国が大きな問題に直面していても彼らのように問題を増やす輩は減ることはなかった。
「彼らが誰に雇われていたのか詳しく調べますが、意図的に遠征隊を狙っているとしたら大変ですね。アリアス様がどうにかしてくれませんかね」
「襲ってくれば何とかするんじゃないかな」
「カナデ様。それ予言ですか? 何かひと波乱ありそうで嫌ですねぇ」
奏が冗談でいった言葉に宰相はさして困っていない様子で答えた。襲ってきて欲しそうに見えるのは気のせいだろうか。
どちらかといえば、宰相の言葉のほうが予見めいていて、奏は薄ら寒い気持ちになるのだった。